back to novel_index |
back to index |
カラン。 あまり大きくはないドアベルの音がして、麻衣は振り返った。 「あ、真砂子」 「こんにちは、麻衣」 夏の色を写し取ったようなみどりの紬をいつものように端正に着こなした美少女は、いつものように軽く会釈してから大きく息をついた。 「外、やっぱり暑い?ハンカチ貸そうか」 笑う麻衣を、真砂子は軽く手を挙げて遮る。 「ハンカチくらいはあたくしも持ってますわ」 そう言いながら袂から取り出したハンカチで、白い肌に浮いた汗の珠をおさえる。 「それじゃ、なにか冷たいものいれるね。ちょっと待って」 かたかたかた、と素早くキーを叩いて、麻衣は立ち上がった。 「座ってて」 一言のこして給湯室に姿を消す。 真砂子はその姿を見送って、もう一度ため息をついてからお馴染みのソファに腰を下ろした。 空調のきいたオフィスは肌寒くない程度に涼しく、すっと汗が引いていくのがわかる。梅雨がちょうどあけたばかりの陽射しは本格的な夏のもので、窓から入ってくる光はただ明るく輝かしくても、直接浴びるには攻撃的に過ぎる。 トレイにグラスを二つ載せて、麻衣が戻って来た。 涼しげなガラスの器に、氷が綺麗な音を立てる。 「はい。冷たい煎茶」 「ありがとう」 受け取った器の肌の冷たさにほっとする。ひとくち、口に含むと、冷たい感触が胸の奥を通り過ぎる。 保証付きの味が、期待を裏切ることはない。 「真砂子、着物だもんね。暑いでしょ」 「そうですわね。麻衣は涼しそうで羨ましいですわ」 白い、キャップスリーブのブラウスと、淡いクリーム色のスカート。崩れ過ぎず、スクエア過ぎない服装は、麻衣のいつもの格好だ。 くすくす笑うと、肩の辺りで切りそろえられたまっすぐの黒髪が、さらさらと揺れる。 「うん。でも暑いもんは暑いよね」 幾分あきらめ気味に笑って、麻衣は言葉を継いだ。 「でも、それ綺麗な色だねー。なんか何色も混ざってない?」 「ええ。草木染めで、いろいろな種類の緑を使って織ってあるそうですわ」 「ふうん。……ところで、また、収録の帰り?」 「……そうですわ」 「あ。不機嫌」 特に声のトーンを変えたわけでもないのに言い当てられて、真砂子は軽く目を見はった。相変わらずこの親友は気配に聡い。 「何かあったの?ここに来てくれるのも久しぶりだよね」 「別に特に何かあったわけではありませんわ。……この時期、心霊特集が多くなるのは今にはじまったことじゃありませんもの」 「あ。なるほどー」 腑に落ちた、というようにかるく手をたたいた麻衣は、ちょっと苦笑する。 「馬鹿馬鹿しいのも今に始まったことじゃありませんし」 「でも、嫌になるのは慣れられないよね」 笑みの混じらない澄んだ声を向けられて、波立っていた精神がすっと静まるのを感じた。真砂子は苦笑する。 「ええ。慣れたくもありませんし、ね」 「うん。……おつかれさま」 「ありがとうございます」 ねぎらう言葉は、スタジオでも何度もきいたが、真砂子ははじめて頷いて、花が咲くように、笑った。 「ところで麻衣、きょうはあなた一人ですの?」 「ナルもリンさんもいるよ?安原さんは、集中講義だっけ。で、夕方から」 言いかけて、麻衣は何か思い出したように口を閉ざした。数瞬沈黙して、それから口をひらく。 「そうだ。真砂子、来週の土曜日の夕方から、時間ある?」 「来週の土曜日?……確かオフのはずですわ。大学はもう休みですし」 「じゃ、ふたりでデート、しない?」 琥珀色の瞳が、楽しげに踊っている。 麻衣につられて、真砂子の顔にも笑みが浮かんだ。 「なにか、ありますの?」 「隅田川の花火大会!行かない?ちょうど真砂子の誕生日のすぐあとだし」 「覚えていてくれてありがとうございます、麻衣。いいですわ、参りましょう」 「やった♪それじゃどこで待ち合わせる?」 「早めに行った方がいいでしょうから、お昼過ぎにこちらに参りますわ」 「うん、わかった」 「あ、そうですわ」 真砂子はひとつ思い付いて、目の前の琥珀色の瞳を見た。 「なに?」 「条件がひとつ」 「なんでしょう?」 「あたくしは浴衣で参りますわ。麻衣も浴衣にしてくださいな」 「え、でも」 「せっかくですし」 「着てみたいし、買うのはいいけど、あたし着れないよー?」 焦る麻衣に、真砂子は落ち着いて笑う。 もともと並外れた美少女だけに、微笑みはひどく艶やかに目に映る。 「大丈夫です。あたくしが着付けて差し上げますし、不安なら松崎さんにお願いすれば大丈夫でしょう?」 「綾子に?」 「あら。どうせ浴衣を買うのに相談するんじゃありませんの?」 「う。……確かにそうだけどさ」 「いいですわね?」 「わかった。それじゃ、そうする」 「それでは、楽しみにしていますわ」 白旗を掲げた麻衣に、真砂子はそう言って、ひときわ艶やかに、笑った。 † ドン。…パンパンパン……ドン! お腹に響くような重低音と、軽い破裂音が連続して響く。立錐の余地もないほどの人々の歓声とざわめきは途切れることがない。音の洪水が、周囲を圧する。 そして、地上が音の洪水なら、見上げる空は光と色の競演。 パッと咲いた大輪の花火が、きらきらとひかる星のような尾をひいて流れ、消えるのを待たずにまた夜空は華やかに彩られる。 「うわーっっ!!!」 空を見上げたまま、琥珀色の瞳を子どものようにきらきら輝かせる親友をちらりと見遣って、真砂子はちいさく笑みをこぼした。 生成りの地に向日葵の柄が入った浴衣は、本人は子どもっぽいんじゃないかと気にしていたが、色素の薄い麻衣にはよく似合っている。真砂子の、藍染めに撫子の柄の入ったものとは対照的で、だからこそ互いに引き立てあって、周囲に際立つ。 「綺麗ですわね」 「うん。すごいね。すごい音だし!」 頭上で、火花が散る。 二重にも三重にも広がる火の花。 降ってくる、星のようなきらめき。 夜空いっぱいを彩る、鮮やかな色彩。 見ているうちに、心を、奪われる。 はぐれないようにとつないだ手の感触は確かにあって、麻衣の興奮を伝えて来ているのに、周囲のざわめきも歓声もほとんど耳を聾するばかりなのに。 ただ、天空の色彩と、それを生み出す重低音だけが身体を満たしていく。 意識が溶けていく。 真砂子はそのうちになにもかも忘れて、夜空に見入った。 どのくらいの時間が経ったのか、わからない。 手を引かれて、我に返る。 「真ー砂ー子ー!」 「え?」 「やっと気付いた。綺麗だった?」 「ええ」 「あのね、そろそろ終わりみたいだから帰ろうって、ぼーさんたちが」 笑顔の麻衣が、視線で斜め後ろを示す。 最初はふたりだけで来るつもりだったのが、少女ふたりだけでは危ないと主張した滝川と綾子、それに安原がついて来たのだ。花火の鑑賞中はまったく邪魔をしなかったのだから、文句を言う筋合いでもない。 「夢中のところ悪いな、真砂子ちゃん。本格的に混みはじめる前に動かないと動けなくなるからな」 「そうですわね」 浴衣ではないラフな格好の滝川に笑われて、真砂子は苦笑した。麻衣ならとにかく、彼女がここまで我を失って夢中になることは珍しい。 「あたしたちはとりあえず渋谷まで行くけど、あんたたちはどうする?」 こちらは紺に光沢を落とした金の菊模様の浴衣を着た綾子が尋ねた。 あんたたち、に含まれるらしい安原が、真砂子を一瞥してにこりと笑う。 「僕は原さんを送ります。どっちにしても」 「別に送っていただかなくても大丈夫ですけれど?」 「夏の夜に、女性の一人歩きは危険ですよ」 一歩もひかない安原の笑顔に、真砂子は数瞬考えてからにっこり笑った。 「それではお願いします、安原さん。……麻衣はどうしますの?」 「うーん。せっかく真砂子とでーとだし。まっすぐ家帰るのもつまんないよねー」 「そうですわね」 調査とは関係なく、真砂子と遊べることは実はあまりない。未練たっぷりな麻衣の様子に、真砂子は笑った。未練があるのは自分も同じで、ただ、麻衣ほど素直に表に出せないだけだ。 うーん、と唸っていた少女が、淡い色の髪をふわりと揺らして滝川と綾子を見上げる。 「ぼーさんと綾子はどーするの?」 「リンを拾って飲みに行く」 「ナルは?」 「連れ出せるわきゃないだろ」 「まあ、そーだよね」 うん、と納得して、麻衣はかるく首を傾げた。 「それじゃ、渋谷までみんなで一緒に行って、真砂子とあたしはどっかでお茶しよ。おなかすいたから何か食べてもいいし」 「いいですわね」 「僕もまぜてくださいねー?」 「やだっていったらどうします?」 「拗ねます」 いたずらっぽい麻衣の問いに、間髪入れず安原が答える。 「おい、少年。男が拗ねても可愛くないぞ」 「そーですか?」 さらっと受け流して、安原は真砂子に目を向けた。視線だけで話を振られて彼女は笑う。 「存じません」 「まあいいや。リンさん拾うってことは、どーせオフィスには行くんでしょ?それじゃ一応ナルにも声をかけるってことで!」 「それじゃ決まりだな」 「ええ、行きましょう」 麻衣の総括に滝川と安原が頷いて、五人は人混みを縫うように歩き出した。 背後で、ドン、とひときわ大きな重低音が響いて。 ふ、と真砂子は足を止めて振り返る。 さらりと散った黒髪の先で、大輪の花火が咲いて、散る。 華やかな光彩は、夜の帳と黒い瞳にあざやかな残像を残した。 |
真砂子ちゃんお誕生日おめでとうSSです。うわー。ナルと麻衣以外の誕生日SSってもしかして初ですね。 例年通り特に何かするつもりはなかったんですが、たまたま一晩眠れず、参加していた某祭りにつられてなぜか浴衣ネタが浮かび、引きずられて花火になり、へたれたSSと相成りました(爆)真砂子視点の話って、開設当初の「decision」以来じゃないでしょーか(遠い目)まあ、めずらしーなってことで、許して下さい(泣) 2003.7.24 HP初掲載
|
back to novel_index |
back to index |