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Honey





 愛してるとか好きだとか。
 そんな言葉は、絶対に、いらない。
 欲しいのは──────。



 静かだ、ということ。
 やさしい、沈黙。
 触れなくても伝わる気配と、目を閉じれば感じられる、ぬくもり。

 ぱたん、と音がして、麻衣は目を開ける。
 ひらいた目の前に、深い漆黒の瞳があって、それでも驚きもせず首を傾げた。
「ナル」
 澄んだ声は、いつもとかわらず静寂に溶ける。
「どうしたの?………本は?」
 さらさらと、こぼれ落ちる栗色の髪。
 琥珀の瞳は、まっすぐにナルを捉える。

 囚われる。

「ナル?」
「……本は、読み終わった」
「そっか」
 こづくりの顔に笑みを咲かせて、麻衣は黒いシャツの袖を指先だけでつかまえる。
「それじゃ、今日はもう寝るよね?」
「…………」
「新しい本とか資料とかにとりかかったら、怒るからね?」
 微笑に、険が混じる。
 ナルは軽い溜息をついて、首を振った。
「………わかっている」
 体調の管理も必要だと、分かってはいる。
 まだ加齢を意識するほどではないが、今無理を重ねれば将来支障が出ることは諒解しているから、必要以上の無理はしない。
「それなら、いいけど」
 安堵したように呟いて、麻衣の表情がほころんだ。
 ────まるで花がひらくように、やわらかな笑みが咲く。
「それじゃ、すぐ、寝る?」
「………いや。お茶を」
「のむ?……それじゃ淹れてくる。眠れなくなると困るから、薄めにね」
 ふわりと空気が動く。
 立ち上がった麻衣は、ナルの額に掠めるように口づけて、足音も立てずにリビングを出て行った。


 いつもとかわらない、時間。
 トレイに、ナルの白磁のティーカップと、自分のマグカップを載せて、麻衣が戻ってきた。
 ナルの前にティーカップを置いて、トレイも置くと、彼の隣にすとんと腰をおろす。テーブルにおいた自分のカップに手を伸ばして、それを両手で包み込んだ。
 白皙の青年は優雅な仕草でカップを持ち上げ、ゆっくりと口に運ぶ。さきに言ったとおり、薄めに淹れられた紅茶は、それでもきちんと花のような香りを含んで、心まで温める。
「美味しい?」
 くすりと笑って、ナルの瞳を覗き込んだ麻衣は、自分の手のマグカップに口を付けた。
 答えなど、最初から期待していない。ただ、ゆっくりと、時間を楽しむ。

 ただ、かたわらにある気配を、よろこぶ。

「…………麻衣?」
 麻衣のカップをふと見たナルが、わずかに眉を寄せた。
 入れられたままの銀色のティースプーンが、やわらかく甘い湯気の立つ白い液体を映して、光る。
「なに?」
「なんだ、それは」
 真っ白の液体は、紅茶ではあり得ない。
 ナルの問いかけに、麻衣は目を瞬いて、それから首を傾げた。
「え。ホットミルクだけど」
「……………」
「紅茶にしようかなーと思ったんだけど、なんとなく。………ナルも、ホットミルクのほうが良かった?」
 後半の台詞は多分に笑みを含んで。
 麻衣はわらって、ティースプーンを持ち上げた。
 ミルクの白を絡めて、溶けきっていない金色の蜜がゆっくりと落ちていく。
「蜂蜜。クローバーのなんだよ」

 あたたかなミルクに、あまくひろがる金色の蜂蜜。

 麻衣は、スプーンをマグカップに戻して、ミルクをこくんとひとくち飲む。
 そのまま、漆黒の瞳を見上げて、囁くように尋ねた。

「ナルも、飲んでみる?ひとくち」
「いや、いい」
「だよね」
 くすりと笑った麻衣がもう一度ミルクを飲む。
 その間にティーカップをテーブルに置かれたソーサーに戻したナルは、麻衣の右手をつかんで動きを止めた。
「ナル?」
 問いかける声を、ふさぐように。
 ゆっくりと、けれどあらがうことは許さずに、唇を重ねる。

 あまい、ミルク。
 とけてひろがる、はちみつ。
 そして、とろける、キス。

 ミルクの香りが移るような。
 淡くて、甘いくちづけをほどく。
 夢みるように陶然と、琥珀色の瞳がひらいて、深みを増した闇色の瞳と出逢って。
 視線が、絡み合う。

「………ナル?」
「ミルクの味見。……………味見にはならなかったな」
「当たり前だと、思うけど」
 やわらかな頬が、淡く染まる。
「ねえ、ナル」
 蜜色に透ける、瞳。
 抑えた澄んだ声が、心まで絡め取る。
「寝る前にホットミルクって、いいんだって。鎮静効果があるからよく眠れるんだって聞いた」
「そうらしいな」
「はちみつもね。………すこし甘くすると、ふんわりするから」
 
 密やかに。
 囁いた彼女の手が、ゆっくりと漆黒の髪に伸びる。
 ゆびさきが、冷たい髪に触れて、磁器のような頬に、触れる。

「あったかい、はちみつミルク。だから、よく眠れるの」
「………それで?」
「それじゃ」
 華奢な身体が、いつの間にか青年の腕に落ちている。
 やわらかく。
 やさしく自分を抱く腕に身を任せて、麻衣はかるく首を傾げた。
「それなら、はちみつミルクのキスは、よく、眠れる?」
「さあ?」
 低い声が笑みを含む。
 彼女の手からカップを取り上げてテーブルに置くと、彼は彼女の身体を抱き上げて立ち上がった。
「それは、試してみないと分からないな」

 紅茶のカフェインに負けないくらい、やさしいやさしい眠りを誘う、はちみつのミルク。
 けれど。
 眠りより、あまい、はちみつのキス。

 どちらが勝つかはわからなくて。
 それはきっと。
 あなたの心で決まるものだから。



 愛しているとか好きだとか、そんな言葉は欲しくなくて。
 ただ、ほしいのは。
 他の誰からももらえない、もの。








 2004年バージョンバレンタインSSS……。バレンタインに直接の関係はありません。(爆)
 最初は、安原さんと真砂子ちゃんの話をメインにして、コレをおまけにするつもりが。メインが書けませんでした(吐血)その上、ナル麻衣であったかはちみつミルク……キワモノも極まれりな感じで……(崩壊)
2004.2.14HP初掲載
 
 
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