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星祭り




 星降る夜に、異界との橋が架かる。


 しゃらしゃらと、独特の葉擦れの音をさせる笹の葉。
 色とりどりの短冊や飾り物がつけられて、夕風に、揺れる。
 子どもの歌う童謡が、どよめきに紛れて、湿り気を帯びた空気を渡った。

     ささのは、
  さーらさら 
    のきばに、
  ゆれる

   おほしさま きーらきら 
 きんぎん
    すなご


 とぎれとぎれの細い声。
 耳の止まるはずのない雑踏の中で、奇妙に耳に残る────。
 
 こどもの、うた。


 あれ、と眉を顰めたのは、まだ若い女性。
 腕を組むでもなく並んで歩いている、雑踏では珍しくないカップルは、それでもその容貌と存在感で際立っている。
「こどものこえ、きこえない?」
「子ども?」
「うん。………きのせいかな。凄く小さいんだけど、でもすごくはっきり」

 雑踏とは一線を画して。
 確かに鼓膜を震わせる、高く澄んだ子どもの、たどたどしい歌声。

「きこえない?」
「きこえないな。…………なにが聞こえる?」
 視線さえ向けていなかった漆黒の瞳が、正面から彼女の瞳を捉えた。
 その、透徹した瞳に明らかな興味の彩を見つけて、諦めたように彼女が呟く。
「………研究馬鹿」
「なんとでも。で?」
 さらり、ときりかえした涼しい白皙には何の色合いも浮かんでいない。
 彼女ははあ、と溜息をついて表情を元に戻した。
「うた」
「うた?」
「うん。七夕の歌。童謡なんだけど、知ってる?」
「僕は日本の慣習には詳しくない」
「少しはなってよ。………笹の葉さーらさら、軒端に揺れる、おーほしさま、きーらきら、てやつ」
 さわりを口ずさんで、彼女はかるく首を傾げた。
 彼は整いすぎた眉根をわずかに寄せて───ああ、と頷く。
「いつだったか、笹を立ててたやつか」
「そうそう!その歌」
「………それだけか?」
「うん。細い声なんだけど、歌だけ。」
「……歌詞を聴かせてくれ」
「………。笹の葉さーらさら、軒端に揺れる、おーほしさまきらきら、金銀砂子、五色のたーんざく、私がかいた、おーほしさまきらきら、空から見てる。」
「短冊って言うのは、去年願い事をかけとか言ってたやつか?」
「うん、そう」

 星にかける願い事。
 かいて、といった彼女に、彼は必要ないと紙を返した。
 彼女は、だよねえと苦笑して、とくに強要せずに紙を戻した。

「何故笹に、願い事をかけるんだ?」
「………え?…………知らないけど」
「……………偏見のつもりはないが、日本人はそういうのが多いな」
 溜息混じりに返されて、彼女は視線を微妙に逸らす。
 反論の余地は、いくら悔しくても全く存在しない。
「多すぎて、何がなんだか分かんなくなってるの。…………多分」
「………で、聞こえてくるのはその声だけか?」
「それだけだよ。一人の声。すごく細く」
「………道がひらいたんだろう」

 さらり、と零れた言葉に、彼女は目を見開く。

「え?」
「去年。安原さんに調べてもらった」
「七夕の由来?興味持ったんだ」
「大騒ぎだったからな」
「…………」
「近年の風習はともかく、もともとは天界と地上の交流の伝承と、農村部の霊迎えの風習が合体したものだそうだ。今の七夕飾りは子どもの祭りだそうだが………短冊の願いは、おりてくる天人か死者が読むということだろうと」
「あ、なるほど………」
「天人と死者はどう違う?」
「………知っててからかってる?」
「純粋な疑問」
 さらりとかえってきた答えに疑わしげな瞳を一瞬向けて、彼女はかるく首を傾げる。

 二人の足どりは緩まずに、雑踏を抜けて高層マンションのエントランスをくぐった。
 誰も居ないエレベータホールは静まりかえっていて、彼女の声はひどく澄んで響く。

「あんまり違うものじゃないと思う。素人知識だけど。………輪廻転生って知ってるよね?」
「当然」
「死者は、死んだ人、でしょ?」
「字義通りだな」
「天人は、それの転生ってことだから。………これもうろおぼえだけど、五色って天界の色、らしいし」
 神社とか、お寺とか、よく見るでしょ?
 付け加えられた問いかけには反応せずに、漆黒の青年は上昇するエレベータの中で数瞬だけ思考を巡らせる。


 天人となったこどもが前世を懐かしんで降りてきたのか。
 輪廻の輪に加われず、さまようこどもが願いを探して歌うのか────。


 部屋に入り、空調のスイッチを入れるより先に、彼女は窓を開けて空をみあげた。
 高層階の風がつよく吹き込んで、彼は端正な顔を顰める。
「やっぱり、東京じゃ星は見えないね」
「明るすぎるからな。それに曇りだろう」
「旧暦じゃないと駄目だね〜」
 小さく苦笑して、名残惜しげに夜空に視線を戻す。
 琥珀色の瞳が闇色の空をうつして、深く染まる───。

「子どもの声は?」
「ううん。今はもう聞こえない」
「………通りかかっただけなんだろう」
「うん。そうだといいね。………泣いてなかったから」
 本当に、そうだといい。
 目を閉じて、祈るように細い指を組み合わせる。

 落ちた沈黙は一瞬だけで、彼女は窓を閉めてくるりと振り返った。恋人の冷徹な美貌をにこりと笑って見上げて、それからうん、と頷く。
「麻衣?」
「ううん。ありがとう」
「………別に」
 抑揚のない答えを返した彼の頬に手を伸ばす。両の頬に触れて、そして滑り落ちた指先は彼の肩で縋るように止まった。
 まっすぐに、視線を絡めて、囁くようにいのるように、彼女は呟く。

「会いたい人がいたなら、会えたらいいね」
 それが、もう居ない人かもしれないけれど。
「…………そうだな」
 抑制した、声。
 返答がかえったことに驚いた綺麗な瞳を、闇色の視線が捉えた。
「ナル?」
「………会いたいか?」
 たとえ夢でも。

 対象は限定しない問いかけに、彼女は笑って首を振る。
「ううん、いいよ」
「そうか?」
「うん。………さっきの子の声、悪い感じはしなかったけど、とても寂しそうだったから」
 だから、あたしはあえなくてもいい。

「だいじょうぶだよ、あたしは幸せだから、きっと心配なんてさせてないから」

 あえなくてもいい、という言葉は100パーセント事実ではないかもしれないけれど、それは願望でもある。
 麻衣は、一歩踏み出して、彼の胸に額をつけた。

「あたしはひとりじゃないよね?」
「………」
「………別に、七夕に会える人を待たなくても……」
 答えのかわりに、軽い溜息と一緒にやわらかな髪に軽いキスが落ちる。
「本気で聞いてるのか?」
「……いや、そういうわけじゃないんだけど………」
「僕は幻になった覚えはないんだが」
 
 頬に触れる、冷たい指先。
 伝わる鼓動と温もり。
 確かな実体を持った存在が、誰よりもそばに在る、実感。

 麻衣はくすりと笑って、頷く。

「うん、そうだよね。………ありがとう」
 背を伸ばして耳元に囁いて。
 麻衣は軽く彼に抱きついて、そして離れた。
 まだ指先をナルの腕に残したまま、問いかける。

「ね、ナル。お茶淹れるね。何がいい?」
「………麻衣の好きなものを」
「了解。ありがと」
 くすりと笑って、麻衣はくるりと身を翻してキッチンに姿を消した。

 
 一人残された青年は、闇に沈む窓を見る。
 明るい空に星は見えない。
 鏡のようなガラスに映る自分は何処までも自分で、感じた安堵と苛立ちを溜息とともに飲み込んだ。



 星の空。  

 今年の邂逅の夜は、いったいどれほどの道がひらくのだろう。


 会えればいい、会いたいという刹那の願いのよすがに。
 星祭りには、異界との間にかけられた橋を渡る。






 七夕限定アップです。……一体どのくらいの方が読んで下さるか分かりませんが、少しでも楽しんで頂ければ嬉しいです。
2002.7.7 HP初掲載
2002.9.27再掲載
 
 
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