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毎日のニュースのトップを桜の開花情報が飾るようになる。 ちょうどそのころ、震い年度がおわり、新しい年度がはじまって、空気は慌ただしさの度合いを増す――――。 そんな日本の恒例とは無縁に、東京渋谷のSPRオフィスは普段の業務をこなしている―――はずだった。桜が咲こうが年度がかわろうが、心霊調査事務所には関係がない。しかも本部はイギリスであるこのオフィスに、日本の年度は関係ない。 ただ、それは、出入りする人間を除いては。 所長と、本国から派遣されている調査員である青年はとにかく、バイト調査員も事務員も日本人で、日本の年度の入れ替わりに無縁でいられるわけもなく、ついでにいえば日本人に独特の桜の誘惑から無縁でいるわけにはいかなかった。 「桜、咲き出したね」 かちゃり、と微かな磁器の触れあう音と、挨拶代わりの言葉に、白皙の青年は軽く眉を上げる。 「それが?」 「あ。怒ってる」 珍しく、間髪入れずに反応が返って、彼女は小さく目を見開いた。 「別に怒ってはいない」 無駄だからな。 言外にそう言って、彼は白いカップに手を伸ばした。 丁寧に淹れられた紅茶の馥郁とした香気が感覚に触れて、ナルはカップに口を付けた。 「そう?その割には反応早かったけど」 「……桜がどうした」 揶揄には応えず、言葉の先を促す。麻衣は言いかけた言葉を軽くのみこんで、口調を切り替えた。 「咲き始めたっていったの」 「それが」 「それだけ」 麻衣は、くすりと笑う。 どこか謎めいた笑みに、漆黒の青年は軽く眉を顰めて――――そして、意識の焦点を資料に戻した。 街灯にてらされた桜花の下で、少女がふわりと上を見上げる。 「あ」 「麻衣?」 「桜」 「そうだな」 桜は盛り。 名所といわれる桜の景勝地は夜桜の見物客で賑わっているのだろうが、都会の片隅の公園に忘れ去られたように咲く桜のそばに、人影はなかった。 「昼間は子どもとかいるのかな」 「さあ」 まるで興味ない。 言い流して通り過ぎようとした彼の袖を指先で捉えて、麻衣は慌ただしく周りを見回した。街灯を映す瞳が一点で止まって、ぱっと離れる。 「ごめんちょっと待っててすぐ戻るからっ」 「麻衣!?」 ぱっと駆けだした麻衣は呼びかけに振り返って拝むような仕草をして、それからくるりと身を翻した。その先にコンビニエンスストアの蛍光色の看板を捉えて、ナルは溜息をつく。 何か思いついたのだろうが、それにしても。 五分前後で息せき切って戻ってきた麻衣はコンビニの白い袋から、ナルに冷たい缶を手渡した。 「はい」 自分はそれより小さな缶を持って、ぷしゅ、と音を立てて開ける。 見直した缶には、「黒生」の文字があって、ナルは数瞬思考を停止させた。 「麻衣?」 「なに?」 「なんだこれは」 「ビール。こっちの方が良かった?」 麻衣の掲げて見せた缶には、「ふじりんご搾り」の文字が見える。 「そういう問題じゃない」 「いきなりお酒買ってきたのは何故かってこと?」 「解っているなら最初から説明しろ」 玲瓏と響く声が一段温度を落として、麻衣はかるく首を竦めた。 説明は、するつもりではいたのだ。 ただ、説明してからでは逃げられる恐れがあったから最初に実力行使に出ただけで。 「うーんとね。お花見、日本人て、夜桜でもお昼でも、桜の下で宴会したりするでしょ」 「傍迷惑だな」 「うん。あたしもそう思ってたんだけど」 ついでに言うなら日本の恥だとさえ思っていたのだが。 「あれね、もともとは、神さまに宴を饗するって儀式から来てるんだって」 「………犠牲の儀式のようなものか」 ヨーロッパ、ギリシア・ローマの神々への饗宴は、牛やひつじを犠牲として捧げた後その肉を人間たちが神々の前で饗するというものだ。 麻衣は軽く眉を寄せて、首を傾げる。 「犠牲を捧げる、わけじゃないからちょっと違うかなあ。……桜は、神さまが降りてくる木で、だから、その下で人間たちが宴会をすることで、桜に降りてきてる神さまもその仲間に加わるってかんじ?」 「…………」 いい加減といえばいい加減な説明に、漆黒の青年は眉を顰めた。 「細かいことは良く分かんないけど。とにかく、昔の日本人って、そのくらい神さまと人間の距離が近かったんだと思う」 「それは解る」 「うん。それでね、だからこれ」 麻衣はにこりと笑って、酒の缶を掲げてみせる。 「……………」 「この桜に降りてきてる神さまと、ちょっとの間だけ♪」 「……………」 にこにこ笑顔の、鉄壁の琥珀色の瞳と、限りなく氷点に近い漆黒の瞳が交錯する。 しばらくの間視線だけで戦って、麻衣は白旗を揚げた。 「だから。………桜の下には死体が埋まっている、だから桜はあれほど美しいんだ、っていうのがね、あるの」 「なんだそれは」 「日本文学」 一言で返して、麻衣は視線は桜に向けたまま続ける。 「死体云々はとにかくさ。死者の霊って神さまになるって考え方あるじゃん。日本には」 「………ああ」 「死者の霊がたくさん、桜の花に降りてきて、それで生きている人たちと束の間の饗宴を楽しむのだとしたら?」 それは、数日間だけ許される。 生と死との、束の間の邂逅。 「非科学的な話だな」 「いいじゃん別に。………だから、この桜に降りている神さまでも霊でもいいけど、ほんのちょっとだけ饗するのも良いかなって思ったの」 まあたしかに突拍子もない思いつきだったとは思うけどさ。 軽く苦笑して、そして麻衣は酒杯ならぬ酒缶を、桜に向けた。 「ひとときだけの、饗宴をともに致しましょう」 そうして、缶を口に付けて、こくんと一口飲んでからにこりとわらって美貌の青年を見上げる。 「ね?」 「………後で飲み直すからな」 「………つき合います」 はい、と神妙に頷いた彼女の表情に、くすりと妍麗な笑みを滑り落として。 漆黒の美貌の青年はビールを掲げるとほぼ一息に飲み干した。 応えるように桜がきらめく。 光を映してか、光を灯してか。 夜に映える桜花が、邂逅の宴の夜に。 |
キリ番以外の更新は久々です…(汗)でも当初目標は5000(だっけ?)の「鏡花な感じに幻想的なナル×麻衣」だったり(吐血)………いや、でも初期目標はともかくとして、シチュエーション的には個人的に気に入ってたりします(笑)めったにないだろう!ってことで。←そんなのばっか。 2003.4.5 HP初掲載
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