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眠りを破る、小さな電子音。 眠りの靄を破る、音。 アラームの音だと認識して、意識を覚醒させる。 目覚ましが実際に鳴るまで眠っていることは珍しい。流石に疲れていたのか、と苦笑して。 ────気付いた。 傍らの、温もり。 異質で、けれど馴染んだ。 ここに、在るはずのない、気配───。 ゆっくりと眼を開いて、腕の中の存在を、確かめ直す。 想像の産物でも幻覚でも、意識体でもない、実体。 ふれる、あたたかな温もり。 慣れた、気配。 純白の布地を纏った、華奢な肢体。 カーテンの隙間から差し込む陽光が照らし出した白い貌は、紛れもなく麻衣のもの。 今は日本にいるはずの、離れていた恋人の。 信じられない、というよりも前に、眼前の存在がまだうまく認識できていない。 いかに不世出の天才と言われようと、寝起きの頭脳は未だ上手く回転してくれない。 呆然と、彼女を見つめる彼の前で、細いからだが小さく身じろいだ。 陽光の筋がまぶたにでも当たったのだろう。眉を顰めて、光から顔をかくすようにきゅーっとまるくなって。 唐突にすとんと力が抜ける。 「う………ん?」 トーンの高い声はまだぼやけている。真っ白い袖でこしこしと目をこすって、琥珀色の瞳を開いて。 白皙の美貌を見つけて、ふわりと微笑う。 襞のたっぷりとられた白い腕を伸ばして、ほとんど引かれるように身をかがめたナルの首に抱きついた。 「ナルだー!」 耳元に触れた唇の温もりも。 頬に触れた栗色の髪の柔らかさも。 囁く声の、吐息も。 記憶と寸分の狂いもなく。 「麻、衣………?」 「そうだよ」 耳元でくすくす笑う、声。 「信じられないなら、確かめて?」 密やかに囁いて、麻衣はナルに抱きついたまま身体を起こした。 カーテン越しでも陽光は充分に明るい。 麻衣の手が伸びてきて、頬に触れる。華奢な身体を左腕で抱き留めて、ナルは淡い色彩の髪を指先で梳いた。緯度の高い陽光に透けて、金色に、空気をはらんでこぼれ落ちる。掬うように耳元に、頬に、指先が辿っていく。 じわりと潤んだ琥珀色の瞳から、涙が雫になってこぼれ落ちる前に軽いキスが触れて、拭う。 震えた唇が何か言いかける前に唇が軽く重なって、離れた。 視線は外れずに、そのまま絡まったまま、離れない。 「麻衣?」 「うん、そう」 「………どうしてお前がこんなところにいる?」 根本的な疑問と言うべきだった。 麻衣はいまは日本にいるはずで、ここは間違いなくイギリス、ケンブリッジのナルの自室だ。 光をまといつかせた頭を小さく傾げて、彼女が記憶を辿っていく。 「………昨日、なのかな?いきなり、まどかさんに捕まってパスポートとかを探させられて、飛行機に乗せられたのまでは覚えてるんだけど、よくわかんない」 「………………」 薬か、アルコールか。 何か飲まされたのだろう。 彼女だけでなく、今まで気づきもしなかったことを考えれば、自分も昨夜一服盛られた可能性が高い。 軽く瞑目して、それからまた麻衣に視線を戻した。久しぶりに見る琥珀色の瞳は綺麗に澄んで、変わらない。 「起きた瞬間、驚かなかったのか?」 「…………驚いたけど。ナルだったし」 まどかに連れられてきたのだし、飛行機の行き先がロンドンであることくらいは分かっていたから、行き先は想像がついていたものの、まさかいきなりナルのベッドで目が醒めることになろうとは思っていなかったけれど。 「でも、ずっと逢いたかったから。………びっくりしたより、嬉しかった」 一瞬夢かも、とは思ったけどね、と笑った麻衣は、恋人の胸に顔をうずめる。縋るようにしがみついた腕も、抱き締めてくれる腕も、緩まない。 「…………ほんとに、逢いたかったんだよ。ずっと、我慢してたのに………不意打ちはひどい」 声に、涙が滲む。 意識がはっきりしてくれば、感情も明確になる。 震えた細い肩を抱きなおして、ナルは苦笑混じりに囁いた。 「不意打ちは僕も同じだけどな」 「…………驚いた?」 「幻覚でも見ているのかと思った」 「……………ナルも、逢いたいって思ってくれてた?」 問われて、苦笑する。 見上げてくる瞳の濡れた睫に軽くキスして、囁いた。 低く抑えた声に、微妙なトーンが混じる。 「お前は、僕のバースデープレゼントのようだからな」 「………あ、そっか。お誕生日おめでとう、ナル。………で、なんであたしが?」 「一ヶ月ほど前に、まどかが、誕生日に何が欲しいかと聞くから、別にないと答えた。そうしたら、それなら、あなたが一番欲しいものをあげるわと言われた」 「………あたし?」 「状況を見ると、そのつもりらしいな」 「………………まどかさん……………」 「ものには限度がある」 さすがに呆れて力無くナルの肩に額をおとした麻衣の呟きに、疲れたように返して、ナルは彼女の身体をベッドに抱き下ろして立ち上がった。 「この分だと下で待っているんだろう。着替えは?」 「…………わかんない」 半ば薬を盛られて拉致、ではそんなものが在るわけがない。 彼女の格好はナイティというわけではないから大丈夫だろう、と判断して、ナルはクローゼットの扉をひきあけた。 「着替えるから待ってろ」 「………うん、わかった」 ごく普通の黒のスラックスに黒いシャツ。 手早く着替えたナルは、ベッドに座り込んだままの麻衣の手を取って立ち上がらせようとして────眉を顰めた。 純白の、ワンピースなのだろう。繊細なデザインのレースがふんだんにあしらわれ、たっぷりしたひだのとられたそれは、アンティークドールか何かのドレスに近いかもしれない。ドールのドレスはもっとさまざまな色が使われていた気がするが。 こんなの着たことないよ、と当惑気味に手首のサテンのリボンをおそるおそる引っ張っている麻衣に責はない。 問題は、時代錯誤なデザインではなかった。 麻衣に似合うように選ばれたのだろうそれの最大の問題は、裾が長いこと。 このままでは、確実に歩けない。 そうでなくても、部屋の中には彼女のものらしい靴も部屋履きも、見あたらない。 考えるまでもなく明確すぎるほどはっきりと、上司の意図が透けて見える。透けて見えると言うより高笑いして主張している。 怒るよりも呆れが先に立って、ナルはふかく溜息をついた。 「ごめん………」 「悪いのはお前じゃない」 首に軽く腕を回して、申し訳なさそうに謝った麻衣に、凪いだ声が答える。 腕にかかる重みは───記憶と変わらない。 麻衣の身体というより無駄に布地の多い服の所為で足元が見えない分、万が一にもバランスを崩さないように、慎重に階段を降りる。降りた先、リビングの扉は予想に違わず開いていて、ナルは軽く目を眇めた。 「皆さんお揃いで」 皮肉をたっぷり込めた、声質だけはいいものの冷え切った声が響く。 朝も早くから、養父母だけではなくまどかにリンまで揃っていれば、言い逃れの余地はないだろう。 養父母は軽く朝の挨拶を口にして微苦笑を浮かべただけで、リンに至っては目礼しただけだったが、難物の上司はにっこり笑ってひらひらと手を振った。いつものことだが、全く堪えていない。 「あら、早かったじゃない。もうちょっとかかるかと思ったわ」 さらりと返して、居間に入ってきた二人をもう一度見直した。 「それにしても、苦労の甲斐があったわ!!滅多に見れないものだもの!」 まどかの感想には確かに同意の余地があった。 花嫁衣装並みに純白の、アンティークドレスのような衣装を纏った恋人を抱いたデイヴィス博士、などという図はそれほど見れるものではない。多分金輪際無理だろう。 「まさか素足で歩かせるわけにはいきませんでしたからね、森女史」 凍り付くような美貌に絶対零度の微笑を浮かべて、ナルはまどかを見返した。 さすがに首を竦めた彼女を一瞥して、二人がけのソファに座っていた養母の隣に麻衣を抱き下ろす。するり、と手が離れる瞬間に細い指先が軽く指に絡んで、そして離れた。 ナルはそのまま、彼の定位置になっているソファに座って、上司にまっすぐ視線を向ける。 「どういうことか説明してもらおうか」 「簡単よ。バースデープレゼント、あげるって言ったでしょ?」 「それは聞いたが、そういうことを聞きたい訳じゃない」 「経緯のこと?」 「そう」 「一昨日、私が日本に飛んで、麻衣ちゃんを連れて帰って来たのよ。時差もちゃんと計算してね。……ちなみにその服は、アンティークドールのドレスの縫製とか修繕をやってる友達に頼んで人間用を作ってもらったのよ。普通はもっと色使うんだけど、全部白って頼んで。………あ、麻衣ちゃん、あとで写真撮らせてね。結構大変だったらしくて、写真だけでも見せろって言われてて」 いきなり話を振られて、一度、二度、ぱちりと目を瞬いた麻衣は、あ、はい、と頷いてから、ナルに一瞬だけ視線を向けた。 「で、麻衣を眠らせて、そのドレスを着せて、昨夜僕のベッドに置いていったというわけか」 「そうよ。……吃驚したでしょ?麻衣ちゃん可愛いし、嬉しくなかった?思っていたよりずっと可愛くて私すごく満足なんだけど」 目が醒めた瞬間の、おどろきと、説明などできるはずもない心の波立ち。 信じられないという思いと、見つめていたら消えそうな恐怖が同居する感情の揺れなど、認めたくもなかった。例え彼女に囚われていることがどうしようもない事実でも、それは認めていても、そんなものまで他人に説明する気は全くない。 漆黒の瞳に剣呑な色が走って、それに気付いた養父母が苦笑混じりに仲裁に入る。 「ナル」 「でも、本当に可愛いわ。私もおどろいたもの」 ルエラが紫の瞳を和ませて傍らの麻衣の髪を梳いて、白い衣裳の華奢な肩を抱いて息子を見やった。 「だいたい、呆れるならともかく、怒らなくてもいいじゃない」 「怒る要因がないとでも?」 「あるかしら?」 「主に三つ。……僕に薬を盛っただろう」 「………あら、気付いた?」 「当然」 「だって、そうでもしなきゃあなた起きるでしょう?起きちゃったら意味ないんだもの」 知り合いの医師に呆れられながら、前後不覚確実な睡眠薬を処方してもらったまどかは首を竦めた。 上司の反応には構わず、ナルは平坦な声のまま、言葉を続ける。 「二つ目。……麻衣の了解を取らなかっただろう。彼女には彼女の生活と予定がある。大学も学期途中じゃないのか」 「確かに、麻衣ちゃんに説明はしなかったけど。でも大学は秋休みなことは確認したし、一応一週間予定は開いてるか確認したわよ。ね、麻衣ちゃん」 「………え、あ、はい」 また突然矛先が向いてきて、麻衣は肩を竦めて、一応同意した。……確かに一度家に連れて帰られる途中に、一週間以内にとくに予定があるかと聞かれた………ような気がする。実際に特別な予定はなかったのだが。 「それでも、まともな説明はしなかった上に、麻衣まで眠らせてここまで連れてきた。立派な拉致じゃないか?」 「………それは、そうだけど」 旗色の悪くなったまどかは僅かに首を竦めて頷いた。確かにあまり誉められたことではない。 「麻衣ちゃんにはあとでちゃんと謝るわ。ちゃんとした着替えも渡さなきゃならないし」 「それから三つ目。………リン、設置したカメラの電源を全部落とせ。………僕の部屋にはないようだったが、階段の途中からあったな」 「…………はい」 溜息をついて立ち上がったリンはリビングの三カ所でビデオカメラの電源を切り、リビングを出ていった。 「気付いてたの?さすがね」 「機械音がすれば分かる」 「…………勘が良すぎるのも考え物ね。今度から消音器つけようかしら」 上司のコメントにはあきれたような溜息だけで返して、ナルは口調を切り替えた。 「まどか。とにかく麻衣の着替えと靴。用意してあるんだろうな」 「もちろんちゃんとあるわよ。でも、その前に写真撮らせてね」 これだけは譲る気はない、ときっぱり断言する。まどかはちょうど戻ってきたリンにカメラの用意を頼んで、苦笑混じりのマーティンは運んできたアンティークの椅子を庭に面した窓辺においた。 撮影会は、漆黒の冷たい視線にめげずに、まどかが満足するまで敢行された。 用意された着替えも靴もまどかが予め揃えて置いたものらしく、いかに彼女がこの企画を楽しんだか雄弁に物語っていた。麻衣が着替えているうちに、軽いティーパーティーに似た朝食の席がしつらえられて、なんとか和やかに食事を終える。 会話が途切れて、その沈黙の空隙に。 澄んだ金属音に似た磁器の音がかすかに響く。 カップをソーサーに戻したナルが、綺麗な動作で立ち上がった。 「麻衣」 「え?」 呼ばれて、ふり返った彼女を、背の低い椅子越しに軽く腕を掴んで引き上げる。難なく華奢な身体を腕の中に抱き上げて、美貌の青年は養父母とゲスト二人に完璧な笑顔を向けて会釈して見せた。 「朝から丁寧なお祝いをどうも。……それでは僕は部屋に戻りますので」 「部屋?」 「検討中のテーマがひとつある。あれを片付けたいから」 無表情の答えに、誰も異を唱えなかった。 ルエラが、苦笑気味に確認する。 「午後のお茶には降りてきてちょうだいね、ナル。折角のお誕生日だから」 「分かった」 かるく頷いて、呆然としたままの麻衣を抱えたまま踵を返そうとした彼は、上司に引き留められた。 「待ってよナル。あなたが仕事に走るのは今更止めないけど。麻衣ちゃんはいいじゃない。私達も久しぶりだし話したいわ」 「まどか。「これ」はまどかが僕にくれたプレゼントじゃなかったのか?」 まどかの発言に、養母や当の麻衣がなにか反応する前に、間髪入れず帰った怜悧な声。 無表情のその声に────まどかは反論できなかった。 琥珀色の瞳を何度か瞬いたものの結局何も言えなかった麻衣を抱いたまま、漆黒の青年は踵を返す。静かな、階段を上る足音がリビングまでひくく韻く。 二階の部屋の扉を閉める低い音が伝わって、漸く、息をついて。 溜息が、期せずして重なって、4人の大人は思わず顔を見合わせた。 美貌の青年の養母が、くすくす笑う。 二階を振り仰いで、穏やかな紫の瞳に優しい微笑を、そして唇に、空気をかすかに震わせるほど密やかな言葉をのせた。 Happy birthday, my dears ! |
count12000hit、ほりまゆみ様に捧げますv リクエストは「ナル×麻衣で「誕生日プレゼント」の話」でした。順番すっとばしてますが(汗)すみません。 企画からの再掲載という形になってしまって申し訳ないのですが、これで許していただけると嬉しいです。重ねてごめんなさい。 内容的には、ただひたすらひらひら麻衣ちゃんを抱えて階段を降りる博士vを妄想しただけだったりします………(爆破)ちなみに、麻衣を連れて部屋に戻っても、博士はしっかり仕事するんだと思います(笑) 2002.9.16 お誕生日企画へ掲載
2002.9.24 再掲載 |
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