back to novel_index
back to index


  
虹のたもと




 
 ヨンヴィル国のはずれ、辺境の虹の谷。
 なかでも「楽園」の朝は、はやい。
 
 住人の中で一番早くから起き出すのは、ファリスだ。
 一見したところ赤毛の美少年にしか見えない彼女は、日の出とほとんど前後して目覚め、手早く身支度して外に出る。顔を洗って、外に出て、まっすぐに厩に向かう。愛馬に笑顔で声をかけ、丁寧に世話をする。
 ───馬に向ける、素直できらきらした笑顔を少しでも「意図的に」人に向けられたらいいのに、とは、誰も口には出さないが、学友全員が思っていることだ。
 ファリスが愛馬に声をかける頃になって、マリアとナハトールが前後して部屋を出てくる。一応の恥ずかしくない程度の身支度は済ませたマリアはまだ眠い目をこすりながら、けれどお天気のいい日は外をみて、純真な瞳に満面の笑みを浮かべる。
「今日はお天気だねっ!」
 天気のいい日、マリアはいつにもまして上機嫌だ。
 エプロンを掛けながら厨房に向かうナハトールと鉢合わせて、にこっと笑う。
「おはよー、ナハさん♪いい天気だねーっ」
「おはよう、マリアちゃん。今日も元気だね」
「うんっ!だってこんなにいいお天気なんだもんね。それだけでマリア幸せだもん!」
 曇りのない、笑顔。 
 マリアは実は偉大なのかもしれないと思って、ナハトールは笑う。
「そうだねえ」
「ナハさん、お馬さんは?」
「ファリスちゃんがやってくれることになってるんだよ。月白ちゃんと一緒にね。あいつも最近はその方がいいみたいでさ」
 やっぱり女の子のほうが好きなのかね、とのほほんと答えて、ナハトールはねかせておいたパン種を取り出した。
「さて、マリアちゃん。こっちは朝ご飯の準備をしようか」
「うんっ!」
 マリアは茶色の巻き毛をふわりと揺らして、笑った。

 厨房のかまどでパンが焼き上がる頃に部屋から出てくるのはサラだ。たいてい、前夜に持って入った本を返すために図書室を経由して、食堂を覗く。
「あ、サラちゃんっ!おはようっ!」
「おはよう、マリア。それにナハトール」
「おはよう、サラちゃん。ちょうどパンが焼き上がったところだよ」
 食堂中に、香ばしいいいにおいがひろがっている。
「もうすぐ朝ご飯だよー。あのね、ファリスちゃん、まだ外にいるから呼んできてくれる?」
「ファリスはまた剣の稽古か?」
「戻ってこないからそうみたい。真面目さんだよねー、ファリスちゃんってば。そこがいいとこなんだけどー」
「そうか。呼んでこよう」
 無表情のまま、サラは踵を返した。

 厨房を迂回して、外に出る。
 燦々と輝く太陽の下、朝のさわやかな空気の中で素振りに没頭しているファリスに、一定の距離を保って話しかける。不用意に背後に近づくと怪我をするおそれがあるからだ。───ファリスなら寸止めも可能だろうが、多分彼女はそれだけでショックを受けるから。
「ファリス」
「……あ、サラ。おはよう」
 振り返った赤毛の先で、散った汗のしずくがきらきらときらめく。
「おはよう」
 稽古に没頭していたはずなのにすぐに反応したファリスは、額の汗を拭って笑顔になった。
「どうしたの?」
「朝食だそうだ」
「あ、もうそんな時間なんだ。わざわざありがとう、サラ」
「いや。私は頼まれただけだから」
 サラは首をふり、先に立って歩き出す。
 ドアのところで追いついたファリスは、食堂とは逆方向に足を向けて、サラに伝言を託した。
「手と顔洗ってから行くから。……あ、殿下にも声かけた方がいいかな?」
「そうだな。多分」
 ダナティアはおそらくずっと前に目を覚ましているだろうから、声をかける前にタイミングをはかって出てくるだろうけれど。
「それじゃすぐ行くから」
「わかった」

 予期していたとおり、ファリスがドアをノックしようとするのとほぼ同時に扉が開く。
 帝国のプリンセスは、たとえ質素な身なりだろうとも身だしなみには一分の隙もない。おそらくここに来るまではずっと侍女の手に任されていただろう豪奢な黄金の髪をきちんとまとめ、圧倒的な美貌には眠気のかげもない。
「あら、今日はファリスなの?」
 楽園の娘たちの中で、ダナティアを呼びに行くのは、ファリスかサラのどちらかと決まっている。マリアは支度に忙しいからだ。
「そう、殿下。おはよう」
「おはよう」
 凛然とした声音と高飛車、いや、高貴な口調は、まったく古びた廊下には似合わない。最初は違和感に戸惑ったものだが、誰もがもう慣れた。
「食事でしょう?」
「そう。私もそれで呼ばれたんだ」
「また剣の稽古をしていたの?」
 歩き出しながら、前を向いたままのダナティアに問われて、ファリスは頷いた。
「そう。ちゃんとしとかないとなまりそうで」
「どうせあとでナハトールとするんでしょうに。あなた、筋肉だらけになってしまってよ」
「……………」
 答えに窮したファリスをちらっと見て、彼女は付け加えた。───この学友は、真面目すぎるから時々フォローが必要だ。
「まあ、今更だわね。それに、フレイ・アルフォイは気にしないと思うけれど」
「……何でそこでフレイが」
「そのくらい自分で考えることよ」
 出てくるの、という台詞を言わせずに切り返したダナティアは、まっすぐに食堂に入っていった。
 既に席に着いていたサラが振り返って、能面のような無表情で手を振る。
「おはよう、殿下」
「……………おはよう」
「あ、殿下だ。ファリスちゃんも、おはよーっ!」
「おはよう、マリア」
 金色のオムレツの皿を器用に四枚持ってきたマリアが満面の笑顔をふりまく。手を振らないのは塞がっているからだ。
 手際よく───家事に関してだけは彼女は全く外見を裏切って優秀極まりない───オムレツの皿を並べ、ぱたぱたと台所と食堂を往復する。オムレツに続きフルーツとチーズとミルクを運び、最後にナハトールがお茶の大きなポットと人数分のカップを持ってくる段になって、ようやく師匠が食堂に姿を現す。
「あー。みなさんおそろいですねー。おはようございますー」
「おはようございます、エイザード」
「お師匠さま、おはよー!」
 律儀に立ち上がったファリスが会釈して、お茶を給仕していたマリアはポットをおいて手を振る。
「おはよう、お師匠様。おそかったなあ。また、朝飯はいらないのかと思ったぜ」
 茶化した料理番に、師匠は袖口で涙を拭うふりをする。
「冷たいですねえ……。一言くらい、起こしに来てくれてもバチはあたらないと思うんですけど」
「あたくしたちは全員自主的に起きていますわよ、エイザード!朝食を食べたいのならまともに起きるのが当然だわ」
「正論だ、殿下。……しかし、どうしてもというなら、だが。エイザード。寝込みを襲ってもいいのなら、明日から不肖私が起こしに行ってもいいが、どうだろう?」
 あくまで無表情に、最年長の弟子の神秘的な色合いの瞳を向けられて、エイザードはおもわずぶんぶんと首を振った。
「いえけっこうですサラ。ダナティアの言うとおり、自分で起きるよう努力しますから」
 一気に目が醒めたらしいエイザードがばさばさの髪を手櫛でなおしながら妙に真剣な顔でテーブルにつくと、既に席についていた弟子たちを見回した。
「みんな、元気ですね。いい天気ですし、修行日和です。今日も頑張りましょう」
 エイザードの台詞に吹き出しながら、ちょうど焼きたての香ばしい香りを漂わせたパンを持ってきたナハトールが最後に自分の席につく。
「顔がひきつってるぜ、お師匠さま?」
「気のせいです、ナハトール。……せっかくの料理がさめないうちにいただきましょう。今日の授業の内容は、いつものように食事のあとに説明します。みんなお祈りはすませましたね?」
「はーい!今日のオムレツ自信作なのー♪みんな食べてねっv」
 勢いよく手を挙げたマリアが満面の笑みでアピールする。
 黄色いオムレツの外見はいつもどおりだが、何か仕込みがあるのだろう。
「それは楽しみだ、マリア」
「そうだね。それじゃ、いただきます」
 うむ、とうなずいたサラに同意して、ファリスはあくまで礼儀正しく会釈する。

 マリア推奨のオムレツにほとんど一斉に手がのび。
 ほかほかと湯気を立てるパンに、金色のバターがとろける。

 虹の谷の楽園で、朝がはじまる。
 虹のたもとに、ひかりがさした。





 count14000hit、特別リク権を差し上げた(押しつけた?)たまさまに捧げますv
 リクエストは「『楽園の魔女たち』四人娘in楽園。(お師匠様付き)」でした。
 集英社コバルト文庫、樹川さとみ先生の『楽園の魔女たち』シリーズの二次創作です。あと一冊で終わってしまうという局面です。来月最終巻が出る予定です……。
 リクの割には師匠が出てませんね。何か、楽園では四人はてんでばらばらな修行をしてそうで(得意分野のばらばらさ加減を考えるとそうとしか。)殿下なんて杖一本でリーン・イプスよびつけて仕事もしてそうだし(笑)で、やっぱり朝かなあ、と。
 朝のイメージは好き。何かの予感とか期待とかいっぱい詰まっている感じ。

2004.6.8 HP初掲載
 
 
back to novel_index
back to index