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雲ひとつなく、どこまでも青く澄んだ空。 吹きすぎる潮風は、強過ぎもせず弱過ぎもせず、ちょうどいい。 「うん、いい天気だ」 甲板に出た艦長は、「海の男」というイメージをぶちこわす顔に笑みをうかべて、後方の水平線を眺め、視線を転じた。 青い空に、白い鳥の影を見つけて、目を細める。 かもめ。 陸が、近い。 「少佐」 信頼する副長に声をかけられて、彼は振り返った。 仏頂面……いや、事務的な表情を保った副長は、淡々と告げる。 「予定通り、次の港に寄港できます。潮の流れも順調、風も滞りありません。………ついでに言えば、海賊の姿もないですな」 「それは大いに結構!」 ぱちぱちと拍手しかねない勢いで頷いて、フレイ・アルフォイ少佐はひらひらと手を振った。 「では、入港までは君に任せる」 「………アルフォイ少佐」 「僕は君を信頼している。問題はない」 「…………」 「なに、手紙の封緘さえしてしまえばまた出てくるよ。………ほかの船員の様子は」 ───これは本か?と思わず言いたくなるような艦長室の紙の束を思い浮かべてわずかに頭痛を覚えた副長は、それでも───感嘆すべき理性をもって!───淡々と答えた。 「問題ありません」 「よろしい。ところで君、次の寄港地はどこだったかな?」 「………それくらい覚えておいて下さい」 捨てぜりふめいた言葉を残して、堅実な副長は踵を返した。 冗談だったのに、というテノールは、完全に無視をして。 戦争中や緊急時を別とすれば、延々と海を漂っているわけにはいかない。すくなくとも一週間から十日おきに友好国の港に──これはできるだけ大きい方がいい──立ち寄って、補給をしなければならない。燃料のはもちろんのこと、それより重要なのは新鮮な水と食料(とくに野菜と果物)を積み込むことだ。 今度の寄港地はオールカ。立ち寄ったことがあるかどうかはあまり記憶していないが、大きな港であることは確かだ。 とにかく、たまりにたまった、手紙が出せる。 かれは笑顔で、艦長室に戻っていった。 梱包(そう、既に封筒にいれるとかいう次元ではない)作業は順調に終わり(当たり前だ。慣れている)、船員総員への指示をすませて、彼は船を下りた。今回の寄港は二日間、補給や帳簿担当のクルーは忙しいだろうが、艦長の彼は基本的に暇だ。よほどの面倒がない限り。 とりあえず、久々の揺れない食事を済ませて、燦々と降りそそぐ太陽の下、スキップしそうな足取りで郵便屋に向かう。大切な手紙───と伝票に書いたら不審な顔をされたがいつものことだから気にもならない───を託し、街をぶらぶらと歩く。 整備された美しい港町。 薫風に、街路の花が揺れている。 ふと、便箋がそろそろ底をついてきたなと思いつき、ちょうどすれ違った、品のよさげな中年の女性に声をかけた。 「失礼、そちらのご婦人」 声をかけられた方は大きく目を瞠って、それからにこりと笑う。 「なんでしょう?士官さん」 フレイは軍服のままで、将校であることが一目瞭然である。港町だから、海軍の人間も多い。珍しくもないのだろう。 「このあたりで、文房具が手に入る店を教えていただけませんか」 「文房具、ですか?」 「ええ。ペン先や……便箋や。そうですね、インクなども手に入れたいので」 言われて、婦人は考えるようにあとを振り返った。良家の夫人なのだろう、おつきの女中が控えている。 「ねえ、マーサ。心当たりあるかしら。あなた、あのひとのお使いにもよく行くでしょう」 「はい、奥さま。旦那様がよく使われるのは、バーリン商会の品物です。ものが確かだと、いつもおっしゃって。……もうすこし手頃なお店もありますが」 「手頃?」 フレイの深い瞳に見つめられて、まだ若い女中はわずかに頬を染めた。 「……はい。バーリン商会の品物は確かに良いものなんですが、高価で……もう少しお手頃なものを、おぼっちゃまは使っていらっしゃるので」 「なるほど」 フレイはにこりと笑う。 その「手頃な」店のほうを教えてもらおうかと思ったが──何しろ使用量が半端でない──頭のなかで、バーリン商会という名前が引っかかった。 バーリン、といえば。 ファリスの学友、サラの姓、だ。もちろん、関係がないかもしれないが、あるかもしれない。 可能性がある以上、ファリスに関係することを無視できるはずもない。 「では、バーリン商会を教えてくださいますか。……大切な人への手紙なので」 「まあ」 奥さまは口に手をあてて上品に笑って、後ろを振り返った。 「マーサ。私は先に行っていますから、こちらの士官さんをご案内してあげて」 「いえ、道をお訊きするだけでいいんですが」 「ちょっとわかりにくい店構えなんですの。すぐそこのはずですし、私はゆっくり参りますから、ご遠慮なく。……ねえ、マーサ」 「……はい、奥さま。将校さま、ご案内します」 小柄な女中はぺこりと一礼して、先に立って大通りを歩き出した。 店の入り口の前で、遠慮するマーサに少しのお礼をわたし、夫人へのお礼を伝えてくれるよう頼んでから、フレイは店を見上げた。 想像していたよりはるかに立派な店だ。 案内がなければ、宝飾店かと思って通り過ぎていたかもしれない。 流麗な自体の「バーリン商会」という看板を見直して、フレイは店の中に入った。 店のディスプレイを見ながら、高級だと言ったマーサの言葉に嘘はなかったと実感する。 文房具店ではなく、書斎周りの品と多少の洋品まで揃えられる店だ。珍しい実験器具や、見たこともない舶来の器物もおいてある。この程度の格式の店になると、商品は陳列されていない。ケースの中にディスプレイされているだけで、欲しいものは店員に言って出してもらわなければならない。 「お客様。ご用を承りましょうか」 店員のお仕着せらしい清楚な服装の娘に話しかけられて、フレイは数瞬迷ってからさっきの疑問をさきに解決することにした。 「……ちょっと伺いたいんですが。こちらに、サラ、というお嬢さんは……?」 娘はきょとんとした。 「……サラお嬢様ですか?いまここにはいらっしゃいませんが……」 彼女の言葉が終わるか終わらないかのうちに。 端正な顔立ちの青年が奥から飛んで出てきた。 ────それはもう、ものすごい勢いで。 「だっだんなさま!?」 「いま、サラと言わなかったかね!?」 「……い、いいましたけど……あの、こちらのお客様が……サラ、というお嬢さんがいらっしゃるかとおっしゃいましたので、サラお嬢様のことを……」 若旦那の形相に腰が引けている。 同じように思わず一歩退いていたフレイは、気を取り直して会釈してみせた。 「あ、あなたはサラとどーいうご関係でっ!?」 明らかに誤解されているなーとどこかのんきに思いつつ、店員が避難していくのを見送って、フレイはにっこりと笑った。 「虹の谷の楽園の、サラ・バーリン嬢の兄上ですか?」 「そうですが!……サラに、わたしたちの可愛いサラになにかー!!」 ………このひともそうとうらしい。 どこかさめた頭で答えつつ、手振りで落ち着くように示してから、言った。 「いえ、サラ嬢には直接関係は。ただ、虹の谷での彼女の学友の──ファリスというんですが………その、友人です」 友人、としか言えないことに多少の虚しさをおぼえつつ。 若旦那はそんなフレイの表情には気付かず、すこし考えるようなそぶりをして、それから、呟いた。 「……ファリス、さん。サラからの手紙で読んだことがあります。赤毛の、長身の……?」 「そうです」 大きく頷いて、フレイは続けた。気分はこの機を逃してなるものか、である。彼のペースに巻き込まれたら戻って来れないに違いないという危機感はたぶん現実にちがいない。 「手紙をかく道具を探していまして。街で聞いたらここを教えていただいたんですよ。それで、そういえばファリスに、サラ・バーリンという学友の名前を聞いたことがあったなと思って、伺ったわけです。もし関係があればいいと思っていたのですが、大当たりでした」 ノンブレスでここまで続け、フレイはとっておきの社交笑顔で続ける。 「申し遅れました。カズル海軍少佐、アジェンダのフレイ・アルフォイと申します」 「カズル海軍。……ああ、そういえば今日寄港された」 大きな商店の若旦那らしく、港の大きな動きは把握しているらしい。 「ええ。その船の艦長です」 「そうでしたか!こんな縁で、わたしたちの可愛いサラと彼女の友達の話ができるとは、嬉しい限りです」 ようやく、大店の若旦那らしい紳士らしさを取り戻した彼は、穏やかな笑顔に商人らしい丁寧さを添えて、一礼した。 「サラの長兄、ロイス・バーリンと申します。このバーリン商会の責任者です、アルフォイ少佐。………もしお時間があるようでしたら、奥でお茶でも?」 「それはありがとうございます、バーリンさん。……ただ、その前にすこし買い物をしたいんですが?」 フレイは笑って、人差し指をたててみせた。 「手紙用の便箋を100枚と、藍色のインクを二瓶、それにペンをみせてもらえますか」 ロイスは目を瞬いて───笑った。 「それは、ありがとうございます。品質には自信をもっておりますので、ご期待を裏切るようなことはないと思いますよ、少佐。………君!」 「あ、はい」 ちょうど後ろを通りかかった店員の女の子に、ロイスはフレイの注文の品を持ってくるように言いつける。 「手紙用便箋を一箱と、藍色のインクを二瓶、それからペンをこちらへ。それから、奥の応接室にお茶を用意するように伝えてくれ」 「はい、わかりました」 教育の行き届いた店員は、まずフレイに深々とお辞儀をしてから、若旦那に会釈して、その場を下がっていった。 まもなく出航だ。 航海長と副長と水夫長は走り回っているはずだが、艦長は比較的暇だ。──というより、今口を出したら間違いなく邪魔者扱いされる。 もちろんフレイは要らない口出しなどする気もなく、居慣れた艦長室で机に向かっていた。 開けた窓からはいる陽射しと潮風は、昨日と変わらずさわやかだ。 広げた紙に、早速書き始めた筆も滑る。 バーリン商会自慢の逸品だけあって、ペンも紙も、なめらかに書きやすい。ペンとインクは買ったのだが、便箋は一箱300枚を土産にと貰ってしまったから、当分は買わなくて済むだろう。────多分。 まあ、予測はどうでもいい。今ここには上質の紙がたっぷりと書きやすいペン、それにさわやかな陽射しがある。これで筆が進まなかったら嘘だろう。 書き出しの文句をそらでいくつか思い浮かべ、フレイはまっしろい紙に向かった。 愛するファリスへ。 港を飛ぶカモメの翼のように白い紙に、君への言葉をつづれることが僕はとても嬉しい。今停泊している港からは、もうすぐ出航だ。………ほら、錨をまきあげる音がしているよ。もう一度君と一緒にこの音を聞きたい。さわやかな潮風と、青い空は、海の最大の魅力だろうね。そう、君の赤い髪と榛色の瞳と同じようにね。そういえば、この町で、楽園へ手紙を送ったよ。もちろん、これが届くころにはもう君は読み終わってくれているとしんじているけれど。 そう、本当に、君への手紙は、楽園への手紙だ。 楽園。君が居る憧れの地。 なんだか響きがいいね。我ながら笑ってしまうよ。 でもこれは楽園への手紙だ。間違いないだろう? そこまでペンを走らせて、フレイはくすりと笑った。ファリスはどんな顔をしてこれを読むだろう。 それでも、これは本当に楽園への手紙。 たとえ、その意味が君に通じなくても。 鼻歌が出そうなフレイは、甲板で呼ぶ副長の声を聞きつけて、ペンをおいた。 楽園への手紙は、揺れる母なる海の上で続きを書こう。もっとさわやかな潮風と抜けるような空のもとで。 |
count15000hit、たまさまに捧げますv リクエストは「『楽園の魔女たち』少佐の出てくる、カラッとさわやかな話。」でした。 集英社コバルト文庫、樹川さとみ先生の『楽園の魔女たち』シリーズの二次創作です。あと一冊で終わってしまうという局面です。終わらないうちにかけて良かったです……。(滅)←リク貰ってからどれくらい経っていると。少佐、最初はなちゅらるにさわやかだったのに、さいきんはごんごんと燃えるオーラが熱い人になっているので純粋にはさわやかじゃないかも……(笑)楽しんで書かせて頂きました。遊びすぎは……御容赦下さい。(ぺこり) 2004.5.10 HP初掲載
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