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時間の階梯





「ま、間に合った‥‥‥‥‥‥」

 集合場所になっている教室に、ぎりぎりに飛び込んで、その勢いのまま友人たちの輪の中に突っ込み、麻衣は適当な位置にあったセーラーの肩に縋った。
 当初は整えられていた筈のスカートのプリーツもセーラーカラーも乱れ、やわらかに細い栗色の髪もめちゃくちゃになっていて、彼女がどれだけ焦って走ってきたかを証明している。

「ぎりぎりだよ麻衣!!」
「どうしたの?来ないかと思ったじゃんか!」
「せっかく久々に話せると思ってたのに、反則!」
 口々に責められて、麻衣は苦笑する。
 この程度の呼吸の乱れなら簡単に収まる程度には、華奢に見える身体は不本意ながら鍛えられていて、呼吸はもう完全に戻っていた。
「来ないわけないじゃんか、それこそ」
「来ない人だっているからさ」
 入試の日程はこれからも続く。
 私立は大概終わっているが、試験がなくても来ない人は来ない。
 麻衣は肩を借りた少女に目線で微笑んで、プリーツをなおし、めくれたカラーを元に戻して、手櫛で髪を梳き─────にっこりと笑ってみせる。
「あたしは来るよ。そういったでしょ」
「でーもー!!!こんなに遅れたら話も出来ないでしょ!!」
 
「それについては、ごめん。あたしもこんなに遅れるつもりはなかったんだけど」
 溜息混じりの麻衣の言葉に、がらりと扉を開けて入って来た担任の声が被さった。
「体育館に向かえ!とりあえず整列してな!」

 これから始まる、高校最後の行事────────卒業式。
 今日を最後に、三年間を過ごした高校に別れを告げて、クラスメイトたちはそれぞれの道に進む。就職組も進学組も、それぞれの未来に向けて直接つながる、それぞれの道を選択して、日本全国に散っていく。
 東京という場所柄を考えれば地元残留組が多いのは当然だが、中学卒業の時とは全く意味の違う、高校卒業という大きな節目。
 それは、「生徒」という子供の立場から大人の立場への、階梯。


 儀式に意味づけをするのはそれぞれの感情と、感慨。
 多少無理をしても来て良かったと、それだけなら下らない来賓の挨拶を聞き流しながら、麻衣は思った。




「で、麻衣。何で遅れたわけ?」
 式典後、事務連絡が片づいて、解散されたあとに麻衣は再び友人たちに捕まった。
 コンクリートで舗装されたスペースは、証書と花を抱えた卒業生でいっぱいで、ざわついている。
 麻衣は抱えていた証書を持ち直し、苦笑した。
「バイトでね」
「バイト?麻衣、やっぱりあのバイト続けてるんだ」
「うん」
「でも、卒業式の朝までバイト?」
 もっともな疑問だった。
 麻衣はあはは、と乾いた笑い声を立てる。琥珀色の瞳に剣呑な光が過ぎったことは、恐らく誰も気付いていないだろう。
「いや、そうじゃなくて。いま、予備調査中で、依頼人のとこに行ってたんだよね。本当は昨日のうちに戻ってくるつもりだったんだけど」
 予備調査とは言っても、本調査を行うことはすでに決まっていて、しかもその山場は一週間後であることまで分かっている。今は確かに一番忙しく、昨日も色々と事情があって出発できず、完徹したあげく現地を出発できたのは今朝五時だった。首都高が本格的に膠着する前に抜けられたから良かったようなものの、もう少し遅ければ完全に遅れていただろう。
 麻衣は表情に出さないように可能な限り注意して溜息をつき、明るい笑みを意図的にこづくりの貌に浮かべる。
「いろいろあってね、結局出たの、今朝」
「‥‥‥‥‥‥っていうか、予備調査って、卒業式終わってからにすればいいのに。そうさせてもらえなかったわけ?」
 呆れたような問いかけに、麻衣は力一杯頷きたいのを我慢して、曖昧に笑った。

「あたしもできたらそうしたかったんだけどね‥‥‥‥‥どっかのワーカホリックな所長様がね、卒業式に出るというあったりまえの希望をまともに取り合ってくださらなかったお陰でね」
 麻衣には珍しく皮肉が混じるのは、致し方ないだろう。
 卒業式に出ることを彼に納得させるのにどれほど苦労したか考えると馬鹿馬鹿しくなる。

 溜息とともに、無意識に首を振って栗色の髪がふわりと宙を舞ったとき。
 声質だけは耳に快い、低い声が、降った。

「別にまともに取り合わなかった覚えはありませんが?谷山サン?」
 
 反射的に振り返った先に、研ぎ澄まされた美貌。
「ナル!?」
 麻衣の驚きを受け止めて、彼は冷然と整いすぎた秀麗な口元に完璧な微笑を形作った。
 
 元々とんでもないレベルの彼の美貌は怖いほどで、近づき難ささえ醸し出していて───声をかけることも躊躇われた。傍観する麻衣の友人たちは、ただ、二人のやりとりを見守る。

「昨日のうちに出られなかったのは単なる不可抗力だ。僕のせいにするのはやめて欲しいが?」
「‥‥‥‥‥‥卒業式まで待ってって言ったのは聞いてくれなかったじゃんか」
 恨めしげな表情で見上げる麻衣に、ナルはくすりと笑う。
「強要はしていない。選択したのは麻衣だろう」
 予備調査に行く前に、ナルは確かに麻衣に選択肢を提示した。
 その時点────つまり、今から数えること三日前から、ナル自身とともに予備調査に参加するか、それとも卒業式が終わってから合流するか。
 麻衣が調査に行くことを選択した理由は、ただ、そばにいることを望んだから。
 そしてナルはそれを知っている。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥意地が悪い」
「何とでも」

 希有な美貌は無表情のまま、さらりと、答えが返った。

「それで、話は終わったのか?‥‥‥‥‥そろそろ解散のように見えるが?」
 漆黒の怜悧な視線が、人が減り始めた周囲を、すい、と滑って、最後に麻衣の淡い色彩の瞳を捉える。
 麻衣が答える前に、周囲の友人たちが口を挟んだ。
「麻衣、また連絡するから、また会おうね」
「うん、それはもちろん‥‥‥‥‥」
「それじゃ、渋谷さん。麻衣に無理させないでくださいね」
 にっこりと笑われて、ナルの美貌に一瞬だけ驚いたような色が閃く。
「‥‥‥‥善処します」
 苦笑混じりの返答に、彼女たちは笑った。
「それじゃ麻衣、またね」
「‥‥‥‥そっちの方は卒業じゃなくて良かったね」
 くすくす笑って、手を振って‥‥‥‥‥人混みの中に紛れていく。
 彼女たちが向かう先は、迎えの親たちが子供たちの輪に入っていけずに結局固まっているスペースで、麻衣は軽く目を瞠いた。
 恐らく、とうに迎えに来ていた両親を彼女たちが無視していたのは、たった一人の麻衣のため。

 ありがとう、と友人たちの背に向けて小さく呟いて、麻衣はまともに視線を合わせていなかった漆黒の瞳をまっすぐ見上げる。
「‥‥‥‥もういいのか?」
「うん。ありがとう」
「‥‥‥それほど話をしているようには見えなかったが?」
 抑えた声に、麻衣は一瞬驚いたように表情を綺麗に隠したナルの貌を見上げて─────笑った。
「見てたの?」
 問いかけに、答えは返らなかったが、もとより答えなど全く期待していなかった麻衣は、僅かに細い首を傾けた。
 さらさらと頬にこぼれたやわらかな髪を白い指先が払い、琥珀色の瞳に笑みが浮かぶ。
「無理いって悪かったけど‥‥‥‥‥どうしても、来たかったの。ここの生徒として、ここに来れるのは、今日が最後だったから───だからどうしても」
「何故?」
 闇の色が、深くなる。
「ここが、始めだから」
「始め?」
「うん。殆どちょうど三年前でしょ?あたしがここに入学してすぐだったよね。まだ桜が綺麗だったから」
 桜が綺麗で、だから早く登校して─────調査中の機材を壊し、リンを怪我させ、ナルに捕まった。
 出会ったのはその一日前だったが、それがすべての始まりだった。
「‥‥‥‥そうだったな」
 思わぬ相槌が返ってきて、麻衣は外していた視線を漆黒の瞳に向ける。
 絡み合った視線は、今度は外れることはなかった。
「うん。‥‥‥‥‥‥ここにいる間、ずっとバイトさせて貰ったから」
「それで?」
「だから。高校とあのオフィスって、繋がってるの。あたしの中で。‥‥‥‥休みの日以外は、学校行って、その足でオフィスに行くのが三年間ずっと続いたんだから当たり前なんだけど」
「‥‥‥‥‥今日で卒業だからか?」
「そうだよ。高校は、今日で卒業なの。でも‥‥‥‥オフィスはそうじゃないから。それをちゃんと、今日ここで確かめたかったの」

 ふわりと笑った麻衣の表情が綺麗で、透明で───────ナルは溜息を付く。
「切り替えられたのか?」
 ただ一言の問いかけに、麻衣は頷いた。そのまま門に向けて歩き出す。
「お待たせしてすみません、仕事に戻ります。所長」
「そうしてくれると助かりますね」
 玲瓏と響く、けれどいつも通りに皮肉混じりの声が返った。
 
 一度止まって、新しいステップへとうつる節目と。
 ゆっくりと登っていく時間の階梯。
 
 ずっとさきに続く、その階梯が、並んで門に向かう道に似ているといい。



 願いと時の流れは螺旋を描き、本格的な春を待つ澄みきった蒼穹へ、伸びる。




 count300hit、九重百さまに捧げますv(ただし返品可‥‥また‥‥‥)
 頂いたリクエストは「ナル×麻衣で学校の友達とかもでてくる話」でした。期待されたものとは全然違うだろうな、と思いつつ‥‥‥ごめんなさい(遠い目)。ちょっと書き方がいつもと違う上に(調査話の裏だから‥‥‥)ナル麻衣っぽくないですね、これ(涙)
2001.2.22 HP初掲載
 
 
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