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吹きわたる、風の音がする。 午後の太陽の光が燦と降り注ぎ、葉擦れの音さえ鎮めてしまう。男の影が黒く濃く過ぎるけれど、草も土も、そんなものはなかったように無視をして午睡に沈んでいるように。 王宮の最奥であることが嘘のように緑豊かな西の離宮は、パキラの山の麓でもある。緑に抱かれて美しく白い離宮には、本宮の騒がしさを嫌い、貴族たちとのつきあいという腹のさぐり合いを嫌い、パキラの緑を愛する、美しい王の正妃が住まっている───。 本宮からの、決して短くはない坂道をたった一人で上ってきた軽装の男は息を乱すこともなく、綺麗に整えられた離宮の入り口に立った。 テラスに寝そべっていた灰色狼に、軽い笑みを浮かべる。 「ゴルディ、だったな。王妃はいるか?」 人間に対するような口調に、狼はふい、と頭を離宮内部にめぐらせて、もとの姿勢に戻ってしまう。 男は軽く頷いて離宮の中に入り、開け放たれたままの居間の扉の奥を目にして、溜息をついた。 王妃が───当時は王女としてここに住むことになった時にしつらえた、豪奢な寝椅子。 そこに細い身体を伸ばして、美しい少女が眠っていた。 普段は無造作に括ってある艶やかな金の髪が波打ち流れて、椅子からこぼれ落ちている。やわらかなラインを描く少女の身体はいつもの軽装で、大陸中の要人に溜息をつかせた花のような顔はいまは穏やかな眠りに沈んでいる。長く伸びた金の睫が窓から差し込む陽をまといつかせて光にけむり、ちいさな唇はひらきかけた薔薇の花びらのように綻ぶ。 そして、その、ちょうど足元近くに、やはりもう一人、美しい娘が眠る。 ひざまずくように慎ましやかに、王宮の侍女服に身を包んで、白い素足を伸ばした姫には触れないように、恭しくさえみえるほど。 眠る王妃に劣らないほど美しい顔の周りを飾る銀の髪は、こちらはまっすぐに背を流れて、大理石の床に触れるか触れないかのところでさやかな風に揺れる。 一幅の絵にしたいような情景、ではあった。 文句なく美しいことにも、異論はなかった。 王妃が白絹の裾の長い衣裳でも着ていれば、文句なく誰一人の例外もなく、感嘆の溜息を漏らすだろう。 が。 難問を抱えて暑い中を登ってきた国王には、文句のひとつも言いたくなる光景には違いない。 太い指先でコツコツ、と扉を叩くと、最初に反応したのは侍女の方だった。 はっとして起きあがり、扉の横の男の姿と現状を認識するなり姿勢を正して頭を下げる。 「陛下!気づきもせず申し訳ありません」 「ウォル。シェラを責めるなよ」 遅れて覚醒した王妃が気怠げに身を起こして、金の髪を鬱陶しそうに背後に払った。 「別に責めてはいないが。暑い中ここまで登ってきて、自分の妻とその従者が仲良く昼寝してたら切なくならないか?」 今まで王妃の金の髪が占領していた寝椅子の空き部分にどさりと大きな体を沈めて、皮肉混じりに妻の顔を見やる。 「ああなんだ、やきもちか?」 王妃の美しい顔に無邪気なような笑顔が浮かんで、そしてかるく小首を傾げた。 「それなら今度本宮まで昼寝しに行ってやる。執務室なんてどうだ?」 「あそこに寝るような場所はないだろう。寝椅子でも運ばせるか」 「そんな面倒な真似をしなくても、お前を枕にすればいいじゃないか」 「仕事にならん」 執務中の国王の膝に美しい王妃が座り込んで、王の肩の辺りを枕に眠っていたら。 猫が飼い主の膝で眠っているようなものだという実態はどうあれ、誰一人執務室に入れない。 「それじゃお前と昼寝はできないじゃないか。昼間は忙しいだろう?」 問題が違う、と溜息をつきかけた王が何かを口に出す前に、タイミングを図っていた侍女が口を挟んだ。 これ以上不毛な会話を続けられては身が保たない。 「陛下。暑い中登って来られたならお暑いでしょう。なにか冷たい飲み物でもお出ししましょうか。最近エンドーヴァー夫人から頂いたすっきりした香草茶などございますが?」 「それはいいな。もらおうか」 「はい。……それから、桃のグラニータがございますが、如何ですか?」 「もらう。シェラの料理は絶品だからな」 相好を崩した王に一礼して、美しい侍女は主人にも一応確認する。 「あなたはいかがなさいますか?」 「香草茶はもらう。グラニータは……甘いんだろう?」 「………大丈夫だとは思いますが。陛下にお出ししたのを味見なさってからにしますか?」 くすくす笑った侍女は非常識な提案をしたが、主人夫妻はもっともだと頷いた。 国王のものを味見してから食べる王妃など聞いたこともない。非常識のまかり通る王宮最奥部は、非常識の巣窟だ。 「それじゃそうしてくれ。………昼寝は喉が渇くな」 「では急いで支度して参ります」 優雅な動作で一礼して、有能な侍女は主人夫妻の前を辞した。 「で、ウォル?」 「何だ」 「供も連れずにこんなところまで来たからには何かあったんだろう?」 相談事じゃないのか? 強い緑の瞳は妥協を許さない。 「相談もあったがな。とりあえず気分転換だ。ずっとあそこにいたら息が詰まる」 「また何かあったのか」 「まあな。……その話は香草茶のあとだ。それまでは俺のハーミアの顔を見て気分転換することにしよう」 「こんな顔で気分転換になるのか?」 「おお。当然、俺だけの女神だからな」 国王は笑って、猫の喉を撫でるような仕草で王妃の金色の髪を撫でた。 |
count4500hit、たま様に捧げますv リクエストは「『デルフィニア戦記』リィとウォル+シエラ。王国の日常」でした。たいへん長らくお待たせいたしました……(平伏) 初・ゴーストハント以外のリクエストだったんですが(汗)ついでに言えば、デルフィニアの話って書いたの二年ぶりくらいで……口調が変かも(遠い目)悪霊とは書き方変えてるつもりなんですが、引きずられてたら嫌だなあと遠い目をしてみたり。破綻してないことを祈ります……(汗) 注記・『デルフィニア戦記』は中央公論新社から刊行されている茅田砂胡先生の長編ファンタジーです。 2002.9.6 HP初掲載
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