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まもりたい。 そばにいて、どんな傷も受けないように、あなたを脅かそうとする全てのものから守りたいと思う。 やわらかい天使の翼を広げて、そのなかに包み込むように。 それなのに。 壊したい。 あたしが壊さなければ他の誰かに壊されてしまうから、あたしの手で粉々に砕きたい。 硬く澄んで、けれど脆い硝子のように、きらきらと輝いてどんなに綺麗だろう。 手の中で、広げた手の中で、天使が翼の中に戴いた光のように、磨き上げた床面に砕け散った硝子の破片のように、何よりもうつくしく輝かしく純粋なまま、守りたい────壊したい。 相反した、けれどどちらもあなたを封じる狂気に似た思いの果てで、この手はきっとあなたの未来を摘み取る凶器になるから。 思考を封じて、願望を無視して。 けれど抑えきれない心が何を望むか、自分にも見えない。 あなたが欲しくて、けれどあなたを手に入れることはできないから。 言葉に封じ込めたこころは、どんな形をしているのだろう。 心は、型抜きも成形もすることができないから、手に取ることはできないから、それがどんな形をしているのか誰も知らない。 大切だと思う心。 そのあたたかな色に潜む闇の色の深さが、何よりも、怖かった。 + 見慣れた白皙の美貌。 広げた資料を埋めたアルファベットを辿っていく真剣で冷徹な闇色の瞳。 真横から穴が開くほど見つめていても、冷えた無表情は揺らぐ気配さえ見せない。物理的な距離はほとんどなくても、実質的な距離は手を伸ばすことさえできないほどに遠くて、縮められない。 かちり。 アナログの長針と短針がぴたりと揃った音は、精神に強く響いた。 待っていたからなのか、静かだからなのか、それは分からない。 淡い色彩の目を軽く瞠って一瞬だけ視線を時計に滑らせて、麻衣はもう一度白皙に視線を戻した。 「ナル」 予想通り返事は帰ってこなくて、麻衣はもう一度名前を呼んだ。 「ナルってば」 「………」 うるさい、という意志を漆黒の瞳にのせて、美貌の青年が冷たすぎる視線を恋人に向ける。 「日付、変わったよ」 「…………それが?」 「新しい日を一緒に迎えるのって、なんか特別なことだと思わない?」 にこりと笑った麻衣に、ナルは一瞬の沈黙をおいて、息をついた。 「………同じようなことを」 「あれ?もしかしてジーンも同じこと、言ったの?」 「そう」 「ふうん。……なんか面白いね」 同じようにそばにいても、今は失われた彼の片割れと麻衣とではその意味が多分全く違う。 だから全く同じことを思っていたはずはなくて、そして何を思っていたのかは分からないけれど、言葉という表層に同じかたちを作った想いはきっと根底のところで似ていただろう。 嬉しいような、腹が立つような、複雑な感情は綺麗に隠して表情には映さない。 淡い澄んだ瞳の焦点を白皙から外して宙に置いて、麻衣は小首を傾げた。 視線の先は合っているようで絡み合わなくて、ナルは秀麗な眉を寄せる。 「麻衣?」 「今夜は、ジーンとあたしと、どっちが早かったかな」 「………ジーンを視たのか?」 「まさか。だいたい起きてたら、ナルが分からないのにあたしが分かるわけないし」 くすりと笑って、麻衣は言葉を重ねる。 「ジーンより早いと良いな、と思っただけ」 「なにが」 「日付変わったよって声かけたのが」 「何故」 「意味ないのは分かってるけどね。最初に言えるといいなって」 「ジーンよりも?ジーンにも?」 「両方」 含みがあるのかないのか。 どちらとも取れる問いに間髪入れずに返して、麻衣は綺麗に笑ってみせる。 「ナルはどっちが良い?」 「どちらでも関係ない」 興味を顕さない漆黒の瞳は、すい、と手元に戻される。それを捕らえるように、麻衣は言葉を重ねた。 寄り添わない。 腕も引かない。 指を絡めることも、しない。 ただ、言葉だけで漆黒の瞳を、惹く。 「そういえば、何か欲しいものある?」 「何故」 「もうすぐクリスマスでしょ?クリスマスプレゼント」 「別に」 「別にってことはないでしょ?」 「特に必要はない」 「…………必要ないって言われるのも悲しいんだけどね」 麻衣は小さく溜息をついて、首を傾げた。 色素の薄いやわらかな髪が頬にかかって零れるのをそのままにして、見上げる瞳の先は動かない。 「もちろん、プレゼントなんて自分で考えるものだと思うし、ナルがきっぱり「これが欲しい」って言ってもどうかと思うけど。でも、要らないものあげたくないんだもん。…………本当に何もないの?……あ、暗視カメラをもう一台とかいうのは無しね」 「100パーセント無駄な要求をするほど僕は馬鹿でも暇でもない」 「……ナルに冗談を期待するほど無謀じゃないよ、あたし。………それはおいといて、本当に何も欲しいものないの?」 「麻衣が僕に、という意味でなら、特にはない」 低い声がひどく平坦なトーンで答えて、一瞬の間隙に沈黙が落ちる。 むしろ拒絶にも似て、それまでとはトーンが変わる。言葉は心の淵に波紋を描いて、けれどそれは表層からは綺麗に隠される。 「……まあ、確かにね。あたしがあげられるようなものなんて、あんまりないんだけど」 物質的に必要なものは充分に事足りているだろう。 そしてナルは「必要」でないものをあれこれ欲しいと思うタイプではない。それは麻衣自身も同じだったから人のことを言えるような立場には居ないけれど。 「仮にも恋人に向かってそれはないんじゃない?」 「そういう答えを期待していたのか?」 くすりと笑って半ば冗談まじりに口にした言葉に切り返されて、麻衣は言葉を失った。 妍麗な美貌は相変わらず内面を窺わせずに、いっそ無機質な鏡のように漆黒の瞳が彼女を映す。 「……そういう、わけじゃ、ない、けど」 間違っても、麻衣が欲しいという言葉を期待していたわけではない。そんなことは意識の端にも絶対に存在していなかったと断言できる。 いつもなら無視するような「いってみただけ」の言葉を、ナルがどうして受け流さなかったのか。 空気が冷えたような気がした。 ナルの声のトーンが、違う。 言葉が、違う。 漆黒の瞳のいろが、違う。 身体が、冷える。殆ど無意識に、細い腕が華奢な身体をきつく抱き締めた。 あなたが欲しいのは私の方で、だからあなたを手に入れることはできないと知っているから。 そんなことで言葉遊びのような駆け引きはできない。 見えない心のかたちを測ろうとすることは、たとえそんなつもりがなくてもその気配だけで怖くなる。 ―――欲しいと思う心が、どんなかたちをしているのかさえも、解らない。 こづくりの貌から血の気が引いて表情を失ったことに気付いて、ナルは軽く息をついた。 「麻衣」 名前を呼ぶ声のトーンは、いつもと、変わらない。 視線が絡んで、ナルは軽く苦笑した。 「手に入れる手段があるものは持っている。………持っていないものは、どちらにしても手に入らない」 かたちのないものを手に入れることはできない。 手に入れたと夢想して、なにもかも見失うリスクを冒せるほど簡単に手放せるようなものではない。 ほとんど限界まで抑制された声は聞き取られるのを拒むように低く、けれど確実に耳に届く。 麻衣は僅かな躊躇を措いて手を伸ばした。 細い指先が冷えた頬に触れて、皮下に熱の波紋を伝える。 はじめて触れたぬくもりは、頬を滑り落ちて白い手に捕らえられた。 「欲しいと思っても手に入らない?」 「欲しいものほど手には入らない。絶対に」 「何が?」 「麻衣は、欲しいものは手にはいるのか?」 答えは返されず、静かに問い返される。 麻衣は一瞬瞠目して、それからかぶりをふった。 ほしいものは、なによりほしいものは、絶対に手に入らない。 どんなに努力しても、手に入れられない。 手に入れた瞬間に、欲しいものは壊れてしまうから、手を伸ばすことさえできないのに。 無理に手に入れようとすれば、何もかも壊してしまう。 それを何よりも懼れて、時に狂おしく望む心は見ようとせず、そして誰にも見せない。 ぱたんと本を閉じる音が空間を震わせるのと同時に、腕を引かれた。 ごくゆっくりと引き寄せられて、それでも動けない。 冷たい手で視界を塞がれて、空調の音も聞こえなくなる。 「ナル」 「だから。そんなことはどうでもいい」 低い、空気に溶けそうな声だけが聞こえて、息を奪われる。 重ねた唇で融けた熱だけが、感覚を占領する。 占有された感覚と占有する意識。 それだけは、この瞬間だけは自分だけのものだと、そう信じることだけは許されると思うから、やさしい欺瞞で自分の心を包み込む。 今だけは。 望んでも、何も壊さない。 手に入れても、なにも失わない。 あたしはなにも壊したくないし、砕きたくもない。 その思いは真実なのだと、目を開けてしまえば消える夢を見る。 守りたい。壊したい。 表裏一体の願いの果てに、どちらが勝つのか、それとも他にも見えない道が存在するのか。 今はまだ、探すことさえ思いつかない。 心に潜む闇の淵。 その深淵が、自分だけのものではないことを知るまで、引き裂かれそうな心の背反からは逃れられない。 共有して初めて光の見える闇の迷宮はまだ続いていて、それが迷宮であることにさえ今は気付いていなくても。 出口のない迷宮は存在しないから、ひとりで迷宮にいるのではなく手を伸ばせば慣れた温もりに触れることにいつか気付けば。 そのとき、出口へと続くミノスの姫の糸口を、見つけるだろう。 |
count6000hit、日比野野枝さまに捧げますv リクエストは「ナル×麻衣で、ちょっとダークな甘甘。」でした。ダークはとにかく、甘甘………?(遠い目) これもまた、書き直し再掲載となってしまいました。とは言ってもかなり書き直したので原型はあんまり留めていませんが、一応初出は去年のナルの誕生日「こころのかたち」です。すみません(吐血)ダークっぽい話は最近書いてなかったのでちょっとばかり何か違いますが……。とにかく、お待たせしてしまって申し訳ありませんでした。 あ。ちなみに今年のクリスマスSS(あくまで予定)とは何の関係もありません。悪しからずご了承下さい(笑) 2001.9.19 「こころのかたち」として掲載、三日後削除。
2002.12.15 大幅に改稿、再掲載 |
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