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春の甘露




 春のはじめの、良く晴れた朝。
 大平原には、本格的な春の先触れの風が、やわらかく吹きわたっていた。
 
 穏やかに流れる時間は、甲高い少女の呼び声で唐突に破られる。
 ――――いつものように。


「ガディルガディルガディルーーー!!!」

 疾駆鳥を全速力で飛ばしてきて飛び降りた勢いのままサンルームに飛び込んできた白銀の少女は、読んでいた本を置いて立ち上がった紳士の腕に激突して止まった。

 ………運良くサンルームの窓が開け放ってあったからよかったようなものの、もし閉めてあったら。
 起こるであろう惨状は、あまり想像したくない。
 いや、惨劇の前に、この紳士はどんな手段をつかってもそれを回避するだろうけれど。

「………マール。気をつけないと怪我をしますよ」
 一瞬の沈黙。
 それから少女をきちんと立たせて、彼は言葉を続けた。
「それから、ヒーロフは………大丈夫なんですか」
 彼は庭先でへたばっている疾駆鳥に同情の視線を向ける。
「うん平気!ヒーロフにはあとでお礼するから大丈夫」
「それに、今朝は早くから森翁のところに遊びに行くのではなかったのですか?」

 全然全くこたえていないマルーシュは、翠緑の瞳をきらきらと踊らせる。
 さっくりと綺麗に揃った白銀の髪をふわりと揺らせて。
 ほら!、と手に持った緑の束を紳士の目の前に差し出した。

 かぐわしい春の風。
 みずみずしい緑の、可憐なブーケ。

「おや。初咲きのブーケですか?」
「うんそうなの!それにね、これ、特別な初咲きなの!」
「マールが森翁のところで摘んできてくれたんですか?」
 穏やかな蒼い瞳が、微笑んだ。
 それに、マルーシュは満面の笑顔で首を横に振る。
「ううん!そうじゃないの!これはね?」

 とっておきの秘密をうちあけるように。
 マルーシュは声を潜める。
 精一杯背伸びして、内緒話のポーズ。

「春の姫様が、ほんとーにほんとーにね!ヴィシュバ・ノールで今年はじめて咲いた春の花を集めてきたブーケなの!!」
「それは、本当に珍しい」
「でしょ!素敵でしょう?」
「良いものを頂きましたね」
「うん!」
 にっこり笑ったガディルは白銀の髪をさらりと撫でて、指を一本立ててみせた。
「ところで、マール」
「ガディル??」
「せっかくのブーケをしおれさせてはもったいないですから。まずこれを花瓶に活けて、それからマールのお話を聞かせて頂けますか?」
「うん!!」



「あのね、これはね」

 香りのいいお茶をこくんと一口飲み込んで、マルーシュは一生懸命話し始める。
 ガディルの手でガラスの瓶に活けられた春の花々は、二人の間で生き生きとして話に聞き耳を立てているように―――見える。

「今朝、森翁様のところに行ったでしょ?」
「ええ。それは昨日伺いました」
「あれは、春の姫様に布を届けるためだったんだけど」
「布ですか?」
 ヴィシュバ・ノールの白銀の織り姫、という通り名を持つ少女は、にこりと笑った。
「うん。羽織り布なの。パリオの糸屋さんで見つけてきた綺麗な桜色の糸で織ったのよ。森翁様に頼まれてたんだけど、それが、おととい織り上がったから届けに行ったの。そうしたらちょうどね、姫様がいてね、とっても喜んでくれて」

 織り師である彼女の織物は、遠方でも名高いほどに、非常に繊細で美しい。
 春の姫君は、それはそれは喜んだのだろう。

「それで、そのお礼にこれを頂いたんですか?」
「そう!」
 白銀の頭を揺らして頷いて、マルーシュは満面に笑みを浮かべる。
「それで、どうしてもできるだけ早くガディルにみせたくて、ものっすっっごく急いで来たの!」
「それは、ありがとうございます」
「でも、森翁様のところにヒーロフに乗っていって良かったわーv」
「どうしてですか?」
「だって、どんっなに急いだってあたしの足じゃ時間がかかるもの。そうしたら、絶対っ!しおれちゃうわ」
 にぎりこぶしできっぱり言って、マルーシュはくるりと振り返った。
「ありがとうね、ヒーロフ」
「………くぇ」
 地面にめり込んだような状態からようやく復活したばかりの疾駆鳥は、少女にくるんと首を振ってみせた。
 そんなときのために自分がいるのだと、主張するように。
 ――――疲労ばかりは隠しようもないが。

 ガディルの方に向き直った少女の視線の先で、飾らず可憐な春の花が、ふわんと揺れる。
「ね、綺麗でしょ、ガディル」
「そうですね」
 ティーカップを音も立てずに受け皿に戻して、蒼い瞳が微笑んだ。
「ありがとうございます、マール。あなたのお陰で私も春の姫君の心遣いに与れました」
「そうでしょーv」
 得意げな少女は、はっと思い出したように翠緑の瞳を瞠って、それから、とっておきの秘密を打ち明けるように、ティーテーブルの上に身を乗り出した。
 つられるように紳士も身を乗り出す。
「ガディル」
「今度は何ですか、マール」
「森翁様のほうもね、お礼をくれるんだってv」

 ………頼んだのは春の姫君ではなく森翁なのだから当然といえば当然なのだが。
 ガディルは敢えてそのことには触れずに、やさしい瞳で先を促す。

「ちょっと先になるけど、森で最初にできた野いちごをひとかご、くれるって!」
「それは良かったですね」
「それでね、あのね」
 お願い口調に、わずかな上目遣い。
 おねだりモードの彼女に、紳士はくすりと笑う。
「何ですか」
「ここに届けてくれるように頼んだの。………タルト、作ってほしいなv」
「カスタードのですか」
「うんv」
「わかりました。………森翁からいちごが届いたら、あなたをお呼びしますよ」
「ありがとー!!大好き、ガディル」

 少女から、光が溢れるように笑顔がこぼれる。


 雪が溶けて。
 いちめんに緑が萌えだした大平原が、いちめんの花畑に変わるのはもうすぐ。
 そうしたら、そこらじゅうが、甘い香りに包まれる。
 そして、少女の笑顔と笑い声が絶えなくなる。

 それこそが、なによりも。
 春の、甘露。




 count9000hit特別リク権をさしあげたむじか様に捧げますv
 リクエストは「『ヴィシュバ・ノール変異譚』白い子ちゃんと黒い人♪(笑) あと鳥さんが出てくると嬉しい」でした。また順番すっ飛ばしてます。すみません。そして、たいへん長らくお待たせいたしました……。
 誰も知らないだろう!と突っ込み入りそうな話をかけるのはキリ番ならでは♪で嬉しいですねvメッセで盛り上がった挙げ句リクしてくれたむじかさんありがとうです♪(でも遅い……)書き直せv(にっこり)とかいわないで下さいねっ(汗)
 注記・『ヴィシュバ・ノール変異端』は集英社コバルト文庫で刊行されていた水杜明珠先生のファンタジーシリーズです。最終巻となってしまった短編集『ヴィシュバ・ノールの風によせて』が出たのは1996年。たぶん全巻絶版になっていると思います。わかつきめぐみ先生のイラストからはいったとはいえ(……)大好きなシリーズだったのに(涙)先生のその後の作品も全然わからなかったりするので、知ってる方いらっしゃったら是非是非教えて下さい。
2003.3.14 HP初掲載
 
 
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