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ピアス





 ぽん、と。
 手のひらに落とされた包み。
 うながされて開けてみれば、紙袋の中にはピアッサーと消毒薬、それにシンプルすぎるくらいシンプルな、ホワイトゴールドのボールピアスが入っていた。
「…………綾子?」
 目を瞬いて、てのひらの包みと、艶やかな、けれど優しい姉のような女の顔を見比べる。
「あんたもそろそろ年頃でしょ?多少のおしゃれはいいんじゃない?ピアスくらいなら邪魔にならないし。………あ、それはファーストピアスね。しばらくはとらない方がいいから。ちゃんと消毒もするのよ。ピアスホールが安定したら、ピアスは可愛いのあげるわよ」
 艶やかに笑むと、綾子は立ち上がる。
「大丈夫よ、そんなに痛くないから。………それじゃあね」
 ひらひらと手を振って、彼女は半ば唖然としたままの妹分を置き去りにして、ドアの向こうに消えた。



 やわらかなソファに身体を預けて、麻衣はピアッサーを手に唸っていた。───延々と。

 おしゃれに興味がないわけじゃない。
 ピアスにも、実を言えば興味はあった。ネックレスは邪魔になるし(護符系はともかく)、ブレスレットは仕事の邪魔になるから論外。指輪も何となく抵抗があって、していない。その点、ピアスは気軽につけられそうだし可愛いから、ピアスホールも開けていないのにお店で見てしまうことだってあった。綾子はそれに気付いたんだろうと思う。

 でも。
 穴を開けるとなると、怖くなった。
 ピアッサーには鋭い針がついていて、取り扱い説明書によれば、ホッ○キスの容量でばちんとやってしまえばいいらしい。…………はっきり言って、冗談ではない。想像するだけで背筋にくるくらい痛そうだし、怖すぎる。───安全ピンでやっちゃったー♪と話していた友人を、思わず尊敬してしまう。
 それに、鏡を見てやったとしても、正確にホールを開ける自信は全くない。
 だから、正直なところ、いざとなると開けるのは躊躇われた。
 だがしかし。
 綾子が今度来たときに、開けていなかったら、何て言われるか。
 考えただけで頭が痛くなる。

 耳たぶを刺す、鋭い針のきらめきと、脳裡に浮かぶ綾子の笑みが意識のうちで交錯する。
 何が何だかわからない、オーバーフロー状態になったとき。

 抑制されて、それでも玲瓏と響く声が、名前を呼んだ。

「麻衣」

 ほとんど反射的に振り返ると、リビングのドアの横に、漆黒を纏う美貌の青年が立っていた。慣れた気配なのに、ドアが開いたのに、まったく気付かなかった。
「あれ。ナル、書斎じゃ………って、あ、お茶?」
 麻衣の問いには答えずに、凪いだ漆黒の瞳が麻衣を捕らえる。
「いつまでそれを玩んでる気だ?」
 声質だけは文句なく美しい、怜悧な声に皮肉が混じる。
「う」
 食事を済ませて、ナルが書斎に向かう前から「これ」と格闘しているのだ。時計をみれば、驚いたことにすでに1時間半以上が経過している。
 視線を泳がせた麻衣に漆黒の視線を向けて、ナルはゆっくりとソファに歩み寄った。麻衣のすぐ後ろで立ち止まり、ソファの背越しに手を伸ばして華奢な手から白い小さな器具を取り上げる。
「あ」
「………なんだ、これは?」
「…………ピアッサー。ピアスの、穴を開けるの。針、あるでしょ?」
「お前が買ってきたのか?」
「ううん、違う。………今日ね、綾子がくれた。………ちょっとはおしゃれもしてみたらって」
 秀麗な眉を僅かに上げて、ナルは見上げてくる麻衣の顔を見おろす。
「…………松崎さんに言われて、開けるのか?」
「まあ、そうだけど………でも、興味もあったし」
「それなら、延々とこれを眺めているのはどういうことですか?谷山サン?」
 ナルの、吸い込まれそうな闇色の瞳を恨めしげに見上げて、麻衣は視線を落とした。
「……………だってさ」
「だって、何だ」
「穴、開けるんだよ。針で。………あたし器用じゃないから上手くいく自信なんてないし…………」
「怖いわけか」
「………………」
 あっさりと言われて、麻衣はぐっと詰まった。
 見透かされるのは慣れているけれど、返しようのない言葉には慣れられない。

 ちいさな溜息の気配と一緒に、しなやかな指先が淡い色の髪をさらりとすくい上げる。

「麻衣は、開けたいのか?」
「……………まあ………いちおう………」
「なんだそれは」
「だって怖いんだもん!痛そうだし!」
 ほとんど頑是無い子どものように、麻衣は俯いたまま、ぎゅっと手を握りしめる。

「それなら、僕があけてやろうか?」

 怜悧な、凪いだ声。
 予想していなかった提案に、麻衣はぴたりと動きを止める。おずおずと顔を上げて、ソファ越しの背後に立ったナルを見上げた。
 白皙には、何の表情も浮かんではいない。
「ナル?」
「自分でやるのが怖いなら、僕がやってやろうかと言っている。………要らないならいいが」
「…………えっと、ほんとに?」
「しつこい」
 一言で切り捨てて、漆黒の瞳がすいと逸れそうになる。
 麻衣はあわてて手を伸ばして肩越しにナルのシャツをつかむと、早口で言った。
「待って!………やって、くれる?」
 ナルは、麻衣の問いには直接は答えなかった。彼女の横にあった消毒薬入りの袋をとりあげると、ご丁寧に入っていたカット綿に消毒用アルコールを含ませて、彼女の耳たぶを拭く。
「………ソファ、邪魔じゃない?」
「動くな。………位置は?」
「普通のところでいい」
「分かった。………多少は痛いはずだから、動くな」
「………はぁい。我慢する」
 
 耳たぶに触れる、冷たい指先。
 邪魔になる髪をかき上げて、ナルはいっそ無造作なほどピアッサーをセットした。
 おもったより小さな乾いた音と一緒に、ちくりとした痛みが全身を襲う。それでも思っていたほどは痛くなくて、麻衣は強ばっていた肩の力を抜いた。
 続けてもう片方の耳たぶにも器具が触れて、同じような痛みが走る。
「ありがと………ってナル!?」
 冷たい指先とピアッサーが離れるのと入れ替わりに、温かな息が耳元に触れて、麻衣は振り返ろうとした。
 一瞬早く、やわらかいものが耳たぶに触れ、濡れた感触と首筋にこぼれる吐息に身体が硬直した。

 耳たぶから細く流れる血を、舐めあげて唇で押さえる。
 無防備な首筋から喉元に、深紅の線がのびていく。
 片手で軽く仰向かせて、背後から少女の喉元に唇を落とした。血の跡をたどって、耳たぶをすくい上げる。
「…………ナルっ……!」
 高い声が、悲鳴のように震えた。
「大した出血じゃない」
 さらりと返ってきた答えに、麻衣の首筋がさっと紅潮する。

 出血の問題なんかじゃ、ない。
 触れるぬくもりや、気配に、耐えられなくなるだけで。
 …………どうしようもなく、頭が真っ白になりそうになる。
 だから、必死で平静を取り繕った。
「血、さっきの消毒の綿で拭いてくれたら………」
「消毒はするが。…………もったいないな」
 一拍おいた、その言葉が、僅かな艶を含む。
「………え?」
 思わず問い返した麻衣の瞳に、ナルは一瞬の表情が嘘のような凪いだ声で、続けた。
「消毒する」
 言葉と同時に、つめたい消毒綿が、耳たぶに交互に触れる。
 こぼれ落ちたアルコールが、首筋を濡らしていく。
 滲んできた血を封じるように、プラチナのピアスをして、ナルは手を離した。

「ありがと……」
「別に」
 漆黒の瞳は何の表情も映さずに。
 仰向いた麻衣の額を冷たい指先で押さえて。
 目を瞬いた彼女が状況を把握するよりはやく、かるく開いた唇を封じた。

 舐めとった、血。
 少女の血の、甘さ。
 その記憶を消すように、ソファの背ごしにキスを深める。
 唇ごと、吐息も思考も、奪いとる。

 銀色の針よりも深く、血よりも甘く赤いキスで。
 彼女のすべてを、刺し貫いた。









 夏でないと掲載できない馬鹿SSS。←自分で言ってどうするよ。身内からは大変アレな反応を頂きました(滅)人間壊れてると何を書き出すかわからないという好例ですねー(乾笑)
 ちなみに、私は耳鼻科で開けたので(お金かかったけど。でも当時はピアッサーなんて片田舎じゃ売ってなかった……)ピアッサーの痛さは又聞きです。私はむしろ麻酔の注射が死ぬほど痛かった……。普通は氷とかで冷やして開けますが、麻衣ちゃんの場合はナルの指でv(………)
 ちなみに、健康保険はききませんが、まれに腫瘍ができることもあるそうなので、心配な人は病院で開けてもらうのがお薦めです。美容外科とか耳鼻科でやってくれます。
2004.8.25HP初掲載
 
 
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