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ひとが溢れる街路を、強い風が吹き抜ける。 芽吹きの気配を含んだ木の枝をざわめかせ、目を惹く広告の旗と、無数のコートの裾を翻して巻き上げる。 バタバタと煩く鼓膜をうつ音。 風に乱れた漆黒の髪やコートは、容赦なく顔や身体を叩く。 氷のような無表情は変えないままに、美貌の青年はほんの僅か、眉を顰めた。 朝から吹き渡る風は、やむ気配もない。 日本という国の季節に伴う気候の変化には慣れたつもりだったが、こういう類の気まぐれさには辟易する。 いい加減にして欲しいな、と内心に呟いて、そのまま歩き出した。 周囲に関心を向けない雑然とした人混みにあっても、水際立った美貌は視界に入った瞬間に人の目を惹く。 驚きと、感嘆とを混ぜ合わせた視線はいつものことだ。渋谷の歩道の雑踏の中で半ば無意識に身を引かれてできる道筋を、彼はせわしくはないものの速い歩調で無感動を保ったまま通り抜けていく。 そのまま、オフィスまで立ち止まるつもりもなかった彼は、唐突に足を止めて一歩右によけた。 一瞬だけ遅れて、彼の横───たった今まで彼がいた場所を、吹きわたる風にまぎれて。 わあああっ!と慌てた声をあげた少女が3メートルほど駆け抜ける。 急停止の勢い余ってつんのめりそうになった彼女は何とか体勢を立て直し、白いスプリングコートの裾を翻して勢いよく振り返った。 「なんでよけるかな〜〜!!」 ねらいすまして、うしろから驚かそうとでも思ったのだろう。 風に乱れた栗色の髪のしたから、恨めしげに見上げてくる琥珀色の瞳を、彼は冷然と見返した。 白皙の美貌に完璧な微笑をつくってみせる。 「あなたに突き飛ばされる覚えはないんですが?谷山さん」 「突き飛ばしたわけじゃないでしょ〜?」 「あの勢いでぶつかれば突き飛ばされていたと思うが」 「ちょっとおどかそうと思っただけだもん」 「気付かないとでも思ったのか?」 普通、彼女は彼を町中で見かければ、名前を呼んで声をかけてくる。 いきなり突き飛ばしておどかすようなまねはしない。 「思ったんだけどな〜〜〜」 今ひとつ納得できない表情の彼女を無視して、彼はそのまま足を進めた。どうせ目的地は同じだし、そこまではあと数十メートルの距離なのだ。いちいち待っている必要もない。 「ちょっと待ってよ!無視することないじゃんか」 取り残されたかたちになって慌てて小走りに駆け寄ってきた彼女は、隣に並んで彼の顔を見上げる。 明るい笑顔が唐突に顰め面に切り替わって、彼は溜息をついた。 彼女の表情が豊かに彩りを変えるのは今にはじまったことではないが、それについていくのは時に彼にとっては至難の業になる。 「麻衣?」 「ナール!眉間に、しわ!」 咎めるように、細い指先が伸びて眉間を突く。 それを指先だけで払って、彼ははっきりと秀麗な眉を顰めた。 「風が鬱陶しいだけだ」 「風?」 鸚鵡返しに返して、麻衣は軽く首を傾げる。 「そう。で、そういうお前は何をそんなに浮かれている?」 軽い溜息混じりに問いかけると、一瞬目を瞠った少女は琥珀色の瞳を煌めかせて、にっこり笑った。 「風♪」 「は?」 「だから、風。ナルは強い風が鬱陶しいんでしょ?でもこの風、あったかくない?」 言われて初めて、風の気配が刺すようなものでもなく、北風でもないことに気付いた。 軽い驚きは、しかし表には出すことのないままにさらりと答える。 「南風だからな」 「うん。春一番、だよ」 麻衣はにこりと笑って、言葉を重ねる。 「先行ってるね!お茶淹れてるよ」 濃厚な春の気配を孕んだ風の中に軽くかけだした華奢な少女に、彼は軽く目を眇めた。 「春一番?」 問い返すとは思っていなかったのだろう。驚いたように振り返った少女の貌に、ふわりと綺麗な笑みが浮かぶ。 ほおにやわらかな髪が流れて、彼女は答えと一緒にくるりと身を翻して、かけだした。 「うん、春が来たってこと!」 |
再び短編。短編書きな私としてはちょっと幸せです(おい) いや、内容はあれなんですが。本人的に現実逃避の賜物というか癒しを求めただけだったり(遠い目)麻衣ちゃんって冷たい北風を追い出す春一番みたいね、という、べたな発想だったりします………。春一番が吹いたかどうか知りませんが、やたらとあったかい今日この頃でした(頭沸いたのか?) 2002.3.19 HP初掲載
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