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「麻衣!ちょっとあんた、もしかして酔ってんの?」 若者でにぎわうカジュアルなバーの一角。 「へ?」 成人に達したばかりの実年齢よりも若く見られることの多い可愛らしい容貌をほんのりと薔薇色に染めて、麻衣は笑った。 「だいじょうぶ、だよぉ?」 大学のゼミの飲み会。 麻衣が出てきたのは初めてだった。欠席者もなく、出席率は初めて100%を記録していた。 「谷山さん、そんなに飲んだ?」 男子学生の問いに、麻衣の横で飲んでいた女子学生がふるふると首を振る。 「フルーツカクテル、1杯半かな。こーんな小さいグラスに」 そういって、淡いピンクの液体がまだ半分残った麻衣の前のグラスを示した。 小振りのグラスは確かに小さい。 女性をターゲットに、いろいろな種類を試せるように、というコンセプトなのだから、当然である。 「だからー、酔ってない、よ?あたし」 酔ってないと主張するのは酔っぱらいと相場は決まっている。 そして、麻衣は明らかに酔っている。 だが、酔ってないと主張する酔っぱらいに酔ってると言ってやっても意固地にならせるだけだ。 「ねー麻衣、でも、危ないから迎えに来てもらお?」 「何で、危ないのー?裕美」 「もう遅いでしょ?」 そっかー、と呟いて麻衣はふにゃ、と笑った。 周り全員が、これは駄目だと溜息を付いたが、裕美は辛抱強く続ける。 このままほっておいては恐らく眠ってしまうだろうし、麻衣狙いの男子学生も、実は複数いるのだ。 友人としては守ってやらなければならない。 「だから。電話して、迎えに来てもらお?」 「うん。そーする」 麻衣は頷いて膝に置いたままのバッグから携帯電話をとりだした。 ぴ、とコントローラーを使って電話をかける。 「あ、迎えにきてー」 緊張感のまるでない声。周囲が脱力したが、麻衣はふわふわ笑いながら首を傾げる。 「ここ。‥‥‥‥‥ここはここ!」 相手の声が聞こえなくても、恐らくどこか聞かれているのであろうことは疑う余地がない。 どこかと聞かれてここと答えてもどうしようもないだろう。 裕美は溜息を付いて、麻衣の手から電話を奪った。 「済みません、突然。私、麻衣の同期の中山と申します。済みませんけど、迎えに来てあげてもらえませんか?麻衣、酔ってしまったみたいで」 わずかな間をおいて、答えが返る。 『そのようですね。‥‥‥‥‥そちらはどこですか?』 「銀座の、バーです。場所は‥‥‥‥‥」 裕美は場所を手短に説明して、もう一度済みませんと謝った。 「酔わせるつもりじゃなかったんです。すみませんでした」 『‥‥‥すぐに行きます』 「はい、お待ちしてます」 電話が切れて、裕美が麻衣に電話機を戻すと、質問責めが待っていた。 「誰だったの?」 「若い男の人。‥‥‥‥‥すっごい美声。高過ぎもせず低過ぎもせず、冷たいくらい落ち着いてて」 「男?」 「何それ、嘘。麻衣の彼?」 「いるのそんなの」 「私だって知らないよそんなこと。麻衣」 警戒心という単語を忘れ去った麻衣がほえ、と友人に瞳を向ける。 とろけそうな濃い琥珀色の瞳は照明の所為で蜜色に見えた。 「今の人、誰?」 「んーとね、ナル」 「ナル?」 何それ、と眉を顰めると、何かを思いだしたように麻衣はくすくす笑う。 「うん。そーだよ。ナルシストだと思ったからー」 溜息を付いたのは一人ではなかった。 誰もあだ名など聞いてはいない。 「その人、谷山さんの彼?」 男子学生に聞かれて、麻衣ははじめて少し表情を変え、ちょっと首を傾げた。 「彼?‥‥‥そーなのかなあ‥‥‥‥‥」 ほやほやと幸せそうだった麻衣の瞳が、少しだけ翳る。 周りは首を傾げざるをえない。 恋人でなければあんな風に、迎えに来てくれとは言えないだろう。 「まあ良いわ、麻衣。迎えに来てくれるって」 「うん。後で、あやまらなきゃだめだねぇ‥‥‥‥じゃましちゃダメなのに」 「どのくらい時間かかるか分かる?」 「30分くらい」 「じゃあ、残り飲んじゃえば?後半分だし」 「うん」 麻衣の顔から翳りが消え、幸せそうにグラスをとった。 ────30分より数分早く。 麻衣の迎えを見て、そこにいた全員が一瞬固まった。 漆黒の髪、漆黒の瞳に黒衣。 闇を纏った、一度見たら絶対に忘れられないと確信できるほどの、怖いくらいに美しい、青年。 当然といえば当然なのだが、一人動じていない麻衣がぱたぱたと手を振った。 「あ。ナルだー」 潤んだ瞳に上気した肌。完全に理性をとばした麻衣が、嬉しそうに笑う。 端正な美貌に不機嫌な色が加わった。 「‥‥‥‥馬鹿なのか、おまえは」 紡がれた玲瓏たる声は、ひやりとするほど冷たい。 「馬鹿じゃないもん」 上目遣いで見上げられて、彼は溜息を付いた。 「とりあえず帰るぞ、麻衣。荷物は?」 「荷物?‥‥‥‥これだけだよぅ」 ハンドバッグを示した麻衣を一瞥し、彼は周りに怜悧な視線を向けた。 「幹事の方は?」 「あ、僕です」 麻衣からやや離れた席の、同年代の青年を見やり、ナルの瞳がすっと冷たくなる。 「会費は?」 「女性は3000円ですけど」 聞いて、ナルは上着の内ポケットから財布を出し、そこから千円札を三枚抜き出して直接その相手に手渡した。幹事は三枚あることを確認してから会釈する。 「あ。すみません。確かに受け取りました」 その時。 ナルは肩にいきなり重みがかかったのを感じて振り返った。 麻衣が不思議そうな顔をしてナルの肩に掴まり、天井と床とナルの顔を見比べている。 「どうした?」 「‥‥‥なんか変なの。世界が揺れる‥‥‥」 あれぇ?、と首を傾げるとやわらかい栗色の髪が上気した頬にかかった。 彼女の頬にかかった髪を掻き上げてやりながら、ナルは溜息を付く。 「‥‥‥‥‥‥その調子だと歩けそうにないな」 「あるけるよっっ」 失礼な、と言って、ナルの肩から手を離し、歩き出した麻衣は三歩で座り込んだ。 「やっぱ変だよぉ‥‥‥やっぱりゆれるー」 むーっ、と意味もなく眉をしかめた彼女に、今度は苦笑してナルは麻衣の側に膝をつく。 「歩けないだろう?揺れるんなら」 「ナルは、揺れないの?」 「揺れない」 会話はすでに意味不明。 彼を知っている人間がこんな会話に付き合っているナルを見れば、自分の耳か正気を疑うだろう。 「そなの?」 じゃあ、と彼女が手を差し伸べたのと同時に、彼が掬うように華奢な身体を抱き上げて立ち上がった。 今度こそ固まったゼミの同期をよそに、麻衣は笑う。 「ほんとだぁ。揺れないねー」 嬉しそうにナルの肩に頬を擦り寄せる。 すでに店内の八割方の視線を集めていたが、ナルは意に介さない。 苦笑をわずかに深め、漆黒の瞳を和ませただけですり寄ってくる彼女を拒まなかった。 「失礼」 彼は一言と会釈を残して、店の出口に向かった。 「‥‥‥‥ナマでは初めて見たわ、“お姫さま抱き”」 「あれは慣れてるね、しかも」 麻衣は彼に両手を差し伸べた。 あれは、いわば「だっこして」という子供と同じ。 さらに言えば、麻衣を抱き上げた彼の動きは無駄がなく、手慣れているように見えた。 「うん‥‥‥‥でもさ、あれだよね」 「うん。なんか、麻衣が、という意外性がすごいよね‥‥‥‥」 未だ半ば呆然とした、けれどどこか苦笑を含んだ呟きに、期せずして全員が同時に頷く。 「まあでも、何かいいもん見たよね」 誰にともなく、ぽつりと落ちた一人の呟きは、何故か全員の共感を得て。 暗黙のうちに、沈黙の協定が成立した。 花を攫ったのは、宵闇に紛れた風なのだ。 |
3000hitなのに何もない〜〜〜!と叫びつつ大昔のストックの中から晒さなくていい恥を(爆)。馬鹿話です。意味も落ちも筋も、力一杯何もないです(涙)‥‥‥まあ、たまには、ということで‥‥‥許してください(遠い目) 2001.2.24 HP初掲載
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