開いた扉の向こうには、小柄なハーフエルフが立っていた。ふらつく身体でぎゅっと右腕を押さえ、押さえた箇所からは血が止まらず流れ出し、着ている白衣を真っ赤に染めている。そして、彼と同行しているはずの時代錯誤な美少女の姿は何処にも無かった。
 素早く確認し、リリィは早口で問いかける。
「フィー様は?」
 硬い、声。
 表情も、声に負けない程、硬い。
 リーフは部屋に入らず、ぽたりと赤い液体を滴らせながらぼぉっと答えた。
「……宝珠が、無いんだって。だから、俺、宝珠を取りに」
「宝珠!? フィー様は、最初から宝珠なんて持っていないわ!」
 リーフとベオには、未だ詳しい事情は話していない。今の所の目的地は同じだとはいえ、なるべくなら古代魔法の宝珠の事は広めたくなかった。だから、このハーフエルフの少年が、フィリエラが終末の聖母ラストマリアであり、盗まれた宝珠を探す為に旅をしているなどとは知る由も無い。それでも、理解しているはずなのに、リーフの言葉を聞くとそれがたまらなく言い訳に聞こえてしまった。自然、彼の言い逃れに聞こえ、リリィは思わず声を張り上げてしまう。
 彼女の叫ぶような台詞を聞いて、リーフははたかれたような顔をした。
「……宝珠を、持っていない……?」
 自身に言い聞かせるように。
 一言一言区切りながら、噛み締めるように言う。
「そんな……だって」
『宝珠が、あれば』
 ――それじゃあ、あの、思いは。
 本当に、宝珠を持っていたなら、という意味だったのか?
 宿に戻っても、宝珠なんか無いのを知っていて。
 知っていて、俺を脱出させたって事――?
 ――そんな。
「……とにかく、部屋に入ったら? 立ち話より、さ」
 リリィとリーフ、それぞれが床を見つめて口を閉じたのを見、ティルが静かに声をかける。
「どういう事なのか、話をした方が良いと思う。お互いにね」
 言葉を切り、周りを見回した。
「それに、傷の手当もしないと」
 そう言って、リーフの為に身体を横に開けた時。
「お怪我は、大丈夫ですか?」
 柔らかい声が、リーフの背後から聞こえた。その声の主が、先程下で会った異国風の少年であるという事に気が付くまでリーフは少々の時間を費やす。
「あの、先程下で、落し物をしていきましたよね?」
 少年が差し出した掌の上には、あの十字架のピアスが乗っていた。それを見て、その場の空気が一瞬ぴりっと張り詰める。
「大事なもの、なのでしょう?」
 その口調は語尾上がりではあるが、問い掛けでは無い。まるで、確信を持っている事に対して念を押しているように聞こえ、そこでやっとこの少年は一体何者なのか、といぶかしむ様にリーフは彼を見た。
 その様子にただならぬものを感じたのか、少年は少し首を傾げて苦笑を浮かべると、ピアスを乗せた手を引っ込めて自己紹介をした。
「申し遅れました。私は、真光寺琥珀と申します。一寸、人捜しの旅をしていまして、同じこの宿にお世話になっているところです」
 努めて、柔らかい口調である。物腰もゆるりと柔らかく、一寸見には女のように見えなくも無い程だ。
「人捜しの旅しとるんは分かったん。ピアス届けてもろたのも礼は言うがな、今は生憎とあんさんとお喋りしとるヒマは無いんや」
 エルゥにしては珍しい、遊びの幅が無い失礼丸出しの台詞だった。だが今この場でそれを咎める者は誰もいない。エルゥは壁に立てかけてあった愛用の槍を持つとティルとリーフ、そしてコハクが対峙している扉へと向かう。
「とにかく、わいはフィーちゃんとこ行って来るで。皆でこうしとっても無意味やからな。リーフ、場所は何処なん?」
 リーフの答えを聞き、エルゥは嘴を突き出すような仕草をした。人間ならば、口を尖らせる、に相当する動作である。聞いたは良いが、何処なのか分からなかったのだ。
「私も、ついて行こう。この街には、何度か来た事があるからな」
 そんなエルゥの表情を読み取ったのか、ベオがそう申し出た。お、助かるねん、とエルゥは言い、ベオを先に立たせて部屋を出る。
「……とにかく。今は確かにヒマが無いんだ。ピアスを届けてくれたのはお礼を言うよ。確かに、大切なものだから」
 ティルが言い、コハクからピアスを受け取った。それを、ゆっくりと部屋の中へと足を踏み入れたリーフへと渡した。血に塗れた左手でそれを握り締め、微かな声で「ありがとう」と呟く。
 さて、これからどうしたものかと考えていたコハクの脳裏に、先程響いたのと同じ漠然とした確信が下りてくる。そして直感は、またもそれに従えと告げていた。
 ……ダメ、だ。
 逃がしちゃ、ダメだ。
「……あの!」
 思わず声を張り上げた。扉を閉めようとしていたティルの手が止まる。
「えと、その怪我、大丈夫ですか? 私は、回復の術を使えますよ」
 口を開いてしまったからには畳み掛けるしかない。コハクは、必死に言葉を選び出す。
「先程下で見た限りでは、相当深い怪我だと思いましたが……。まだ、血も止まっていないようですし、お役に立てると思いますよ」
 ぽかんと、彼を見つめていたティルの顔に笑みが浮かんだ。コハクの必死さ加減が面白かったのかもしれない。突然押しかけて何を言うかと思えば赤の他人の怪我の心配。それも、どうやら真剣に。自分がこのイグナーダの立場だったなら、同じ様に笑うしかないかもしれないな、とコハクは考え、彼の顔にも自然に笑みが広がっていた。尤も、コハクの場合は照れ隠しの混じった笑みであったが。
 ティルがコハクの想像通りの事を考えたのかどうかは定かではない。が、彼は閉めかけていた扉をまた、大きく開いた。
「回復の魔法は助かるよ。俺達皆不得意だから。それにしても、コハク、だっけ? 君って凄く……」
 人が、良いんだね。
 曖昧な笑顔を浮かべた顔でそう続けられ、コハクも曖昧に答えながら微苦笑を浮かべる。
 ――そりゃあ。
 自分でも、嫌になるほど、ね。
 だって、人が良いからあの人と関わっちゃったわけだし……。
 そういえば。
 あの人、どうしただろう?
 階下のバーにノースを置き去りにしてきた事を思い出し、一応事の次第を伝えておいた方が良いかな、と考えた時。
 その、ノースがいるはずの階段の下から。
 エルゥの一段とけたたましい叫び声が聞こえてきた。


 結局。
 部屋の中にいるのはティルとリリィ、リーフとコハク、そして、コハクと同行していたノースである。エルゥに「何であんさんがここにおんのやッ!?」と半ば悲鳴のような声をあげられ、ノースはまたもやバーの人々の注目を浴びる事になった。人々の好奇の視線を一身に浴びながらも「さぁ?」とまるで他人事のように答えにならない答えを返すと、エルゥは顔を抑えて天を仰ぐとまるで逃げるように宿から出て行った。その派手な後ろ姿を見送り、二階にいるコハクと合流したというわけであるが、ノースと顔を合わせたティルが、エルゥのように叫び出さないまでも彼の親友より露骨に嫌な顔をしたのは言うまでもない。
 そんなわけで、部屋の中は不気味に静まり返っていた。ティルとノースが楽しくお喋りに花を咲かせるわけは無いし、コハクはリーフの怪我の治療に専念している。リリィはリリィで、ティルとノースの(というよりティルの一方的な)険悪な雰囲気に口を開けずにいた。
 ……なんで。
 なんでこいつが、ここにいるんだよ。
 階下でばったりノースと鉢合わせ、思わずエルゥが叫んだ台詞と同じ事を考えながらげっそりとため息をつく。その心の底からのため息を聞きつけ、ノースが「どうかしましたか?」などと能天気に聞いてくれたりして、余計にティルの心をささくれ立たせるのだった。
 そういえば。
「……今日は、やけに大人しいな」
 お前の所為でため息が止まらんのや、と微妙にエルゥのイントネーションがうつっちゃったりしながら、ティルは不機嫌丸出しの声でぼそりと言う。ティルの台詞を聞きつけたコハクの表情が瞬間、ぴくりと引きつったように見えたのは、彼に回復魔法をかけてもらっているリーフだけたったというのはコハクにとって幸運だったのかもしれない。
「ああ……。シトゥルーだったら、当分出てこられないと思いますよ。だって彼、封印されちゃってますから」
「封印?」
 いぶかしげに繰り返したティルの言葉に、そうなんですよ〜、と曖昧に微笑みながらノースが答える。
「いやぁ、事故だったんですけどね。もうものの見事に封印されちゃいまして、勝手に出てこられない状態になってるみたいなんですよね。安心、しました?」
「……封印の、強さに、よる」
 一言一言区切るように強調しながら言い、出来れば一生出てきて欲しくないんだけど、と口の中で付け加える。
「強さ、ですかぁ? どれぐらい、なんですかねぇ?」
「……手加減は、無かったと……」
 ノースの問いが向けられたのはコハクだった。問われたコハクは、申し訳無さそうに呟く。
「……一寸、待って。話が見えないんだけど?」
 勝手に進んで行く話に口を出したのはリリィだ。リーフも同感、と小さく頷く。ノースとコハクは少しの間顔を見合わせ、やがてコハクが仕方が無い、と言った諦めとも見て取れる表情を浮かべてぽつぽつと話し出した。
「私がキールに着いた頃、街外れの屋敷で幽霊騒動が持ち上がっていまして……。除霊を頼まれて、その屋敷に行ったのですよ」
「……それで?」
 なんとなく先が読めたな、と思いながらもティルは先を促した。
「ところが、問題の屋敷には幽霊が居るような気配は全くありませんで。これは見間違いか何かからの噂に尾鰭がついて一人歩きをしただけじゃないかって結論付けまして、帰ろうとしたのですよ。そこへ」
「コイツがやってきた」
「まぁ、そうです。最初はノースさんだったのですけど、話をしていると突然――」
「アイツになった。それでびっくりしたあんたは、コイツが件の幽霊に取り憑かれているんじゃないかと思った」
「そんな、ところです。今になって思えば、霊的な気配は全く感じなかったのですが……。慣れない土地でこれからって時に、私も焦っていたのかもしれません。それで、霊を祓う為の術を彼に向かって使い、ノースさんに戻ったのです。でも落ち着いて話を聞いてみたら」
 はぁ、と全身でため息をつき。
「別に幽霊でもなんでもないじゃないですか。上手い具合に噂が重なっただけなのか、それとも噂の出所が矢張り彼なのかは分からないですけれど。何にせよ、どうやら私の使った術の所為で彼は強制的に内側に閉じ込められ、表に出て来られない状態にあるようなんです。だから、封印、と」
 こんなケースは初めてなんです、と下を向いて続けた。
「そりゃまぁぽこぽこあっても困るケースだし。そもそも、フツーの人間には何も効果出ないんじゃないの?」
 ノースの話をしている時は、どうにもティルの口調が投げ遣りになっている。面白いぐらい如実に表れているその変化に、リーフもリリィも小首を傾げた。
「コイツとかアイツとかって、何の話?」
 今まで静かに話を聞いているだけだった眼鏡のハーフエルフの言葉に「コイツは二重人格なんだよ」とティルは心底嫌そうに吐き捨てた。
「それも、これ以上無いって程ハタ迷惑な、な」
「すいませんねぇ、いつもいつもシトゥルーがお世話になって〜」
「誰もお世話なんかしてねぇっての! つかそもそもお世話なんかしたくねぇっつーの!」
「……お世話って、何?」
 こちらも唖然としながらリリィが問う。答えたのはノースだった。本来問われたはずのティルはと言えばその問いには答えたくないのか、顔を窓の外に向けて聞こえない振りを決め込んでいる。
「シトゥルーが……あ、もう一人の僕ですが……何だかティルさんの事を目の仇にしているんですよねぇ。全く、彼に会うと大概シトゥルーが出張って来ちゃうんですが、今出て来ていないところをみると、コハクさんの術は相当強力なものだったようですよ」
「はぁ、すいません……。必ず、何とかしますから」
「そのまま一生出て来なくていーんだけどな……」
 遠い目で、呟く。
「目の仇に? ……何か、その人に酷い事でもしたの、ティル?」
「なっ! 何でそーなるんだよッ。気が付いたら纏わりつかれてたのはこっちなのッ! 被害者は俺の方なのッ! 俺は純粋な被害者でしかないのッ!」
「そんなにムキにならなくてもいーんじゃないですかねぇ〜」
「お前にゃ言われたくねぇッ!」
 この場にエルゥがいない事が痛いぐらいに悔やまれる。彼がいたなら、一緒になってシトゥルーの迷惑三昧を口を挟む隙も無いほど喋り倒してやれるのに。
 ……エルゥじゃなければ。
 おっちゃん、とか。
 ふとそう思い、それからそう考えた自分に少々驚いた。おっちゃんと呼んでいた彼の事は、極めて考えないようにと努めてきていたのに。
 ケインは、今頃何処にいるのだろう。
 彼の面倒を見てくれた白衣の男は、ティルが男に疑問を持った途端、何も言わずに姿を消してしまった。
 やっぱり。
 ――おっちゃんが?
 あの時はそう思ったものだ。彼がティルに呪いをかけた張本人だから、それがバレそうになったから姿を消したのだ、と。
 だが。
 その考えが、充分ちぐはぐで筋の通らない意見だという事も分かっていた。もしもケインがティルに呪いをかけた本人ならば、その後わざわざ彼を保護して面倒を見るなど甚だおかしな話である。
 それでも。
 頭の片隅に、筋の通らない考えがこびり付いてしまっている。
 だから、男の事は考えないようにしてきた。無意識のうちに避けていたのだ。
 尤も、今となっては更に分からなくなってきている。フィリエラの言う事が本当ならば、ケインはきっと自分の複雑な呪いについて等関わってはいないはずだ。普通の人間である彼に、古代魔法の力を打ち消して呪いをかける事など、出来やしない――だろうから。
 出来や、しない――?
『力を打ち消したのはあの方だと思えます』
 無機質な声が脳裏に甦る。
 彼が姿を消す前に。
 一言、聞いてみたかった。
 ――おっちゃんが、俺を犬にしたの? と。
 そう。
 一言。
 勇気を出して、尋ねてみるべきだったのだ。
 知らないままでいるという事は、場合によっては知ってしまう事よりも恐ろしいのだから。
 もちろん。
 ティルは、知らない。
 そのケインが今、このキールにいるという事を。
 ――そう。
 彼はまだ。
 全てを、知らない。


 キール、か。
 潮風の香る港町をぶらぶらと歩きながら、フェリルはぼそりと呟いた。
 イスライアで捕まえた男からエリザが聞き出した情報によると、結社のお偉いさん達が今、ここキールに集まっているという。思った通り、それが一体何の為であるのか、という至って重要な箇所までは知らされていない下っ端ではあったのだけど、少なくとも役立たずでは終わらなかっただけマシだった。自分達が追いかけている連中が何処にいるのかという目処が立ったのだから。
 フェリルとしては、さっさとこの依頼を片付けて依頼人であるケインや同行人のエリザとおさらばしてしまいたい気分だった。彼らと一緒に行動をしているととにかくペースが乱されっ放しになる上、何より自分本来の目的が果たせない。他人に振り回されて何も出来ないというのは、フェリルが最も嫌う状態である。
 キールのシーフギルド。そこに結社の人間は集まっているという。元々、リファレンスのギルドも関わっていたのだから、ギルド同士の繋がりというのは頷ける範囲だった。
 だが、溜まり場もギルドとなると少々厄介だ。登録している人間でなければまず深いところには入り込めない。もちろん、フェリルは登録などしていないし、ケインやエリザだってしていないだろう。その事は、ケインが「夜になったら襲撃をかける」と言っていた事から容易に推測が出来た。
 だが。
 その言葉を聞いた時、おや? と思った。およそこの男らしくない、と感じたのである。確かに、潜り込むのに襲撃をかけるのは手っ取り早い方法だろう。だがそんな事を仕出かしたら相手に気付かれてしまう可能性は大いにあるし、何よりシーフギルド全体を敵に回す事にもなりかねない。流石のフェリルも、そんな事態になるのは御免だった。
 この男。
 一体、何の為にこの組織を追いかけているんだろう。
 無茶な事だというのは、ケインだって重々承知のはずだ。裏で仕事をしていた人間ほど、裏のルールの厳しさは染み込んでいる。静かに、波風を立てないように潜り込む方法などいくらでも知っていそうなものなのに、提案したのはそんな、無謀としか言えない作戦。
 やはり。
 不思議な、男だ。
 だから、その無謀な提案に乗ってみようかという気になってしまうのか。
 ――全く以って、らしくない。
 ケインに会ってから、何度思い浮かべたか分からないその言葉をまた心の中で呟き、フェリルは一人空を仰いで苦笑いを浮かべたのだった。


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