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――白い、闇の十字架。 ――黒い、光の十字架。 二つの十字架は、ゆっくり交差して重なっていく。 やがて、綺麗に重なった十字架は、細かく振動を始めた。 ……まるで。 泣いてでも、いるかのように――。 「――ッ!」 そこでコハクは、我に返った。思わず辺りを見回し、居場所を確認してしまう。ざわざわと騒がしい店内の音が耳に入り、彼はほぅっと安堵の息を吐き出した。 ……また、だ。 初めは、夢でしか見なかったのに。 ――白昼夢。 いつからだろう。 最近は、昼間でも夢を見る。 繰り返される、同じ光景。二つの対極に位置する白と黒の十字架が重なるイメージ。初めてそれを見て、飛び起きた日からずっと気になっていた。 不吉な予感。 災いの前兆。 大きな、とてつもなく大きな、災厄の前触れ。 何故だか、そんな気がしてならない。 そんな予感が、ひりひりと彼の心を圧迫する。ずっと消えない嫌な予感を抱え、彼はフィリルアーへとやってきた。 とある人物を、捜し出す為に。 この広い大陸に渡って、人一人を捜し出すなんて普通に考えたら到底無理な事だろう。それでも、コハクはフィリルアーへとやってきた。何かが起こるかもしれない、そんな漠然とした予感一つの為に一人の人物を捜し出す。そんな酔狂とも言える目的が彼がここにいる理由だった。 それに――姉さんの『神託』もある。 ただの夢。単なる予感。そんな、漠然としたものですら、彼を突き動かす原動力にさせてしまう根拠。 「……あのぅ? どうか、しました?」 テーブルを睨みつけるように凝視して考え込んでいるコハクを心配そうに見つめ、おずおずと声をかけた青年。もちろんそれは、先程隣で昼食を取っていたノース・フリップであるのだが。 ……そう。 キールについて、まず彼に出会ってしまったのが最大の不幸だった。 「いえ……。少し、考え事をしていただけです」 そう言って、軽く頭を振る。そうすると、今まで髪に隠れていた右目の斜め下にある泣き黒子があらわになった。光の加減によっては紫にも見える薄い群青の髪と、名前と同じ綺麗な琥珀色をした瞳。それに挟まれて、黒い色の泣き黒子が奇妙に目立つ。 コハクの答えに、ノースは苦笑いを浮かべた。 「考え事、ですかぁ。もしかして、僕の所為、ですか?」 「……どうして、そう思うんです」 「いや、僕の、というよりは彼の、という気がしますけど。まぁ、彼と僕は同じ様なものですし、それにいつもの事ですから」 いつもの事、を強調している。理解はしているわけか、とコハクは心の中で呟き、口では違う言葉を返す。 「それで今、彼はどうしています?」 「さぁ……? 出るに出られなくて、暴れてるんじゃないでしょうかね?」 「はぁ。まさか、あんなところに人がいるとは思いませんでしたから。思い切り手加減無しで……」 コハクの台詞は、途中で途切れた。その視線は、ちょうどノースの頭上で固定されている。そんな異国の青年を、ノースは不思議そうな顔をして見つめた。 「……手加減無しで?」 「――あ」 ノースの言葉が語尾上がりになり、途中で止まったコハクの言葉を促す形になる。 ふわりと。 自分の頭に何かが触れたような気がして、ノースは思わず頭上を見やる。 視界に飛び込んできたのは、一面の白。 頭上から、人が落っこちてきたのだという事を理解する前に、ノースは突然落下してきた人物と一緒に床に倒れる羽目になった。顔中を、今の白いものは何だろう、という疑問で一杯にして。 「……人が、落ちてきましたよ」 危ないですよと言いそびれ、コハクはぽつりと呟いた。もちろん、その台詞にすでに意味が無い事は重々承知の上である。 店中の視線がこちらへと集まっている事に気がつき、コハクは知らないフリをしてここから逃げ出してしまいたい衝動に駆られた。いっそ、今ここで逃げ出して、ノースとの関わりも無かった事にしてしまいたい。 そのノースと言えば。 彼の真上、何も無い虚空から突如出現した挙句、何の断りも無く彼を押し潰してくれた少年――リーフの小柄な身体の下からようやっと這い出たところだった。コハクが逃げ出してしまおうかと結論を下せぬうちににっこりと少し情けない味の混じった笑みを向けてきたので、その笑みを受け止めてしまった異国の少年は結局、今逃げ出すわけには行かなくなってしまう。 仕方が無いので、ノースと一緒に落ちてきた少年を覗き込んだ。 ……と。 少年も、丁度同じタイミングで瞳を開く。衝撃でズレた眼鏡の位置を直す事もせず、がばっと身体を起こすと彼は顔を歪めて右の二の腕を押さえた。自然、つられるように覗き込む二人の視線もそちらへと向かう。 少年の白衣はすっぱりと切れ、赤く染まっていた。 「怪我を、しているのですか?」 それが、コハクがリーフにかけた第一声である。しかし、声をかけられた当のリーフは相手の方を見ようともせずにきょろきょろと店内を見回していた。まるで二人が目に入っていない。一通り店内を見終わった後、白衣の少年はようやっとコハクを真っ直ぐに見た。だがそれは、周りを見回していたら彼が丁度そこにいたから見た、というような類のものではあったが。 「ココは……キールの、水晶亭、ですよね?」 自分が問うた質問の答えとはまるで違う言葉、それも質問で返され、コハクは一瞬「え?」と戸惑いの表情を浮かべる。水晶亭、というのはリーフの 「尤も、水晶亭は二階からですけどね」 水晶亭とは、安宿とバーが一緒になっている冒険者御用達の建物だ。一階がバーで二階からが宿屋になっている。ノースはそれを指摘したのだ。 その答えを聞き、リーフの顔にふっと安堵の表情が浮かんだようにコハクには見えた。が、それも一瞬。この、突然空中から現れた少年は、すぐに何かに追いかけられているような緊迫した表情を貼り付け、ふらりと二階へと続く階段へと向かって行く。そんなリーフの様子は、「俺、急いでるんです」というメッセージを正に身体中から発していると言っても過言では無かっただろう。誰が見ても明らかに聞こえる声の無いその言葉は、少し大きめな白衣を鮮やかな赤で演出している右腕の怪我と同じぐらいにははっきりと主張していた。 「あ……。一寸、待って」 歩き出したリーフに、「その怪我は?」ともう一度聞こうとして手を伸ばす。その時、彼の白衣に触れ、ポケットから何かが落ちた。カツン、と小さな音を立てて床に落ちた「何か」を拾ったのはノースである。横で傍観していた彼の方が、少年に手を伸ばしていたコハクよりもそういった反応は早かった。 「コレ、落ちましたよ?」 そう、声をかけられたのすら、気が付かない。少年はふらふらとした足取りの割には確りと階段を上って行ってしまった。後に残された二人は気まずい空気の中、顔を見合わせる。 「……一体、何を落としたんです?」 「さぁ……?」 にこっと小首を傾げ、差し出した掌の上には変わった形をした小さなピアスが乗っていた。十字架を縦に割り、壊れたそれを無理やり中央で縫い付けたような模様の入った、銀色のピアス。 ――壊れた、十字架。 それを見て、ひゅっと鋭く息を呑む。そして、弾かれたようにリーフの上って行った階段を見上げた。 彼を、逃がしてはならない。 『神託』の答えは――ここにある。 直感、もしくは第六巻としか例え様の無い漠然とした確信がそう、告げていた。その確信に引きずられるように、コハクはテーブルの脇に立てかけていた六尺棒を持つと先程少年が上って行った階段を一気に駆け上がった。 「帰り、遅いね」 水晶亭の二階にある一室。その窓際でティルが口にした台詞は、ここにいる誰もが感じ始めていた事だった。朝食の際、リーフが一寸用事があると告げ、フィリエラがそれについて行く等と言い出したのでリリィも同行すると申し出たのだが、リーフが口を開く前にフィリエラによってあっさりと拒否されたのである。 「何だかのぅ。いつもいっつもお主と一緒というのにもいい加減飽きてきたのじゃよ」 本当につまらなさそうな顔で言い捨て、困惑するリーフを促しながら彼女は街へと行ってしまった。その台詞を聞いたリリィが絶句しているところへ、エルゥがちょんちょんと嘴を突き出す。 「あんな〜? リリィちゃん、もー一寸普通にフィーちゃんに接してやったらどうなんやろか」 「……普通?」 リリィは、分からない、と怪訝な顔をした。彼女にとって、今までのフィリエラに対する態度が普通だったのだから無理も無い。代々、巫女である彼女の一族にとってはフィリエラ―― その反応に、エルゥは首をきゅっと傾げる。 「普通は普通やろ。わいらと同じ様に接したらええんやないかって言っとんのや」 単純に、不思議だった。リリィとフィリエラのやり取りを見て、いつも思っていた事が大きな嘴から滑り出る。 「わいらはな、フィーちゃんが 一人ぼっち。 その言葉に、リリィはぴくりと反応を示した。 ――いい、リリィ。 まだ幼い彼女にそう柔らかく告げたのは、彼女の母だったのかそれとも祖母だったのか。幼すぎた記憶はぼんやりとして釈然としない。 だが、幼い自分はこう返事をしたような覚えがある。 ――でも……眠ってるんでしょ? 眠ってたらお話しても、聞こえないよ? ――眠る前に本を読んであげる事があるでしょう? リリィはいつも途中で眠ってしまうけれど、お話を知っているような気はしない? ――うん。夢で、続きを見るの。 そうでしょう? と記憶の中の人物はやんわりと微笑む。誰の笑顔だったのかは覚えていないのに、それがとても暖かな力を持った笑みだったという事を、彼女は鮮明に記憶していた。 ――だから、ね。 ――貴女も、お話をしてあげて。貴女の事や皆の事、世界の事を。フィー様が、楽しい夢を見られるように。一人ぼっちで寂しい世界に取り残されてしまわないように。 ――うん。一人ぼっちは寂しいもの。あたしが一杯一杯お話して、楽しい夢を見られるようにしてあげる。たくさん、たくさんお話してあげるの! 『一人ぼっちは、寂しいもの』 確かに、自分はそう言った。まだ、幼かったあたしは――。 「一人だけ特別扱いされるっちゅうんは寂しいもんや。どうしたって壁が出来る。どんな類の『特別』やってもやっぱり寂しいんとちゃうんかな?」 すぐに、ちゅうんは無理でも、少しずつ普通に接していったらいーんちゃうやろか、とエルゥは言い、そこでこの話を切り上げた。 それから六時間半。すでに、一日の四分の一が過ぎてしまっている。昼食を取った時に一緒になったまま、ティルとエルゥ、リリィとベオの四人はティル達の部屋に集まっていた。特に何をするわけでもないのだが、ティルとエルゥ以外の二人とも、相方が出掛けてしまっているので何となく残った者同士で集まったのである。 リーフは出掛ける前、多分昼食過ぎには戻って来れる、と言っていた。だがしかし、すでに昼食はおろかそろそろおやつの時間に差しかかろうか、という時刻に迫ってきている。本人には心当たりが無いようだったがリーフは狙われているようだ。フィリエラはフィリエラで何を仕出かすか分からない。そういったところから、先程のティルの台詞が生まれてきたのだった。 「ベオさんはリーフが何処に行くって言ってたか聞いた?」 ティルの問いに、ベオはあっさりと首を横に振る。口数は少ないがいたずらに嘘をつくような人物ではないというのが分かる程度には、彼を理解出来ていた。エルゥはリリィとお喋りに花を咲かせているし、他に口を開く事も無く、ティルはぼーっと窓の外を眺める。 『ここを出たら港町キールに向かうとするぞ。そこでも何か面白い事が起こりそうじゃからの』 あの、言葉。 カーラ村でフィリエラが面白く無さそうに呟いたその言葉が、ティルの頭にこびり付いていた。 フィリエラは面白い事、等と言ったが、彼女のあの様子から言って言葉の通りの面白い事が起こるわけでは無いだろう。要するに、面倒な事、厄介な事……そう言った類の事柄を揶揄する意味のこもった面白い事、というわけだ。 ここ、キールに着いたのは昨日の夕方である。すぐに水晶亭に宿を取り、そのまま夕食になった。昨日の今日である。何かが起こるにしては些か早すぎやしないだろうか、とか、面白い事が起こる、と予言したのはフィリエラ本人なのだから、もし今日それが起こるのならわざわざリーフと二人で出掛けたりはしないんじゃないかとか、無意味で勝手な推測だけがぐるぐるとティルの脳裏を駆け巡っていた。 いつもなら。 少女のそんな言葉ぐらいで二人の安否を気にする程お人好しではない。だが、今回は妙に、気にかかる。気になりだすと、リリィを突っぱねた朝の態度やそそくさとリーフを促して出て行った事等、あらゆる事が気になって仕様が無かった。 ぐるぐると。 答えは、出ない。 出るのは、疲れたため息だけだ。 「……何処、行くんや」 「一寸、外の空気に当たって来る」 リリィとのお喋りを止め、エルゥが問うた。ティルは戸口に向かいながら簡単に返し、内開きの扉に手を掛ける。鍵は、掛かっていない。 ――だが。 扉を引っ張る前に、それは開いた。目の前に押し出された扉にぶつかりそうになり、慌ててティルは身体を捩る。その所為で身体が扉の後ろ側に隠れる格好になり、結果、何故扉が勝手に開いたのか、彼がその原因を知るのはこの場で一番最後になった。 「……リーフ」 掠れた声で。 リリィが、ぽつりと呟いた。 |