|
夢を見たのだ、と思う。 今までだって、よくあった事だと、思う。 ――それなのに。 何故、胸騒ぎがするのだろう。 何故、こんな場所にいるのだろう。 でも。 そんな事は、今更考えてもどうしようもない。 それこそどうしようもない結論が出て、彼は大きくため息をつく。 家を出てくる前にもっとよく考えておくべきだったのだ。そうしていれば、今こうやってため息をついている事も無かったし、面倒な事に巻き込まれている事も無かったに違いない。 ごちゃごちゃと考えながら、ちらりと隣を見た。カウンタの隣の席には少々ぽーっとした感じの青年が今までと変わりなく座っている。これでもかと言うほど派手な黄色をしたバンダナが落ち着いたモスグリーンの髪に巻きついていた。黙々と遅めの昼食を口に運んでいる青年は、彼の視線に気がついたのかフォークを動かす手を止めるとにこっと笑って見せた。その笑みにつられてぎこちなく笑ってみたりしながら彼――コハクは、心の中で盛大にため息をつく。 ここは、フィリルアー大陸最大の港町であるキールだ。フィリルアーと そしてコハクも、フィリルアーの人間ではない。フルネームは ……こんな事、してる場合じゃないんだけどな……。 カウンタに肘をつき。ゆったりとした袖から白い腕を覗かせながらコハクは隣に座る青年、ノース・フリップを見つめてもう一度ため息をついた。 ――そして。 もう一人。 ため息を止められない人物がいる。 はぁ……。 キールについてから三軒目の宿の入り口を出て、リーフは空を仰いで深いため息をついた。自分の憂鬱な気持ちとは裏腹に憎たらしくなるほど綺麗な快晴で、真っ青なその空にリーフは少しの腹立たしささえ覚える。 「なんじゃ。また、外れじゃったのか?」 下から、時代錯誤な台詞が聞こえた。今しがたリーフが閉じた扉の横で、フィリエラがちょこんとしゃがんで彼を見上げていた。 「うん、外れ。やっぱり、来てないってさ」 「じゃからずっと言っておるじゃろう。お主の両親は、ここにはいないと」 相変わらず自信たっぷりな態度で言い、彼女は立ち上がった。ぱんぱんと服についた汚れを払い、「して、これからどうするのじゃ?」とリーフに問う。 「とりあえず、残りの宿も当たってみるよ。……多分いないだろうけど」 最後の方は自分に言い聞かせるような口調だった。期待はしていないけど一応当たっておこう、という気持ちがありありと見て取れる。まるで、いる確認、ではなく、いない事を確認しに行くようだ。 大陸最大の港町だけあって、宿屋はそこかしこにある。宿を探す時間は省けるけれど、人捜しをするには向いていない街だと胸中でぼやきながらリーフは歩き出す。 そんなリーフについて歩きながらフィリエラは、さして面白くも無さそうな口調と表情でまた質問をした。 「多分、いない? そう思っておるのに、何故わざわざ当たってみるのかのぅ?」 それは、答えを求めた言葉というよりは心の底から不思議だと思っているからつい口に出してしまったような台詞だった。だから、厳密には質問とは言わないのかもしれない。 「さぁ? 一応、可能性ってやつじゃない?」 「なるほどのぅ。お主達は自身の目で見たものしか信用出来ないように出来ておるのかの」 慎重と言い換えればそうなのかもしれないが、時にはそうじゃない時もあるんじゃがの、と呟いた言葉はどうやらリーフには届かなかった。 ――黒い翼の影が、晴天の空を横切る。 自分の目で確りと見てしまった現実と。 もう、見る事は叶わぬ想い出と。 時が来たら、自分は一体どちらを信用するのだろうか――。 「それで? 両親が見つからなかった時は、どうするつもりなのじゃ?」 「結社を、探すよ」 いつものほほんとしているハーフエルフの少年が、固い決意を込めた短い言葉で答える。 最初は、この港町が自分の旅の終わりだと思っていた。 両親が自分よりも先にキールについているなどという事は、世界がひっくり返ったって無いだろうとは予想済みだった。だから、そのままここで両親が到着するのを待とうと思っていたのである。神話クラスの方向音痴である彼の両親だが、別大陸に渡ろうとして家を出た以上、例え目的地が何処であろうとまず最大の港町であるキールには立ち寄るだろう。いつ立ち寄るかは分からないけれど、いつかは必ず落ち合える。 落ち合えたら。 アカデミーに。 ――ステラのいるイスライアに、戻るはずだった。 でも、今は。 戻れない。 このままじゃ、帰れない。 『壊す事は簡単でも、直す事は難しいから』 褐色のイグナーダの言葉が頭を掠める。 例え。 例え、その通りだとしても。 直そうと努力する事は、決して悪い事じゃないはずだ。 ――だから。 手を固く握り締めて黙々と歩くリーフを見上げ、フィリエラはやれやれと首を横に振った。 「お主が十字架軍団を探したいのはよぉ〜っく分かったが、どうやって探す気じゃ? 心当たりなんぞ、何処にも無いのじゃろう?」 ステラの声が甦る。聞き慣れた口調で、でも知らない顔で言った、台詞。 「探す必要なんて、本当は無いんだ。向こうから来てくれるみたいだから」 彼は、気付いていなかった。フィリエラが正に、その答えを欲して質問をしたのだという事に。 彼女はそうじゃな、と低く返し。 「じゃがの、一つ間違いがある。奴等の狙いはお主ではない」 「――え?」 いつの間にか、彼らの周囲には人がいなくなっていた。否、動物すらいない。風も止まり、不自然な程辺りは静まり返っている。 だが、その異変にリーフは気が付いてはいない。 「今の、奴等の狙いはわらわじゃ」 そう言って、フィリエラは白衣の少年を思い切り突き飛ばした。 「――わッ!」 小柄な少女の身体の何処にそんな力があったのか。不意をつかれたというのもあるが、リーフは思わずその場に尻餅をついた。 彼を突き飛ばしておいて、フィリエラは両手で小さく印を結ぶ。たったそれだけの動作をしただけだったが、リーフには彼女の前の空気がふわんとたわんだように見えた。まるで、そこに透明な膜でも張ってあるかのように。 次の瞬間。 がががががっと重たい音がして、一本が人一人分程もある巨大な氷柱が辺り一面に降り注ぎ、リーフは顔を背けて腕を上げた。もちろん、そんな事でどうにか出来るとは思っていないが、条件反射なのだろう。 ――が。 いつまで経っても衝撃はやって来ない。 ふ、と顔を上げると。 今度こそ。 ふうわりと柔らかく空気がたわむ。だが今度はフィリエラの正面だけではなく、彼女とリーフを中心にして円形に空気は揺らいでいた。巨大な氷柱は見えない幕に絡め取られて空中で細かく振動しながらその場に留まっている。四方八方の空気がたわむ様子はまるでシャボン玉のようで、中に入ったらこんな感じかとリーフは思う。 ほわ、と波紋が氷柱の衝突した場所場所で起こり、押さえ込まれて力を失った氷柱はたちまち小さくなって消えていく。少女の発生させたシールドは、中の者を守るだけではなく衝突した魔法の力を失わせる効果も持っているらしい。 波紋が消え去るのを待って、リーフはようやっと立ち上がった。周りを見回し、シールドに当たらなかった氷柱が地面にめり込んでいるのを見て小さく息を呑む。そして、これだけ派手に異常気象が起きたというのに、騒ぎにならないのは不自然だと、今更ながらに気が付いた。 「……全く以って面倒じゃ」 忌々しそうに呟くフィリエラ。舌打ち混じりの彼女の声に普段聞き慣れない響きを感じ取り、リーフは一瞬聞き間違いかと耳を疑った。 それは。 焦りと――恐れ。 いつも無駄に自信過剰な少女の口から、そんな感情のこもった言葉が発せられるとは瞬時に理解出来なかった。それだけ、彼が感じ取った感情がはっきりと先程の呟きに表れていたのである。 「……何をしておる」 唖然とフィリエラの横顔を見つめていたリーフは、少女の面白く無さそうな呟きで我に返った。もう、今の言葉には先程のような感情はこめられていない。だからと言って、いつも通り自信たっぷりというわけでももちろん、無い。 「な、何って……」 「お主、 「……え?」 リーフの台詞に被せるように問いかけた少女の言葉に、小柄なハーフエルフは目を丸くする。 「使えない事も、無いけど……」 頼りなさげに語尾が消える。それは、自信が無い事を如実に物語っていた。が、フィリエラは小さく頷く。 「それなら、早くここから脱出するのじゃ。相手が本気にならないうちに、な」 人払いの結界が張ってある、と彼女は低く呟き、辺りを見回した。つられてリーフも視線を巡らせ、屋根の上で、キラリと小さな何かが太陽の光を反射するのを目の端に捉える。 あれは、あの壊れた十字架だろうか。 「おそらく……さっきの宿の辺りからじゃろう。この辺り一面に張っておる。これだけデカい結界を張るとなると、相手の人数も実力も相当なもんじゃろうて」 面倒じゃ、と彼女はもう一度呟き。 「敵は、わらわの フィリエラの言葉に、ちくりとささくれ立ったものを感じて、リーフはふっと視線を地面に逸らした。 あの時。 ステラを、逃がさなければ。 尤も、自分がそんな組織に狙われるような事をした覚えは無い。フィリエラ達にしたって、彼女達の事情を詳しく聞かされていないリーフにとっては何故狙われるのかやはり分からない。が、こうして相手に、フィリエラ達の事が知れたのはステラが報告したからだろう。そうでも無ければ、居場所がバレるのが早すぎる。 「お主、わらわが言った事を聞いていなかったのか? 早く脱出しろと言ったじゃろう」 完全に、苛立ち混じりの口調だった。両手は印を結んだままで、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。 「だって……俺の能力じゃ二人も移動出来ないよ……!」 「誰が二人だと言ったのじゃ? わらわは、お主に逃げろと言っておるのじゃよ」 「そんな、そんな事出来ないよ……ッ。フィリエラ一人だけ残して行くなんて」 ありがた迷惑じゃな、とフィリエラはリーフの言葉を遮る。 「分からないようじゃから教えてやるが、お主、邪魔なのじゃよ」 「――ッ!」 鋭く言い放たれた言葉。少女は更に言い募る。 「お主の分、余計にシールドを広げているから結界をぶち壊す事が出来んのじゃ。当たり前じゃが、二人分じゃと疲れるのも倍になる」 冷たく言葉を続けた彼女に対し、返す言葉を失ってリーフは呆然と立ち尽くした。そんなハーフエルフをちらりと見、とうとう痺れを切らしたかのように言葉を荒げる。 「邪魔だと言っておるのが分からんのか! もし、わらわの為に何かをしたい等と考えておるのなら、今すぐここから消える事じゃ! お主がいるお陰で何も出来んままというのは何とも癪じゃからのう!」 『宝珠さえ、あれば』 怒号とは別の台詞が、はっきりとリーフの脳内に響く。その感覚は、ボールドウィンの屋敷で経験したものとよく似ていた。 思いが強すぎる為に。 テレパス能力を持つ者が、意識せずともその思いを受信してしまう。 今脳内に響いた言葉こそが、フィリエラの本当の気持ち。 少女が宝珠無しでこれだけのシールドを制御しているのだという事実も驚きだったが、今はそんな事に驚いている暇は無い、とようやっとリーフは理解した。 そして、自分がするべき事も。 ――宝珠が無いのなら。 持ってきて、あげれば良い。 単純な、答えだ。 その答えをフィリエラに伝えると、少女は一瞬眉を寄せた。が、何か納得したように頷き、小さく笑みを浮かべる。 その、幼いが整った顔に浮かんだのはいつも通りの、自信に満ちた表情だった。 だけど――本当は。 リーフが ふわりと、身体が地面から離れる感触。 上手く行きそうだと、手ごたえを感じる。 目的地は、彼らが借りている宿屋の部屋。 ――きっと。 きっと、すぐ戻って来るから。 だから。 それまでどうか――持ち堪えて。 ふわっと現実から切り離される独特な感覚を味わいながら、リーフは集中する為に閉じていた瞳を開ける。 「……ッ!」 開いた彼の視界に飛び込んできたのは、術に集中しているフィリエラと彼女を飲み込まんと空から降ってくる大量の氷柱――。 ……第二撃ッ!? 「……フィ――ッ!」 手を伸ばし、少女の名前を叫ぼうとした。だがそれは、発動してしまった 「……ァつッ!」 ぴしりと伸ばした右腕に走った鋭い痛みを合図にしたかのように、今まで立っていた通りがぐんと遠くなる。ふわりと身体が持ち上がるような不安定な感覚は、 どんどんと小さくなっていく視界の中で彼が最後に見る事が出来たのは、今まで自分が立っていた場所に巨大な氷柱が楔のように地面に打ち込まれる光景だった。それすら、目の端に捉えたと思った時にはもう、彼の視界は外界から切り離され何も写し取らなくなる。 ――ああ。 落ちる――。 |