さようなら、ねこまん
〜痛恨の3日間の記録〜

                              
私がもっとも愛した猫、ねこまんが、2002年1月19日急死しました。
満9歳と3ヶ月の命でした。

ねこまんは、本当にいきなりの事故だったので自分の置かれた状況が理解できないまま、逝ったと思います。
ましてや私の運転する車に轢かれたとは、判っていないでしょう。

******************1月17日(木曜日*******************
今日は、夕方に次男を英会話教室に送った後に買い物をして、
いったん冷凍食品等を家の冷蔵庫に入れようと思って午後6時ごろ車庫に戻りました。

最初何が起こったのが理解出来ないでいました。
まったく何の衝撃も感じなかったので・・。
ただドアを開けて降りたら、
猫の変な鳴き声がするな・・と。
とってもねこまんの声には聞こえず、フケたその辺のオス猫の鳴き声かと思ったほどです。
でもどうも車の下からのようなので、よく確認したら猫がうずくまっていました、
引っ張り出してみたら、なんとねこまんで、しかも血だらけで・・・。

異常な声で精一杯鳴いて私に知らせて、

私が気が付いて抱き上げたら安心したようにそれきり鳴きませんでした。

深く信頼していてくれたことがよく判ります。

大急ぎで訳も判らないまま、かかりつけの
獣医さんへ運び込みました。
ちょうど夜の7時なろうとした頃で、ペットクリニックは、ドアを閉めかけていましたが
もちろん直ぐに診て下さいました。
診察した獣医さんに車に惹かれたらしいとお聞きしても、まさか私の車とはまだ思えなかったくらいです。
でも何処にも這って来た跡もなく、第一動ける状態でなかったので、
私が自分ではねたのに違いないと、ジワジワと理解してきました。
これが一番ショックでした。
ドジというのでは片付けられない失敗でどうしようもないです。
家族も表立っては私を責めませんが、私の責任だと怒りのぶつけ様がなく戸惑っているのがよく判ります。

怪我の状況は、
膀胱破裂と仙腸骨の剥離骨折、右後ろ足の大腿骨骨頭の脱臼、舌の裂傷などでした。
肝機能の数値も大変高く、一部に気胸の所見もありました。

手術が終わり、意識を取り戻すのを確信してから帰宅しましたが、
「お母さん、痛い!全身が痛いにゃ〜、助けて!」
とICUのボックスの中から弱々しい声で叫んでいるようでした。

今夜は、ねこまんがショックを起こさずに乗り切ってくれることを願ってやみません。
もし順調に回復すれば来週に骨折の二次手術をもう一度施行して2週間ほどで退院できると先生はおっしゃるのです。

今日の昼頃、猫用コタツと猫用オシャレキャップ(うさぎの耳帽子)を注文したばかりで、
それらが到着した時にねこまんがこの世にもういない・・なんてこと考えるのもイヤです。
たとえビッコになってもいいから、助かって欲しいです。

******************
1月18日(金曜日)***************

さすがに昨夜は私もまんじりともしませんでした。
麻酔から覚めたねこまんが全身の痛みにじっと耐えていると思うと・・・。
もし急変すれば、すぐに連絡してくださること事でしたので、電話機も抱えていました。
とりあえず今朝までには、獣医さんからそうしたお電話は無かったので、ひとまず胸を撫で下ろしました。

今日の仕事は、午前100人突破・午後も90名近くと大変に忙しく、
その間はねこまんの事は考える暇がなくて、かえって楽なぐらいでした。

午後6時半を過ぎて、ちょうど事故から24時間後になる頃、やっと獣医さんの所に行けました。
相変わらず、人間の未熟児用のボックス(猫用ICU)に入っていましたが、すっかり落ち着いた様子でした。
昨夜は、興奮して動き回り、その度に計器が警報音を出すので獣医さんは見回りが大変だったそうですが、
今日は
一日じっと痛みに耐えている様子とのことでした。

私がボックスの窓口から声を掛けて頭を撫でてやってもトロンした目で見返すだけで、動こうとしません。
「傾眠状態なんですか?」
とお聞きすると、
「いや目覚めてますよ、私が触ると怒りますから。」
なるほど、身をよじらせて避けようとしてました。
私のことは判っているようで、よけい切なかった・・。
人間の子供だったら、母親が手を握って付き添う場面だろうに。

******************1月19日(土曜日)***************                 

ねこまんは、今夜逝きました。
私たち家族が面会に行った午後5時ごろは元気でしたが、その後6時ごろ
ショック症状となり、
手厚い看護の甲斐もなく、静かに逝ってしまいました。
まるで私たちと最後のお別れをするのを待っていたかのようでした。


ねこまんは、いったん心臓が停止した後
「ねこまん、元っておいで。お母さんを置いて逝ってしまわないで・・」
と耳元で泣きながら叫んだら、また自発呼吸も始まって、こちらに帰ろうとしたんです。

たぶん一生懸命・・・。
でも、肝不全に呼吸不全が重なって、どうしても返って来れなかった、こちらの世界に・・。

獣医さんが、「これは、もう無理ですね・・」と静かに仰って、聴診器も外した後、静かに瞳孔が散大して行きました。
医学生の時も何度も見慣れたシーンなんですが、まるで映画のシーンを見ているように実体感がなく、
それでも、
いきなり大きく開いていく瞳孔を見ているうちに”これは現実だ”という衝撃が襲ってきました。

自分が立っている感覚もないほどの衝撃ってあるんだと思いました。
退院して来るとずっと信じていたので、足元が崩れる感じがしたのです。
覚悟の出来ていない死というものがこれほどの衝撃をもたらすということを、初めて知った次第です。

もう苦しまなくていいんです。
きっと天国に旅立っていったと思います。

最後に静かな眠っているような姿で皆さんとお別れしましょう。

ねこまんへの最大のお詫びは、最初から室内飼いをしなかったことです。

血統書つきでもない猫だから、自由に猫らしく生活させて上げたいなどと考えた所が、
猫の飼い主として心得違いだったと思います。
ちゃんとした猫の飼い方のHPや本には、”真の愛猫家は室内飼い”とあります。
私は、やっぱり犬の事しか良く知らなかったんです。

その為に何度も猫同士の喧嘩にも遭い、行方不明にもなりかかり、
何度も危険な思いをさせて、ついにこんな事態になってしまいました。
人間の都合で、一度も猫の恋を知ることもなく避妊手術されて子孫も残せなかった。
せめて、ペットとして15年も20年も長生きさせてあげたかった。
もし今度猫を飼うことがあれば、間違いなく家の中だけで飼うでしょう。

「お母さん悲しまないで」
うん、きっと優しいねこまんは怨んではないと思います。
たとえ私の罪を知っても、許してくれているでしょう。
今も足元で、いつものようにスリスリしているかも。

そう、ねこまんは私の「心の中」で元気に生き続けていくことでしょう。
何のために私とねこまんは出会い、そして一足先に別れて行ったのか・・・。

ねこまんがいなければ、間違いなく今の「うにゃ子」のHNはありませんでした。
このHPも作っていたとしても今のタイトルじゃなかったでしょう。


たくさんの幸せをこの小さな生き物から貰いました。
食いしん坊なねこまん、
寝相の悪さが、可笑しくて・・・
毎朝4時には私を起こして、お外に出て行き、寒いとちゃっかり温室に入り込んで暖房の真下で寝てましたっけ・・。
ねこまんの爪砥ぎの為に何度も張り替えた壁紙。

他の誰がいても、必ず私からご飯を貰わないと気がすまなくて、寝ている私を起こしに来たり、
今お手伝いさんから貰ったばかりなのに、またおねだりにやって来て、
まるで「お母さんから貰ってあげないと悪いから」って気を使っている様で、
そんなに続けて食べたら白猫じゃなくて、白豚になっちゃうぞ・・って、笑いながら上げました。

今夜は、魂が家に帰って来ている気がしてなりません。
全くそのまんまにしてある、猫ベットの上に寝ていそう。
姿が見えないだけで。

******************1月20日(日曜日)***************
午後1時に車で30分くらいの所にある宇都宮ペット霊園で火葬し、
その後に義母の愛犬も眠っている我が家のペット用墓地に、散骨しました。
土に返るようにって・・・。

昨夜は、何も口に入る気がしませんでしたが、今日はお昼にうどんを、夜はお弁当を取り寄せて食べました。
久しぶりに、泣きながら食べる食事です。

辛いけれど、乗り越えていかなくては・・。
ここで
私がくじけていては、苦しいのにあんなに頑張ったねこまんに恥かしいから

小さなケースに分骨したねこまんの骨の欠片と歯を大事にお守りとしたいと思います。
可愛いお位牌が完成してくるまでは、このケースとお写真に飾り、
毎日お水とキャットフードを上げて、ハーブのお線香をたきましょう。

間もなく、先日注文した猫用お帽子とコタツが届くのがたまらないけれど、それもお供えしてあげるつもりです。

もし皆さんの周りで、青い目の白い仔猫の情報があったら、いつでも良いですから教えてください。
ねこまんは雑種の為にむしろ同じ姿形の仔猫を探すのが難しいです。
ご縁があったら、もう一度ねこまんの形見として、そういう猫を飼いたいです。
今度は必ず最初から室内飼いにします。

ねこまん、本当にごめんね。
天国で幸せになってください。
そして、もし良かったら姿を変えてでもいいから、もう一度お母さんの元に帰って来てね。

                                                 2002年1月24日、うにゃ子記す


なお現在は、ねこまんとそっくりな青い目の白猫”アントン”が我が家にやって来て、また賑やかになりました。
ねこまんを失って苦しかった日々、何より慰めてくれたページは『虹の橋』(ここをクリック)の寓話でした。
もしこれを読んでいらっしゃるあなたが、ペットロスの悲しみで苦しい時には、どうぞご覧になってください。