Kaneda Copyright Agency ホームに戻る
カネダ著作権事務所

著作権判例エッセンス

美術著作物▶個別事例②(舞台の配置/水槽を模した電話ボックス

[舞台の配置]
平成28719日東京地方裁判所[平成27()28598]
コンサート会場の舞台上の演奏者や物の配置は,ある程度似通ったものにならざるを得ず,いかに原告会社が金屏風を用意し,コンサートの奏者の配置を考えたとしても,このような抽象的な配置自体に著作物性があるとはいえ(ない)。

[水槽を模した電話ボックス]
▶令和3114日大阪高等裁判所[令和1()1735]
(1) 著作物の要件について
控訴人は,原告作品が著作権法10条1項4号にいう「美術の著作物」に該当すると主張する。
著作物とは,「思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するもの」をいうから(同法2条1項1号),ある表現物が著作物として同法上の保護を受けるためには,「思想又は感情を創作的に表現したもの」でなければならない。第1に,思想又は感情自体ではなく「表現したもの」でなければならないということであり,第2に,「創作的に表現したもの」でなければならないということである。そして,創作性があるといえるためには,当該表現に高い独創性があることまでは必要ないものの,創作者の何らかの個性が発揮されたものであることを要する。
表現がありふれたものである場合,当該表現は,創作者の個性が発揮されたものとはいえず,「創作的」な表現ということはできない。また,ある思想ないしアイデアの表現方法がただ1つしか存在しない場合,あるいは,1つでなくとも相当程度に限定されている場合には,その思想ないしアイデアに基づく表現は,誰が表現しても同じか類似したものにならざるを得ないから,当該表現には創作性を認め難い。
原告作品は,その外見が公衆電話ボックスに酷似したものであり,その点だけに着目すれば,ありふれた表現である。そこで,これに水を満たし,金魚を泳がせるなどしたことにより,原告作品に創作性が認められるかが問題となる。
(2) 原告作品の著作物性について
原告作品のうち本物の公衆電話ボックスと異なる外観に着目すると,次のとおりである。
第1に,電話ボックスの多くの部分に水が満たされている。
第2に,電話ボックスの側面の4面とも,全面がアクリルガラスである。
第3に,その水中には赤色の金魚が泳いでおり,その数は,展示をするごとに変動するが,少なくて50匹,多くて150匹程度である。
第4に,公衆電話機の受話器が,受話器を掛けておくハンガー部から外されて水中に浮いた状態で固定され,その受話部から気泡が発生している。
そこで検討すると,第1の点は,電話ボックスを水槽に見立てるという斬新なアイデアを形にして表現したものといえるが,表現の選択の幅としては,入れる水の量をどの程度にするかということしかない。また,公衆電話ボックスが水槽化していることが鑑賞者に強烈な印象を与えるのであって,水の量が多いか少ないかに特に注意を向ける者が多くいるとは考えられない。したがって,電話ボックスを水槽に見立てるというアイデアを表現する方法には広い選択の幅があるとはいえないから,電話ボックスに水が満たされているという表現だけを見れば,そこに創作性があるとはいい難い。
第2の点は,本物の公衆電話ボックスと原告作品との相違であるが,出入口面にある縦長の蝶番は,それほど目立つものではなく,公衆電話を利用する者もその存在をほとんど意識しない部位である。したがって,鑑賞者にとっても,注意をひかれる部位とはいい難く,この縦長の蝶番が存在しないという表現(すなわち,電話ボックスの側面の全面がアクリルガラスであるという表現)に,原告作品の創作性が現れているとはいえない。
第3の点は,これも斬新なアイデアを形にして表現したものである。そして,金魚には様々な種類があり,種類によって色が異なるものがあるから(公知の事実),泳がせる金魚の色と数の組み合わせによって,様々な表現が可能である。実際,1000匹程度の金魚を泳がせていた「テレ金」は,床面辺りから大量の気泡が発生していることと相まって,原告作品とはかなり異なった印象を鑑賞者に与える作品であると評価することができ,その表現に原告作品との相違があることは明らかである。もっとも,このように表現の幅がある中で,原告作品における表現は,水中に50匹から150匹程度の赤色の金魚を泳がせるという表現方法を選択したのであるが,水槽である電話ボックスの大きさとの対比からすると,ありふれた数といえなくもなく,そこに控訴人の個性が発揮されているとみることは困難であり,50匹から150匹程度という金魚の数だけをみると,創作性が現れているとはいえない。
第4の点は,人が使用していない公衆電話機の受話器はハンガー部に掛かっているものであり,それが水中に浮いた状態で固定されていること自体,非日常的な情景を表現しているといえるし,受話器の受話部から気泡が発生することも本来あり得ないことである。そして,受話器がハンガー部から外れ,水中に浮いた状態で,受話部から気泡が発生していることから,電話を掛け,電話先との間で,通話をしている状態がイメージされており,鑑賞者に強い印象を与える表現である。したがって,この表現には,控訴人の個性が発揮されているというべきである。
被控訴人らは,金魚を泳がせるためには水中に空気を注入する必要があり,かつ,受話器は通気口によって空気が通る構造をしているから,受話器から気泡が発生するという表現は,電話ボックスを水槽にして金魚を泳がせるというアイデアから必然的に生じる表現であると主張する。しかし,水槽に空気を注入する方法としてよく用いられるのは,水槽内にエアストーン(気泡発生装置)を設置することである。また,受話器は,受話部にしても送話部にしても,音声を通すためのものであり,空気を通す機能を果たすものではないから,そこから気泡が出ることによって,何らかの通話(意思の伝達)を想起させるという表現は,暗喩ともいうべきであり,決してありふれた表現ではない。したがって,受話器の受話部から気泡が発生しているという原告作品の表現に創作性があることは否定し難い。
なお,第1から第4までの点のほかに,控訴人は,原告作品が環境問題をテーマとしていることから,公衆電話機の色と電話ボックスの屋根の色がいずれも黄緑色であることを特に重視している(控訴人本人)。しかし,原告作品は,実際に存在するいくつかの公衆電話ボックスの中から選択したものとほぼ同じ外観をした水槽から成るところ,公衆電話機の色と屋根の色が黄緑色のものはよく見られるところであるから(公知の事実),この点だけをみる限り,そこに創作性を認めることはできない。
以上によれば,第1と第3の点のみでは創作性を認めることができないものの,これに第4の点を加えることによって,すなわち電話ボックス様の水槽に50匹から150匹程度の赤色の金魚を泳がせるという状況のもと,公衆電話機の受話器が,受話器を掛けておくハンガー部から外されて水中に浮いた状態で固定され,その受話部から気泡が発生しているという表現において,原告作品は,その制作者である控訴人の個性が発揮されており,創作性がある。このような表現方法を含む1つの美術作品として,原告作品は著作物性を有するというべきであり,美術の著作物に該当すると認められる。
なお,被控訴人らは,水槽以外の物を水槽化して金魚を泳がせるという表現は大和郡山市内では多数みられ,ありふれたものであると主張する。しかし,平成12年に原告作品が公表される前からそれらの作品が作成されていたと認めるべき証拠はなく,原告作品や,「テレ金」,「金魚電話」又は被告作品が公表された後,それらに触発されて作成されたということが十分に考えられるから,被控訴人らの上記指摘をもって,原告作品をありふれたものということはできない。
[参考:本件の原審の判断は以下の通り]
▶令和元年711日奈良地方裁判所[平成30()466]
作品等に思想又は感情が創作的に表現されている場合には,当該作品等は著作物に該当するものとして著作権法による保護の対象となる一方,思想,感情若しくはアイディアなど表現それ自体ではないもの又は表現上の創作性がないものは,著作物に該当せず,同法による保護の対象とはならないと解される。
また,アイディアが決まればそれを実現するための方法の選択肢が限られる場合,そのような限られた方法に同法上の保護を与えるとアイディアの独占を招くこととなるから,この点については創作性が認められず,同法上の保護の対象とはならないと解される。
そこで,原告作品の基本的な特徴に着目すると,①公衆電話ボックス様の造形物を水槽に仕立て,その内部に公衆電話機を設置した状態で金魚を泳がせていること,②金魚の生育環境を維持するために,公衆電話機の受話器部分を利用して気泡を出す仕組みであることが特徴として挙げることができる。
このうち,①については,確かに公衆電話ボックスという日常的なものに,その内部で金魚が泳ぐという非日常的な風景を織り込むという原告の発想自体は斬新で独創的なものではあるが,これ自体はアイディアにほかならず,表現それ自体ではないから,著作権法上保護の対象とはならない。
また,②についても,多数の金魚を公衆電話ボックスの大きさ及び形状の造作物内で泳がせるというアイディアを実現するには,水中に空気を注入することが必須となることは明らかであるところ,公衆電話ボックス内に通常存在する物から気泡を発生させようとすれば,もともと穴が開いている受話器から発生させるのが合理的かつ自然な発想である。すなわち,アイディアが決まればそれを実現するための方法の選択肢が限られることとなるから,この点について創作性を認めることはできない。
そうすると,上記①,②の特徴について,著作物性を認めることはできないというべきである。

一覧に戻る

https://willwaylegal.wixsite.com/copyright-jp