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カネダ著作権事務所

著作権判例エッセンス

著作権の制限>引用▶適法引用の要件②(主従関係性/公正な慣行/正当な範囲内)

[主従関係性]
▶昭和601017日東京高等裁判所[昭和59()2293]
「引用」とは、報道、批評、研究等の目的で他人の著作物の全部又は一部を自己の著作物中に採録することであり、また「公正な慣行に合致し」、かつ、「引用の目的上正当な範囲内で行なわれる」ことという要件は、著作権の保護を全うしつつ、社会の文化的所産としての著作物の公正な利用を可能ならしめようとする同条の規定の趣旨に鑑みれば、全体としての著作物において、その表現形式上、引用して利用する側の著作物と引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができること及び右両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められることを要すると解すべきである。
そして、右主従関係は、両著作物の関係を、引用の目的、両著作物のそれぞれの性質、内容及び分量並びに被引用著作物の採録の方法、態様などの諸点に亘って確定した事実関係に基づき、かつ、当該著作物が想定する読者の一般的観念に照らし、引用著作物が全体の中で主体性を保持し、被引用著作物が引用著作物の内容を補足説明し、あるいはその例証、参考資料を提供するなど引用著作物に対し付従的な性質を有しているにすぎないと認められるかどうかを判断して決すべきものであり、このことは本件におけるように引用著作物が言語著作物(C論文)であり、被引用著作物が美術著作物(本件絵画の複製物)である場合も同様であって、読者の一般的観念に照らして、美術著作物が言語著作物の記述に対する理解を補足し、あるいは右記述の例証ないし参考資料として、右記述の把握に資することができるように構成されており、美術著作物がそのような付従的性質のもの以外ではない場合に、言語著作物が主、美術著作物が従の関係にあるものと解するのが相当である。
(略)
以上を要するに、本件絵画の複製物はC論文に対する理解を補足し、同論文の参考資料として、それを介して同論文の記述を把握しうるよう構成されている側面が存するけれども、本件絵画の複製物はそのような付従的性質のものであるに止まらず、それ自体鑑賞性を有する図版として、独立性を有するものというべきであるから、本件書籍への本件絵画の複製物の掲載は、著作権法第32条第1項の規定する要件を具備する引用とは認めることができない。

▶令和5525日知的財産高等裁判所[令和5()10006]
控訴人らは、本件著作物と本件出版物とでは著作物として思想や感情の創造的表現物としてレベルが違いすぎ、分量を重視する原判決の判断は不当である旨の主張もするが、著作物の内容の価値や評価に立ち入り、その軽重を前提にして主従関係を判断することが相当とはいえないから、そもそも控訴人らの主張はその前提を欠くものというべきであるし、また、分量が一つの重要な客観的指標となることは明らかであるところ、本件著作物と本件出版物の間において、合計4頁の本件出版物のうち半頁を占めるにとどまる本件著作物が主となると評価するだけの事情は認められない。したがって、控訴人らの主張は、いずれにしても採用できない。

▶平成120425日東京高等裁判所[平成11()4783]
とりわけ、控訴人書籍が「意見主張漫画」として、漫画という表現形式によって意見を表現したものであり、被控訴人書籍は、右意見に対する批評、批判、反論を目的とするものであること、及び、被控訴人書籍に引用された控訴人カットは、控訴人漫画のごく一部にすぎず、右批評、批判、反論に必要な限度を超えて、控訴人漫画の魅力を取り込んでいるものとは認められないことを考慮すれば、被控訴人書籍においては、被控訴人論説が主、控訴人カットが従という関係が成立しているというべきである。
控訴人カットに独立した鑑賞性があることは認められるけれども、控訴人書籍と被控訴人書籍の右関係に照らせば、そのことによって、被控訴人論説と控訴人カットとの右主従関係が失われるということはできないのである。

▶平成120229日東京地方裁判所[平成10()5887]
本件詩は15行から成るものであるが、本件書籍にはその全文が掲載されていること、本件詩は、学年文集に原告の自筆による原稿が写真製版された形で掲載されていたところ、本件書籍の65頁の中央部に、これがそのまま複写された形で掲載されていること、右の頁は、本件詩の下部に「中学の文集でAが書いた詩。強い信念を感じさせる。」とのコメントが付されている以外は余白となっていること、本件書籍の本文中には本件詩に言及した記述は一切ないことが認められる。
右認定の事実によれば、本件書籍の読者は本件詩を独立した著作物として鑑賞することができるのであり、被告らが本件書籍中に本件詩を利用したのは、被告らが創作活動をする上で本件詩を引用して利用しなければならなかったからではなく、本件詩を紹介すること自体に目的があったものと解さざるを得ない。
右のとおり、本件書籍のうちの本件詩が掲載された部分においては、その表現形式上、本文の記述が主、本件詩が従という関係があるとはいえない(むしろ、本件詩が主であるということができる。)から、被告らが本件詩を本件書籍に掲載した行為が、著作権法上許された引用に該当するということはできない。

[公正な慣行]
▶令和3526日東京地方裁判所[令和2()19351]
著作権法32条1項は,引用が「公正な慣行に合致すること」を要件としている。ここにいう「公正な慣行」は,著作物の属する分野や公表される媒体等によって異なり得るものであり,証拠に照らして,当該分野や公表媒体等における引用に関する公正な慣行の存否を認定した上で,引用が当該慣行に合致するかを認定・判断することとなると考えられる。
そして,当該著作物の属する分野や公表される媒体等において引用に関する公正な慣行が確立していない場合であっても,当該引用が社会通念上相当と認められる方法等によると認められるときは「公正な慣行に合致する」というべきである。

▶平成140411日東京高等裁判所[平成13()3677]
引用に際しては,引用部分を,括弧でくくるなどして,引用著作物と明瞭に区別することに加え,引用部分が被引用著作物に由来することを明示するため,引用著作物中に,引用部分の出所を明示するという慣行があることは,当裁判所に顕著な事実である。そして,このような慣行が,著作権法321項にいう「公正な」という評価に値するものであることは,著作権法の目的に照らして,明らかというべきである。
ここにいう,出所を明示したというためには,少なくとも,出典を記載することが必要であり,特に,被引用著作物が翻訳の著作物である場合,これに加えて,著作者名を合わせて表示することが必要な場合が多いということができるであろう(著作権法481項,2項参照)。
(略)
控訴人Aは,本件書籍に原告翻訳部分を掲載するに当たり,原告翻訳部分を括弧で区分することによって,他の部分と明瞭に区別して引用であることを明らかにはしたものの,原告翻訳部分を本件翻訳台本から複製したものであることも,翻訳者が被控訴人であることも明示しなかったのであるから,このような採録方法は,公正な慣行に合致するものということはできないというべきである。
この点につき,控訴人らは,罰則上,著作権侵害の罪とは別に出所明示義務違反の罪が設けられていることを根拠として,著作権法481項の出所明示義務は,同法321項により適法な引用と認められる場合に課される法律上の義務ではあるものの,この義務に反し出所明示を怠った場合であっても,著作権侵害が成立するわけではない,と主張する。
しかしながら,控訴人らの上記主張は,出所を明示しない引用が適法な引用と認められる場合(出所を明示することが著作権法321項にいう公正な慣行に当たると認められるには至っていないことを,当然の前提とする。)には当てはまっても,出所を明示することが公正な慣行と認められるに至っている場合には,当てはまらないというべきである。出所を明示しないで引用することは,それ自体では,著作権(複製権)侵害を構成するものではない。この限りでは,控訴人らの主張は正当である。しかし,そのことは,出所を明示することが公正な慣行と認められるに至ったとき,公正な慣行に反する,という媒介項を通じて,著作権(複製権)侵害を構成することを否定すべき根拠になるものではない。出所を明示しないという同じ行為であっても,単に法がそれを義務付けているにすぎない段階と,社会において,現に公正な慣行と認められるに至っている段階とで,法的評価を異にすることになっても,何ら差し支えないはずである。そして,出所を明示する慣行が現に存在するに至っているとき,出所明示を励行させようとして設けられた著作権法481項の存在のゆえに,これを公正な慣行とすることが妨げられるとすれば,それは一種の背理というべきである。
控訴人らの上記主張は,採用することができない。
(略)
以上述べたところによれば,本件書籍への原告翻訳部分の採録は,出所の明示を怠った点において公正な慣行に合致せず,著作権法321項の適法な引用には当たらないというべきであるから,複製権を侵害するものというべきである。

平成30823日知的財産高等裁判所[平成30()10023]
控訴人は,本件映画において,本件使用部分においても,エンドクレジットにおいても何ら出所表示をすることなく本件各映像を利用したことが「公正な慣行」に合致しないとして引用の抗弁(著作権法32条1項)を認めなかった原判決の認定判断に誤りがあると主張する。
よって検討するに,本件映画において,被控訴人が報道用として編集管理する本件各映像がその著作権者である被控訴人の名称を全く表示することなく,無許諾で複製して使用されている事実は当事者間に争いがないところ,もともと出所の明示は引用者に課された著作権法上の義務(著作権法48条1項1号)である上に,本件の場合,本件映画中の控訴人製作部分と本件使用部分とは,画面比や画質の点において一応区別がされているとみる余地もあり得るとはいえ,映画の中で,これらの部分が明瞭に区別されているわけではなく,その区別性は弱いものであるといわざるを得ないから,本件使用部分が引用であることを明らかにするという意味でも,その出所を明示する必要性は高いものというべきである。また,本件のようなドキュメンタリー映画の場合,その素材として何が用いられているのか(その正確性や客観性の程度はどのようなものであるか)は,映画の質を左右する重要な要素であるといえるから,この観点からしても,素材が引用である場合には,その出所を明示する必要性が高いものと考えられる。他方,本件においては,引用する側(本件映画)も引用される側(本件各映像)も共に視覚によって認識可能な映像であって,字幕表示等によって出所を明示することは十分可能であり,かつ,そのことによって引用する側(本件映画)の表現としての価値を特に損なうものとは認められない。これらのことに,原判決が指摘する「公正な使用(フェア・ユース)の最善の運用(ベスト・プラクティス)についてのドキュメンタリー映画作家の声明」の内容等を併せ考えると,適法引用として認められるための要件という観点からも,本件映画において本件各映像を引用して利用する場合には,その出所を明示すべきであったといえ,出所を明示することが公正な慣行に合致し,あるいは,条理に適うものといえる。そして,このことは,本件映画の総再生時間が2時間を超えるのに対し,本件各映像を使用する部分(本件使用部分)が合計34秒にとどまるといった事情や,本件各映像が番組として編集される前の映像であるといった事情によっては左右されない。
したがって,控訴人が何ら出所を明示することなく被控訴人が著作権を有する本件各映像を本件映画に引用して利用したことについては,(単に著作権法48条1項1号違反になるというにとどまらず)その方法や態様において「公正な慣行」に合致しないとみるのが相当であり,かかる引用は著作権法32条1項が規定する適法な引用には当たらない。よって,これと同旨をいう原判決の認定判断に誤りがあるとは認められない。
(略)
著作権法32条1項が規定する適法引用の要件として常に出所明示が必要かどうかという点はともかくとしても,少なくとも本件においては(適法引用の要件として)出所明示がなされるべきであったと認められることは,前記のとおりである。

[正当な範囲内]
平成221013日知的財産高等裁判所[平成22()10052]
公表された著作物は,公正な慣行に合致し,報道,批評,研究その他の引用の目的上正当な範囲内で引用して利用することができると規定されているところ(同法321項),他人の著作物を引用して利用することが許されるためには,引用して利用する方法や態様が公正な慣行に合致したものであり,かつ,引用の目的との関係で正当な範囲内,すなわち,社会通念に照らして合理的な範囲内のものであることが必要であり,著作権法の上記目的をも念頭に置くと,引用としての利用に当たるか否かの判断においては,他人の著作物を利用する側の利用の目的のほか,その方法や態様,利用される著作物の種類や性質,当該著作物の著作権者に及ぼす影響の有無・程度などが総合考慮されなければならない。

令和元年1224日東京地方裁判所[令和1()18235]
写真自体の内容が批評の対象とならなくともその利用が適法な引用となる場合があるとしても,本件投稿記事における批評の対象と本件写真との関連性の薄さに加え,本件投稿記事において本件写真が利用された大きさ等を考慮すると,本件投稿記事が本件新聞記事に掲載された講演録部分を批評する内容を含むなどの上記事情を考慮しても,本件写真が批評等の目的のために正当な範囲内で引用されたとは認められないとするのが相当と解する。

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