恵信尼 Eshin-nun 上越市
寿永元年(1182)?〔生〕- 文永5年(1268)?〔没〕 出自については、越後の豪族で、現在の上越市板倉区にあった三善氏という有力説や、京都の貴族「三善為教(為則)」の娘という説などがある。親鸞の妻恵信尼は、寿永元年(1182)生まれなので、親鸞より9歳年下ということになる。 大正10年(1921)、京都西本願寺で恵信尼消息10通が発見された。恵信尼が越後から京都に住む末娘覚信尼へ送った、慶長8年(1256)から文永5年(1268)までの12年間にわたる書簡である。この消息から親鸞の信仰、思想、足跡、恵信尼の教養、生活などが知られる。達筆で、文章も素晴らしいことから恵信尼は教養が高く、鄙にはまれな才女であったことがわかる。これらのことから恵信尼の生まれた家庭は裕福で、越後でも屈指の豪族であり、少女時代に都で生活していたことが想像できる。 親鸞は承元元年(1207)2月、専修念仏停止により越後国府に遠流となった。親鸞が越後に流されてまもなく恵信尼と結婚している。 親鸞と恵信尼はいつ、どこで結婚したのかははっきりしない。検歴元年(1211)3月3日には息子栗沢信蓮坊明信が誕生している。親鸞の赦免までの4年間は、越後国分寺の付近で流罪生活と新婚生活したと思われる。当時の国府がどこにあったかはっきりしないが、現在の上越市板倉区にあったという説もある。 恵信尼の実家三善氏は板倉を根拠地とする豪族であり、親鸞は流罪地での生活にそれほど経済的に困窮することはなかったかとも考えられる。息子信蓮坊が誕生し、ついで益方入道有房、小黒女房、高野禅尼、覚信尼が誕生した。親鸞には京都時代に生まれた子もおり、四男三女、7人の子だくさんであった。 親鸞にとってこの時期は法然の教えを総点検し、師亡き後の親鸞独自の考えを深める、沈潜の時代といえよう。 親鸞が越後に流されて4年後、その罪を許すという知らせが届くが、親鸞は都へ戻ろうとせず、それから3年間、越後の各地を念仏を広めるために歩きまわる。 建保2年(1214)、親鸞42歳、恵信尼33歳で、一家は関東に移住する。この移住の理由もまた諸説あるが、おそらく親鸞の流罪勅免後、翌年に法然が没し、京都に戻る理由がなくなったこと、関東に法然の根本の弟子がいたこと、なかでも鎌倉時代に入り関東が新たな布教場所として注目されたことなどが上げられる。 門人は農民や下級武士、漁民や猟師等で、その多くは20代前後の血気盛んな若者が中心であったと考えられる。説法には恵信尼も加わり、よく親鸞の教えを体得したものと思われる。 関東での20年余に及ぶ生活は「稲田草庵」「小島草庵」「大山草庵」など転々と所を移し、その中で子を産み育て、また門人に接した恵信尼にとっては、苦労の多いものであった。しかし、そうした中で親鸞の布教活動で、門人が増えて行くことは、恵信尼にとっての喜びであったろう。 嘉禎元年(1235)親鸞60歳の頃、親鸞一家は京都に戻る。一家は、弟尋有の家に落ち着いた。京都での生活は東国信徒の志によって支えられていた。豊かではなかったが、つつましく、平和な日々であった。 その後、恵信尼は日野広綱に嫁した末娘覚信尼を残し、子の小黒女房、栗沢信蓮坊明信、益片入道有房、高野禪尼を伴って親鸞の元を離れ、越後の板倉に生活の場を移す。年老いた夫を京都に残して越後に降った理由はなんであったか、わからない。 推測であるが、恵信尼の子供達に孫となる子供が生まれ、また親に先立たれた孫もおり、京都ではその一族の生活を維持することが難しく、比較的裕福な田舎に戻ろうと、親鸞と相談の上、越後に帰ったと思われる。 晩年、恵信尼は越後のどこで生活したのであろうか。板倉周辺には恵信尼の子である小黒女房、信蓮房、益方入道らが住んでいた。その最後の地は「といたのまき」だといわれる。 覚信尼宛てた『恵信尼消息』のうち文久4年(1267)7月9日のものに、「といたのまきより」と住所が記されてあった。 「といたのまき」については、恵信尼廟所北東の町内長塚飛田とするのが通説である。 恵信尼はいつ、越後で没したのであろうか。文永5年(1268)3月12日付の恵信尼消息第十通が最後となることから、、文永5年、87歳の生涯を閉じたと思われる。 上越市板倉区米増には、恵信尼廟所があり、恵信尼の墓といわれる五輪の塔がまつられている。 🔶ゑしんの里記念館上越市板倉区は親鸞聖人の妻、恵信尼が晩年を過ごした場所と言われています。〔所在地〕新潟県上越市板倉区米増27番地4 〔問い合わせ先〕 ☎0255-81-4541 〔アクセス〕 〔駐車場〕 76台 〔営業時間〕 9時~17時(予約により21時まで使用可能) 〔定休日〕 火曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始 〔特徴〕ゑしんミュージアム、観光情報コーナー、特産品販売コーナー、多目的ホール、和室、食堂などがあり、恵信尼に関する資料展示や、地域のコミュニケーションの場、上越市の観光拠点 ※食べログ 〔料金〕 入館無料 〔HP〕http://www.eshin.org/index.shtm |
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