上越祭り Joetsu festival 上越市



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☆ 上越祭り「祇園祭」(新潟県上越市) ☆
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開催日時 7月23日~29日
23日~26日は高田地区、26日~29日直江津地区で開催。
高田地区では大民踊流し、みこし渡御(とぎょ)などが、直江津地区では大花火大会、お饌米(おせんまい)奉納などが行われる。
最終日には3日間町内を巡業した19町内の屋台が八坂神社に集まり、若者が屋台に積んだ米俵を奉納する勇壮な「御饌米奉納」を実施する。


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☆ 上越祭りの起源 ☆
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祇園祭がいつ頃から始まったか、その正確な記録は残っていませんが、およそ平安時代中期といわれています。
直江津は江戸時代のころは、「今町」もしくは「直江津今町」と呼ばれていました。そのため毎年お神輿の出る直江津の八坂神社は、昔は「今町祇園社」と呼ばれていたそうです。この神社は大変古く、一説には延暦年中(782~805年)もしくわ長元元年(1028年)創建とも言われています。国分寺のある土地に、その土地の平安を守るため全国に分祀された神社の一つで京都の八坂神社の流れをくむものだそうです。
おそらくその頃から、直江津の平安と人々の幸せを祈念し、御神体を納めたお神輿を神社から出していただいて、町中で担いだのが祇園祭の始まりと思われます。この頃にはまだ屋台の明確なかたちはなかったようです。
時は移り江戸時代、慶長19年(1614年)に徳川家康の第六子、松平忠輝が直江津の福島城を廃し高田に築城しました。その時新しい町を盛んにするため、直江津と福島城下の神社やお寺の大部分を高田に移させました。
しかし、今町祇園社は忠輝に願い出て、朱印地百石の代わりに今町にとどまり、祇園祭の時には高田まで出てきて、お祭りをすることを許されたそうです。それ以来祇園祭の時には、直江津の八坂神社からお神輿が上がっていくようになったそうです。
屋台が出始めたのは江戸時代との事ですが、大正の初期まではお神輿のように担ぐかたちだったそうです。その後現在の荒川町が、最初にひっぱる屋台をつくり広まっていったようです。勇壮なお餞米奉納が現在の形になったのもこの頃と思われます。
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