八坂神社 Yasaka Shrine 上越市



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  ☆ 八坂神社 ☆
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八坂神社は、JR直江津駅前通りの西側に鎮座する。社伝によると、京都の八坂神社を勧請し創建されたという。須佐之男尊と八人の王子を祭っていることから「八王子(はっちょうじ)」ともいい、武勇・商売繁盛の神として信仰が厚い。
悪疫退散の御利益にあやかろうと、その昔は北前船の船頭や廻船業者からも信仰を集めた。直江津は北前船の寄港地だったこともあり、船絵馬や尾道の石工が造ったという鳥居や狛犬など、境内には北前船の恩恵が数多く残る。

慶長19年(1614)、福島城(港町)城主松平忠輝が高田城へ移ったとき、八坂神社はそのまま直江津の地にとどまり、そのかわりに高田の祇園祭をも執行することになったという。これが高田・直江津祇園際の始まりである。
祇園祭りについて、今日残っている一番古い記録は元和4年(1618)のもので、「例年通り祇園祭の御供米(祭典費)五石を祇園神主(八坂神社)に寄進するので、国家安全を祈るように」という高田城主の寄進状である。元和4年以前から、祇園祭にさいし、城主が米五石を寄進していたことがわかる。
「直江津祇園祭」ではお神輿を船に載せ、夕闇の中川を下って高田城下から直江津に向かう「神輿の川下り」が行われる。「夜の荒川神輿が下る、川は万灯の迎え船、祇園ばやしの笛や太鼓で夜が明ける」(「直江津小唄」)と歌われ、祇園祭はクライマックスに達する。
祇園祭の祭日も幾たびか変遷を経て、今日では上越祭りとして、高田は7月24日から、直江津は26日から29日までとなった。とくに29日夜の御選饌米(おせんまい)行事は、市民に親しまれている。直江津の山車は豊作・豊漁であった文化元年(1804)から出るようになった。今日、屋台会館に展示してある。
拝殿の俳諧奉納額は、正徳5年(1715)に奉納されたもので、市文化財に指定されている。






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Naoetsu Yasaka Shrine was built in the first year of the Chogen Era (1028) as the shrine of Naoetsu Chinju. It is also called Mihashira-jinja (Shrine of Three Pillars) because Suwasha and Hiyoshisha were enshrined in addition to the single Yasaka shrine. The three deities enshrined at the shrine are Susano no Mikoto,Takeminakata no Kami,and Oyamakui no Kami.