田代の七つ釜 Nanatsu kama of Tashiro 十日町市



津南町との境界を流れる魚野川に合流する清津川の支流、釜川の上流にあり、源流は苗場山(2145m)である。
大正14年(1925)、国の天然記念物に、そして昭和12年(1937)、文部省の名勝地に指定された。
苗場山系から流れでる谷川の渓流に点在する何本かの滝がかかり、その滝つぼは深い甌穴、いわゆる釜となっていて、この釜が七つあるところから、『七ツ釜』の名がついたといわれる。
釜川橋から釜川沿いに、七ツ釜キャンプ場のある広場に着く。コケむす渓谷のほとりに古びた弁天堂が建つ。右岸沿いに付けられた遊歩道を行く。一番滝(弁天滝、落差20m)の滝壺に出る。下流に向かって、二番滝、三番滝(不動滝)、ゆり釜(中の滝)、手洗釜(巻の滝)、赤渕(観音滝)、長渕(御手洗滝)と続く。全長1kmに及ぶ見事な渓流である。
右岸が切り立った断面層、左岸が柱状節理を見せる切り立つ縦岩という、両岸で異なる様相を呈するという、学術的にも大変珍しい景観となっている。

その昔、水沢村馬場の庄屋太田新右衛門が滝つぼの主の大蛇に「一回だけ網を投げさせてください」とおねがいして網を打った。すると大漁だったので、喜びのあまり約束を忘れてもう一回「投網」を打ったため 大蛇の怒りをかい命を失ったという「七ツ釜の伝説」がある。
またこの滝は、鈴木牧之の北越雪譜秋山紀行にも絵入りで紹介されている。

(七ツ釜の崩壊事故と復旧工事)

平成7年(1995)4月23日、融雪によるとみられる大量出水による、上流部の田畑の流出によって、七ツ釜は崩壊した。
一番滝滝の上の右岸にあった土地が崩壊し、約3万3千立方メートル土砂が下流に流出。20m近い高さのあった一番滝をはじめ、七つの滝つぼはすべて埋没した。崩壊した一番滝は、天に伸びる柱状節理の岩盤の美しさに加えて、天然の砂防ダムの役割も果たしていた。
平成8年(1996)開始された国の「七ツ釜災害関連緊急事業」では、左岸の表面に、擬岩を外壁にして全国で初の工法が用いられた。柱状節理を模した擬岩は、崩壊しなかった左岸から型取りして造られた。本物の柱状節理と境目が分からない程の出来栄えとなった。
平成9年(1997)秋に、全国初の擬岩による砂防ダムが完成し、崩壊前の滝に近い型で復元された。さらに右岸上部には、一番滝上流から下流を一望できる展望駐車場が整備された。(案内図)





≪現地案内看板≫
文部省指定 名勝地 七ツ釜

七ツ釜とは釜川渓流のうち一番滝・二番滝・三番滝・ゆり釜・手洗釜・赤淵・長淵以上七ツの滝淵とおよそ一kmにおよぶ渓流を総称したものであります。
その幽玄な景色と両岸にわたる柱状節理の岩石美(左岸縦岩・右岸断面層)の見事さは全国でも稀にみる景勝地といわれ昭和12年6月15日文部省指定名勝地に指定されました。
馬場村(現十日町市馬場)の太田新右衛門が釜の主、大蛇との約束を破って投げ網を投じたところ、新右衛門の家に七回り半も巻きついて狂い死にさせたという伝説は未だに広く語り伝えられています。

文部省 新潟県 十日町市

























七ツ釜 弁天堂 展望大駐車場 七ツ釜キャンプ場