日本国は、新潟県村上市と山形県鶴岡市の境界に位置する標高555.4メートルの山だ。その珍しい名称から全国の登山愛好家に知られており、初心者やファミリー層でも気軽にトレッキングを楽しめる里山として親しまれている。
名前の由来には諸説ある。江戸時代にこの山で捕らえた鷹を将軍に献上した際、将軍が大変喜び「日本国」と命名したという説などが有名だ。標高の「555」にちなみ、毎年5月5日には山開きイベントが開催され、多くの登山客で賑わう。村上市側の小俣登山口から山頂までは片道約90分で、道は比較的緩やかに整備されている。山頂の展望台からは、天候が良ければ日本海や粟島、佐渡島まで一望できる絶景が広がる。また、無事に登頂した後は、麓の集落で「日本国登頂証明書」の発行を受けることが可能だ。
麓の小俣集落は、かつて出羽街道の宿場町として栄えた歴史を持つ。どこか懐かしい古い街並みが残っており、登山の前後で歴史を感じながら周辺を散策するのも魅力の一つとなっている。
🌌見どころ
新潟県と山形県の境にそびえる日本国の見どころは、豊かな自然と歴史の融合だ。標高555メートルの山頂にある展望台からは、眼下に広がる壮大な日本海のほか、粟島や佐渡島、東側に連なる朝日連峰まで360度の大パノラマを一望できる。登山道の途中にある沖見峠も、パッと視界が開けて美しい海を見下ろせる絶景ポイントだ。道中には冷たくて美味しい湧き水のラジウム清水や、信仰の山としての歴史を伝える蔵王堂などがあり、飽きずに歩を進められる。また、新潟県側の麓にある小俣集落は旧出羽街道の宿場町の面影を今に留めており、下山後も歴史ある町並みの散策を楽しめるのが魅力だ。ふれあいパークで旅の記念になるユニークな「日本国登頂証明書」を有料で発行してもらえる点も見逃せない。
🌌山名の由来
「日本国」という風変わりな山名の由来には、主に江戸時代の鷹狩りにまつわる伝説が残されている。時の将軍にこの山で捕らえた貴重な鷹を献上したところ、将軍がその見事さを大いに喜び、鷹が捕らえられた山を「日本国」と命名したという説だ。この将軍については、江戸幕府の3代将軍徳川家光とする説や、あるいはそれ以前の天下人である豊臣秀吉であるとする説など、時代によって諸説が存在する。また、古文書には本来の名前として「居熊沢山」や「石鉢山」という別名が記録されており、かつては山そのものが越後国と出羽国の明確な国境線、つまり「国の境」として強く意識されていた。この国境という地理的な重要性と、鷹献上のめでたい伝説が結びつき、やがて日本国という唯一無二の壮大な名前が定着したと考えられている。
🌌山に伝わる言い伝え
🤩日本国には、国境の山ならではの言い伝えや歴史的な出来事が数多く眠る。古くは修験道の修行の場であり、登山道の蔵王堂が往時の山岳信仰を今に伝える。江戸時代の1645年に描かれた『庄内絵図』には「居熊沢山越後境」と記され、越後国と出羽国を分ける重要な境界線として認識されていた。また、地元には源義経にまつわる伝説も残る。兄の源頼朝から逃れて平泉へと落ち延びる際、義経一行がこの山を越えて奥州へ向かったという言い伝えが残る。
🤩蜂子皇子の伝承
崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺された際、聖徳太子は従兄弟の蜂子皇子に危険が及ぶのを察知し、密かに出羽国への逃亡を勧めて手助けした。太子の助けで都を逃れた皇子は、各地を巡ったのちに越後と出羽の境にあるこの山へと登る。その際、皇子が遥か彼方の故郷(飛鳥の都)を眺め、「これより先は日本国(やまとのくに)」と仰せられた。この言葉が、現在の山名「日本国」の起源になったという歴史伝承が残されている。
🤩「蔵王堂」の由来
1615年の大坂夏の陣に、麓の小俣集落から佐藤源左衛門という人物が徳川方で従軍した。彼は命を守るため、修験道の聖地である奈良・吉野の金峯山寺(蔵王堂)に参拝して御神体を授かる。戦後、無事に生還した源左衛門が感謝を込めて村にお堂を建て、この蔵王権現を祀ったことがいわれだ。当時、出羽三山を目指す修験者や旅人が行き交った宿場町において、旅の安全や地域を見守る信仰の拠点として長く大切にされてきた。
🌌注意事項
日本国は初心者向けの低山だが、事前の安全対策が不可欠だ。周辺はツキノワグマの生息地であるため、熊鈴やラジオを携帯して音で存在を知らせる必要がある。山頂や道中にはトイレがないため、必ず小俣宿登山口の駐車場で済ませてから入山すること。整備された道だが、雨後は滑りやすいためトレッキングシューズが望ましい。山頂は風が強く冷え込む場合があるため、往復3時間の行程でも防寒着や十分な水分は必須だ。
🔶旧小俣小学校前登山口
旧小俣小学校前にある登山口はしめ縄の張られた杉林にある。杉林を登る道は小俣川沿いに大きく山腹をからんでいる。そばにラジウム清水がある。これから先に水はないので補給しておく。
15分ほどで杉林は終わり、喬木帯が始まるあたりで、「山頂まで2.1キロ」の標柱があり、春には登る小道の両側にコブシが咲き競う。
花崗岩を削り、作られた砂れきの歩きやすい緩い尾根道で、木々に樹木版がつけられているので、歩きながら山野草や植物の観察をしながら登るのも楽しい。
山腹を右に回りこみ眼下に小俣の集落が見える稜線上に出る。松ヶ峰広場にはベンチがあり、ちょっとした広場となっていて小俣集落が一望できる。松ヶ峰の先の沖見休憩所の付近から、ブナ林の中を歩き、根が登山道に張り出し階段状になって歩きやすく、昔大蛇が住んでいたという『蛇逃峠』に着く。360°の大展望台である。
蛇逃峠は、蔵王口からのコースとの分岐点で東屋がある。蛇逃峠から少し先、鷹待場跡付近から先の東面は、県境になり日本国山頂はすぐだ。
戊辰戦役の激戦地を思わせる砲弾跡を過ぎて小鞍部へと下り、山頂へと続く右に山形県小名部、左に新潟県府屋を眺めながら稜線をたどれば標高555.4mの二等三角点の標石が迎えてくれる。
山頂には木造平屋の休憩小屋と展望台がある。
展望台は一段高く造られており、階段を上ると眺望はすばらしい。朝日、飯豊の連峰、鳥海、月山、麻耶山、粟島、佐渡島、眼下には鼠ヶ関海岸が眺められる。
帰路は蛇逃峠の分岐点まで戻り、蔵王堂登山口へ下る。この道は登ってきた道より少し急で、山道らしくなるので足もとに注意が必要だ。急勾配の丸太の階段が続く。左にツバキの群落が現れると道もなだらかになり戊辰戦役の記念坂を過ぎれば蔵王堂は近い。蔵王堂の祠から登山口は一投足の距離で、鳥居のそばに登山口の表示があり、旧出羽街道に出る。小俣集落の軒並みをゆっくり見学しながら、20分ほどで小俣登山口のバス停に戻る。(案内図)
★☆☆☆
〔標高〕 555m
〔所在地〕 山形県鶴岡市小名部 ※GOOGLE 画像
- ❏《登山口》
- 🔶小俣宿登山口 ※GOOGLE 画像
- 小俣宿登山口は歴史ある旧出羽街道の宿場町にあり、古い街並みの風情を感じながら出発できる。日本国登山において最も一般的なメインルートで、もう一方の蔵王堂ルートに比べて傾斜が緩やかで道幅も広く、初心者や家族連れでも歩きやすい。登山口周辺には約20台分の無料駐車場や公衆トイレ、休憩所が完備されており利便性が高い。下山後に麓の施設で「日本国登頂証明書」の発行申請ができるのも大きな特徴だ。
〔所在地〕村上市小俣地内
〔所要時間〕 山頂まで約1時間30分
〔アクセス〕
- 🚅…JR羽越本線府屋駅よりバス(雷線)で約25分
- 🚘…日本海東北自動車道「朝日まほろばIC」より車で56分
〔駐車場〕 20台
〔水場〕 登山口にラジウム清水がある ※水量は少なめ ※GOOGLE 画像
- 🔶蔵王堂登山口 ※GOOGLE 画像
- 蔵王堂登山口は、静かなブナの原生林に囲まれた健脚向けのルートだ。小俣宿ルートに比べて傾斜が急で、細く滑りやすい山道が続くため登りごたえがある。登山道の途中には、大蛇の伝説が残る岩窟「蛇穴」があり、歴史と神秘的な雰囲気を感じられるのが魅力だ。利用者が少なく静かな山歩きを楽しめるほか、小俣宿登山口から登り、山頂を経てこの蔵王堂側へ下りる周回ルートの下山道としてもよく選ばれている。
〔所在地〕村上市小俣地内
〔所要時間〕 山頂まで約1時間30分
〔アクセス〕
- 🚅…JR羽越本線府屋駅よりバス(雷線)で約25分
- 🚘…日本海東北自動車道「朝日まほろばIC」より車で56分
〔駐車場〕 小俣口と同じ 20台 ※ストリートビュー
- ❏〔山小屋〕 有り(収容人数10人)
- ❏〔山開き〕 5月5日
- ❏〔交通情報〕
- ❏〔日本国を紹介しているサイト〕
- ❏〔問い合わせ先〕
- 村上市山北支所 ☎0254-77-3115
- 新潟交通観光バス勝木営業所 ☎0254-77-2593
- 山北タクシー ☎0254-77-2118
- ❏〔周辺の観光施設〕
【小俣渓谷】
府屋で日本海に注ぐ大川の支流が小俣川で、落差が少く、水が清く澄んでいるのが特色の清流である。
小俣集落の手前1キロ辺りから渓谷の様相を見せてくる。旧小俣小学校前から村上方面へ国道を行くと、最初のトンネルの手前の橋が、一ノ瀬橋である。ここからの新緑、紅葉は小俣川の渓谷と調和して心奪われる美しさである。
同橋から300mばかり下流の所に巨岩が見える。上部が少し平になっている。「おまんの鏡岩」で、昔あった村人と女中奉公のおまんとの悲恋物語が残されている。
渓流釣りの人たちは、イワナ、ヤマメを求めて、ここからさらにさかのぼり、ブナの紅葉が見事な雷峠まで入る。渓谷は深くなる。

紅葉
〔見頃〕10月下旬から11月上旬
- 〔特徴〕 鏡岩トンネルから「ラジウム清水」を超えた辺りまで紅葉は素晴らしいが、特に一ノ橋付近からの眺めは格別である。
樹齢1200年と推定されるもので、県内でもまれにみる大杉である。根回り13.4m、樹高39mで、樹勢は今でも盛んである。白山姫命をまつるこの神社は、小俣佐藤一族の氏社であったが、現在は全住民の氏社となっている。
日本国山における戊辰戦争
戊辰戦争における「小俣口の戦い」は、慶応4年(1868年)8月26日、越後と出羽の国境に位置する小俣宿を舞台に勃発した激戦だ。この戦いは、羽越国境戦の重要な一幕である。新政府軍は松本藩兵を主力とし、高い戦闘力を持つ薩摩藩や長州藩の小隊、さらには新政府軍に降伏・寝返った近隣の新発田藩兵などを加えた約400名の混成部隊を投入した。これに対して迎え撃った旧幕府側は、精強で知られる庄内藩兵と、村上藩の抗戦派からなる連合軍約450名だ。午前11時頃、出羽街道を北上する新政府軍と、陣地を築いて待ち構える庄内・村上連合軍との間で一斉に激しい銃撃戦が開始された。新政府軍の圧倒的な火力に対し、旧幕府軍は地形を巧みに利用して頑強に抵抗した。この死闘の最中、小俣集落の民家53戸が放火により全焼するという大きな悲劇が起きた。この放火の真相については、旧幕府軍が新政府軍に宿場を拠点として使わせないために自ら火を放ったという説と、新政府軍が防衛線を崩すために焼き払ったという説の双方が現代まで語り継がれている。結果として、新政府軍は旧幕府軍の必死の防戦により一時後退を余儀なくされ、山形方面への進撃は終戦間際まで食い止められた。現在も、小俣集落や日本国の蔵王堂登山道周辺には、当時両軍が銃撃戦のために手掘りで築いた「塹壕(壕跡)」の遺構が複数遺されており、激戦の記憶を今に伝えている。
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