吉田東伍 Togo Yoshida 阿賀野市



元治元年4月14日(1864年5月19日)〔生〕 - 大正7年(1918)1月22日〔没〕

越後が生んだ近代日本の歴史地理学創始者吉田東伍の名は、大著『大日本地名辞書』とともに、没後80年に近い今も忘れられることはない。 吉田東伍は元治元年(1864)北蒲原郡安田町の旗野家に生まれ、のち中蒲原郡小合村大鹿(現新津市)の吉田家を継いで吉田姓となった。生家は素封家で蔵書も多く、小川心斎の「国邑志」を読み、歴史地理学に心を引かれていった。

明治24年(1891)、やみ難い向学心から状況した東伍は、同郷の先輩一島謙吉(号春城)の紹介で読売新聞社に入社した。明治27年の日清戦争には報道記者として海軍に従軍したが、帰郷後は硬く門を閉ざしてもっぱら知名辞典の編纂に取りかかった。

そして明治33年(1900)、ついに第一冊を刊行した。以後十三年間に渡って準じ刊行し、ここに空前の大著『大日本地名辞書』は完成した。

五千ページを超える大冊である。この間、惜しみなく協力、後援したのは市島謙吉(水原の豪農市島家の出身)であった。 吉田東伍はなお著述の傍ら早稲田大学教授として後進を指導したが、急性の尿毒症のため大正7年(1918)55歳で没した。秋葉正法寺墓地の丘に建つ850字が刻まれた墓標は、文学博士吉田東伍の偉大な業績を不朽に伝えている。
次男の吉田千秋は琵琶湖周航の歌の原曲の作曲者として知られる。

















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