越後上布 Echigo Jofu 南魚沼市
越後上布は新潟県小千谷市、十日町、塩沢町に古くから伝わる平織の麻織物。奈良正倉院に「越布」として保存されていることから1200年以前から塩沢地方で織られていたと推測される。 上布とは上等の麻布のこと。苧麻 ちょま の皮をはぎ、更に爪でさき口で含みながら拠る細く均一な糸を、居坐機で織る。 越後上布の原料になる苧麻はイラクサ科の多年草で全国いたるところに群生し、昔から衣料の原料として各地で使われてきた。 けだし越後の気候風土は麻織物を作るのに非常に適していた。縮の生産が冬場の重要な仕事となっていた時代である。暖房もない中で、一心に機織りをしていた女性の粘り強さと仕事の丁寧さで、越後上布はより優れた織物に育ってきた。織物上手の若い娘には数多くの縁談があったという。 現在は機械紡績の苧麻糸がほとんどである。盛夏用の高級着尺地で柄は絣や縞が主。絣柄はくくり絣の方法で行われる。織り上がった布は日中、雪の上に布を広げて雪晒をする。雪が溶けて発生する水蒸気に、強い紫外線が当たるとオゾンが発生。オゾン効果で布が白くなり繊維も柔らかくなる。雪国ならではの湿気が麻糸には何より効果的であった。厳しい寒さと豪雪ゆえに夏に涼しい布になる。 最盛期の江戸時代後期には魚沼地方全体で20万から30万反の生産が記録されているが、現在では80反程度の生産となってしまった。幻の織物と言われる所以だ。最盛期の江戸後期には、十日町市、小千谷市などに市場が立ち、京都や江戸から商人が買い付けに集まり賑わった。極細の糸で織り込んだ越後上布は1反織り上げるのに2~3ヶ月かかる。現在の値段は1反400万~500万円という。 上布を売ったお金で年貢米の代納をしたり、家々、地域の経済に大きく貢献したという。 昭和30年(1955)には国の重要無形文化財として技術指定を受け、長い歴史を経てきた越後上布は、その技法を絶やすことなく受け継いでいく事となった。越後上布・小千谷縮布技術保存協会で後継者の育成に努めている。 小千谷縮・越後上布の原料になる苧麻(ちょま)は、主に福島県の昭和村で栽培されている。上杉家の会津移封と共に、 良質な苧麻は越後から会津へと移った。
現在では、会津若松の南西約50kmの山あいに位置する昭和村で生育されている。 🔶重要無形文化財 越後上布・小千谷縮布技術保存協会
〔WEB〕 https://johfu-chijimi.jp/ 🔶塩沢織物工業協同組合 〔所在地〕新潟県南魚沼市目来田107−1 塩沢織物会館 〔電話〕☎0257-82-1127 〔アクセス〕
🔶織の文化館塩沢つむぎ記念館 〔所在地〕新潟県南魚沼市塩沢1227−14 〔アクセス〕
奉納越後上布幟奉納越後上布幟は、文政11年(1828)から明治4年(1871)の間に奉納された「お織り旗」24点が、南魚沼市仙石八幡宮に所蔵されている。女性たちは機織りや原料の苧麻を細く裂き、より合わせる苧績みの技術向上、家内安全などを祈って、自分が織った越後上布を村の鎮守様に奉納した。奉納越後上布には、願主の名前や奉納年月日が記されているものも多く、神社につるされた上布は技術の発表の場でもあった。 時代の経過と共に、大正、昭和と生産量が減少、奉納上布も次第に人々の心から忘れられていった。散逸を恐れた八幡宮の宮司が、この里の重要な歴史として、鄭重に保管してきた。 昭和49年(1974)、国の重要有形民俗文化財に指定された。
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