白木地 Unvarnished Bare wood 糸魚川市
糸魚川市の南部、姫川上流の平岩から西の山道を4キロほど登ると、標高620メートルの山あいには、江戸時代後期から昭和初期にわたり、漆器碗の素材となる白木の器を専門に作る「木地屋」たちの集落があった。
木地屋とは山中の木を切り、ろくろを用いて椀・盆などの素地から杓子の類まで製作した木地師のことである。
近江国蛭谷で隠棲していた小野宮惟喬 親王(844年-897年)が住民に木工技術を伝えたのが木地師のはじまりであるとし、祖神とされた。木地師は惟喬親王の家来、太政大臣小椋秀実の子孫を称し、諸国の山に入り山の7合目より上の木材を自由に伐採できる権利を保証するとされる「朱雀天皇の綸旨」の写しを所持し、山中を移動して生活する集団だった。
糸魚川の木地屋は近江国( 滋賀県)の小椋村を出て飛騨に入り、宝暦5年(1755)、信州の大網山に移った。寛政4年(1792)に大所に移り、以下小滝ー再度大所へ、そして八百平ー来馬ー北条(
以上長野県)へ、そして文化14年(1817)、現在の大所木地屋に移住した。4家族20人ほどの集団と思われる。
いずれも小椋(小倉・大倉など)の姓を名のり、ロクロ鉋や水車を使い山間地生活と共生しながら木地生産に励んだ。
明治3年(1870),木地屋集落の人口は50人,世帯数は6戸であった。木地屋集落の木地・漆器業は大正から昭和初期にかけて最盛期を迎えたが,昭和10年代に急速に衰退した。安い陶磁器の出現に需要を落とし、木地屋集落から住民は次々と去っていった。
木地師の後継者がなく、技術の継承は途絶えていたが、平成8年(1996)の「木地屋の里」の完成により、集落内に残されていた約1000点におよぶ木地屋独特の道具類、古文書類の資料が資料館に移され展示された。また木地屋出身者によって伝統の技術が復活した。
建物は、集落内の民家を移築復元したもので、木地作りの作業と密接に関連した独特の家屋構造を見ることができる。
また、売店で木地製品を買うこともできる。
昭和63年(1988)、県の有形民俗文化財に指定され、文部省は技術の伝承を記録保存した。
木地屋民俗資料館
〔所在地〕新潟県糸魚川市大字大所797-1
〔連絡先〕 ☎025-557-2501
〔アクセス〕
〔特徴〕
- 展示品としては、・木地作りの道 具 ・全国どこの木を切ってもよいという勅許状などの古文書・木地屋で製作した漆器製品・木地の製作工程 ・木地屋が日常の木製生活用品のほとんどを自給していた民具まどがあります。
〔営業期間〕 5/1~11/3
〔開館時間〕 9:00~16:30
〔休館日〕 毎週月曜( 振替休日は開館)
〔入館料〕 大人300円 小・中・高学生200円
〔HP〕 http://www.geocities.jp/itoigawasi_ootokoro/
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木地屋集落
- 作者:田畑久夫
- 出版社:古今書院
- 発売日: 2002年08月
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