無名異焼 Mumyōi ware 佐渡市
「無名異焼」は明治初年から佐渡郡相川町を中心につくられている赤色研磨陶器。「無名異」とは佐渡金山金坑の石英岩欠裂箇所に沈殿する二酸化鉄のことで、古来は止血薬や中風の薬として用いられたという。無名異という言葉は中国の漢方に由来するといわれている。 「無名異焼」は沢根産の粘土に、この無名異を混ぜた土でつくられる。焼成するときに釉薬を掛けず、砂や布で磨いてつやを出して仕上げる。 無名異坑2018年4月、佐渡金山遺跡を管理するゴールデン佐渡(佐渡市)が無名異坑の一般公開を決めた。無名異坑では江戸時代に無名異焼の原料を採掘していた。原料の赤い岩石は止血の薬としても利用されたという。現在公開されている無名異坑は金山の採掘当時の姿がそのまま残っており、観光客はヘルメットをかぶって足元をライトで照らしながら、100メートルほどの坑道を探検できる。200目の篩(ふるい)で水簸(すいひ)した陶土は微粒子のため約3割も収縮する。そのため製品は非常に硬く、たたくと澄んだ金属音を発し、使用するに従って光沢を増す。 江戸時代末期、相川町で羽口(金山で使う炉のふいご口)をつくっていた相川町の羽口屋の7代伊藤甚兵衛とその弟伊藤富太郎兄弟によって初めて創り出された。天保年間兄甚兵衛が相川金山から出る無名異を陶土に混ぜて、一種の赤楽を考え出したことにはじまる。この兄の着想から暗示を得た弟富太郎が、これを高光度で硬地に焼成する研究を続け、明治初年(1868)ついに成功し、「赤水」と号した。 その後同町の名主三浦常山(本名小平次)も家財を蕩尽して1876年(明治9)、この焼成に成功した。 無名異は昔から出血止めなど薬として用いられていたことから、これを混ぜて焼いた湯飲み茶碗でお茶を飲めば中風や胃病の予防になるといって売られた。 また釉薬を使用しない赤茶色の地肌は長く使用することによって深みのある色合いになることから愛用する人も多い。 現在は10以上の窯元があり、相川町の伝統産業の一つになっている。 新潟にある陶芸教室で陶芸体験を予約するなら|アソビュー |