小国和紙 Oguni Japanese paper 長岡市
小国町での紙漉は江戸時代初期頃まで遡ることができます。記録の初見は天和2年(1682)、三十軒の山野田村で全村紙スキをしたとある。最盛期には40戸程あった紙漉も、現在は2戸になってしまいました。 12月中に皮はぎし、雪の上に原料の楮の皮を並べ、紫外線の乱反射を利用して楮を白くし、この後釜で煮て紙の原料とする。 2月~3月にかけて積雪3メートルを超える豪雪地帯では、冬の日照時間がほとんどなく乾燥できないので、小国紙は九寸二分×一尺三寸(約28センチ×40センチ)の大きさで、漉き上げた紙を紙床(しと)に重ねたまま、無菌状態となる雪に埋め春先まで保存します。重ねたままの固まりを「くれ」とうことから、これを「かんぐれ」といいます。くれは、雪の重さで圧搾され、腰の強い紙になります。3月中旬頃からくれを掘り出し、一枚ずつ干し板に貼り天日と雪の反射で乾燥します。 横沢の山口家には祖先伝来の紙スキ道具が保管されている。「権三郎伝記」によれば、小国郷はほとんどの家で一通りの製造器具があり、家財を支えたと記している。権三郎は明治24年(1891)、高知県吾川郡伊野町より久松儀を招き、改良抄紙伝習所を開設した。 小国郷の紙漉きは明治20年頃が最盛期で、以後は洋紙に押され、戦後は廃絶した。ただし、山野田だけは全戸が紙漉きに携わり、紙漉きで生計を立てる家が80戸に達した。しかし、昭和40年(1965)には4戸となり、組合も解散した。その後、小国紙技術保存会が結成され、昭和48年(1873)、国の無形文化財に指定された。 🤩2016年2月15日、手漉き和紙と折り紙という2つの伝統技術が詰め込まれた、日常的に使えるカードケース「オリンモカードケース」を販売。 《紙すき》小国和紙は、溜め漉きに近い漉き方です。漉いて直ぐに紙床に移すとうまくはがれません。そのため、紙床に移す前にある程度水を切っておく必要があります。小国版を漉くときは漉き簀を2~3枚用意します。漉き上げたものを桁から外し、水切り用の板に乗せ水を切ります。その間次の紙を漉き、水切り板に乗せます。最初に漉いた紙を紙床に移します。紙床に移した後の簀を使い次の紙を漉きます。このように、簀をローテーションして使います。小国でも現在ではほとんど見られなくなりましたが、このようなローテーションは兵庫県の名塩和紙でも見られます。 なお、小国の漉き方は昭和48年(1873)「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選定されました。 🔶(有)小国和紙生産組合
〔所在地〕長岡市小国町小栗山145 〔連絡先〕 ☎0258-95-3016 〔アクセス〕
《体験施設》 〔特徴〕現在、小国町で和紙の生産者は大字苔野島の中村英一さんご夫妻と大字小栗山(有)小国和紙生産組合のみです。雪国の逞しい知恵と努力から生まれた小国紙、この文化的に貴重な和紙の製法を守り先人の尊い遺産を伝えていきたい、その思いを込めて小国和紙は作られています。 〔体験内容〕"小国判(29×39cm)紙漉き体験 一人1枚、仕上がりは2日後になります。" 🔶紙の美術博物館 〔所在地〕長岡市小国町小国沢2531 〔アクセス〕
〔紙の美術館を紹介しているサイト〕 🔶山口邸園 〔所在地〕長岡市小国町大字横沢802 〔アクセス〕
〔山口邸園を紹介しているサイト〕 🔶オリガミデザイン 〔所在地〕長岡市小国町横沢2163−1 〔連絡先〕☎090-4018-6817 〔HP〕 http://origamidesign.info/ 〔特徴〕
ふくら2017年(平成29)7月、広告企画のネオス(長岡市)が長岡市の小国地域の産品「小国和紙」を使った雑貨の販売を本格的に始めた。かわいい名前は「ふっくら」と「福」の二つの意味が込められており、縁起物などを和紙で立体的に成形し、手のひらサイズの小物入れとして持ち歩いたり、インテリアとして飾ったりできる。楮(こうぞ)と呼ばれる植物の原料だけを使い、丈夫なのが特徴の小国和紙の特性を生かしている。だるまや鯛の縁起物、山古志・小千谷の闘牛、トキなど新潟らしいものも提供。簡単につぶれないように工夫されているので小物入れとして使える。ポチ袋にすれば喜ばれるのは確実だ。
ネオス1990年(平成2)に創業したデザイン制作会社。「ココロを動かすデザイン」をスローガンに、デザインコミュニケーション事業としている。 地域に眠っているたくさんのすばらしい資源(価値)をブランド化して成長させていくことが私たちの使命としている。 |
(有)小国和紙生産組合 紙の美術博物館 山口邸園 オリガミデザイン