有磯周斎 村上市



有磯周斎

有磯周斎〔生〕文化2年(1805)12月11日-〔没〕明治12年(1879)8月16日)
村上大工町の八郎兵衛の二男として生まれる。本姓は稲垣氏。幼名三右衛門、後に周左衛門則裕と改め、黒牛とも号した。家業(宮大工)に従事したが、彫刻を好み、若くして木彫の技に優れ、また絵は三条の画工五十嵐華亭が藩士が藩主内藤侯の招きにより村上滞在中その指導を受けた。

天保5年(1834)藩主の命により江戸に遊学中、玉楮象谷について堆朱堆黒の彫刻髹法の技巧を習得する。帰国後は専ら漆器による美術工芸品を制作し、各地に販路を広げるとともに技術の普及に腐心した。

嘉永2年(1849)村上藩主内藤信親に認められ、内藤氏歴代藩主を祀る藤基神社(村上市三之町11−12※地図 ※ストリートビュー)建立の際には「彫刻方棟梁」を命ぜられた。この功績により有磯周斎の名を賜り、以来それを名乗ることになった。

周斎は明治11年(1878)の第1回内国勧業博覧会に山脇長平、山脇三作とともに、彫刻した髹漆作品を出品、優位の賞牌を得てその名を上げた。
明治12年(1879)8月16日病没。75歳。

有磯周齋の天井絵12枚(龍・鳳凰・麒麟・獅子など)が普済寺(村上市大場沢 1847※地図)に残る。また行恩寺(村上市長井町5-6※地図 ※ストリートビュー)に残る山門に掲げられてある欄間の彫刻の龍は、娘ハツのために周齋が寄贈したものである。
現在では村上木彫堆朱の祖と称されている。

有磯周斎の彫刻
  • 普済寺
  • 藤基神社 (☛ 詳細
    • 〔所在地〕村上市三之町11-12
    • 〔問い合わせ先〕0254-52-4781
    • 〔ウェブサイト〕 https://fujimotojinja.jp/
  • 行恩寺
    • 〔所在地〕村上市長井町5-6
    • 〔問い合わせ先〕 0254-52-5945.




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日本人が大切にしてきた伝統のウソ

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  • 出版社:河出書房新社
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