飯塚家の先祖は戦国期小田原城主北条氏政の弟氏忠の家老であった。飯塚氏の嫡子隼人助延忠は主家滅亡ののち、諸国を流浪して新道村星野家の食客となった。数年後上杉景勝の会津移封の時星野家も随伴したため、その屋敷と二百石の家禄を隼人助延忠が受け継いだという。
隼人助は孫三郎と改名して当地当家の初代となった。以来飯塚当主は江戸期を通じて村の庄屋を歴任し、時に大肝煎を勤め、明治維新後もこの地域の大地主として地域経営に貢献し、経済界及び政界において活躍した柏崎政財界の重鎮であった。
戦前の飯塚家は刈羽郡内で最大の地主であり、その地積は岡野町村山家や小国の山口家、塚野山の長谷川家を上回っていた。
庭園と建物は昭和48年(1968)に「秋幸苑と行在所」として柏崎市史跡として文化財指定を受け、 平成13年(2001)に第14代当主飯塚知義氏から市へ寄贈された。平成15年(2003)から一般公開されたが、平成16年(2004)の中越地震と平成19年(2007)の中越沖地震で甚大な被害を受け、一時休館を余儀なくされる。(案内図)
- 敷地 5,921.23m2
- 建物 建物 延1,513.94m2 木造二階建
- 門番所、展示室 364.38m2
- 主屋 1,133.42m2 (座敷、居宅、勝手、新座敷、裏土蔵)
座敷棟部分は当初、江戸時代末期に建てたれた平屋建てであったが、昭和20年代に2階を増築したと伝わる。 行在所となった新座敷は大正期に増築されたもので、裏中門の形の居宅部分も同時期のものと考えられる。
- 茶室 9.97m2
- 東屋 6.17m2
- 庭園 「秋幸苑」
飯塚邸の座敷から秋幸苑を臨む主屋西側に広がる庭園は、築造当時からほとんど姿を変えず、変化の多い池庭を中心とした池泉回遊式になっている。
紅葉の美しい庭園ですが、里の木々も色づき、紅葉が見ごろを迎えると11月中旬までライトアップされた幻想的な庭園を楽しむことができます。
※戦後昭和天皇が全国を巡幸した際、柏崎には昭和22年10月に来訪し、10日と11日の2泊を、当飯塚邸で宿泊した。後に庭園は宮内庁によって「秋幸苑」と命名された。

紅葉
池泉回遊式庭園の周囲に植えられたモミジの色づきが見事。
〔見頃〕10月下旬から11月上旬
- ❏〔所在地〕 新潟県柏崎市大字新道5212-4
※GOOGLE 画像
- ❏〔連絡先〕 ☎0257-20-7120 飯塚邸:
- ❏〔駐車場〕 15台
- ❏〔公開〕 4月1日~11月30日 定休日月曜日 開館時間 9時~17時
- ❏〔料金〕 一般430円 (2024年現在)
- ❏〔飯塚邸を紹介しているサイト〕
- ❏〔周辺の観光施設〕
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