笹川邸 Sasagawa's house 新潟市
(笹川家)延々と張りめぐらせた壕と土塁、かやぶき屋根の堂々たる表門の奥に、往時の威風を映す。笹川邸は、江戸時代に旧村上藩三条陣屋の大庄屋を勤め、味方組八ヵ村を支配していた笹川氏の旧屋敷。周囲に壕と土手をめぐらせた1ヘクタールの長方形の敷地内に、文政年間(1818-1831)に再建された主屋以下10棟の建物が並び建っている。大庄屋初代当主は武田治右衛門源義勝で、もともと信濃源氏を祖とし、甲斐(山梨県)の武田氏滅亡の後、天正(1573-1593)ころ信州下水内郡笹川村(現長野県飯山市)を経て移住し、改姓したといわれてる。土蔵裏手の墓地に、武田姓の墓碑が数基ある。※ストリートビュー 大庄屋に任命されたのは慶安2年(1649)、三代目の彦左衛門源信秀の時である。笹川家は藩の命を村々の名主に伝えたり、村々の年貢を集めたり、村上藩の飛び地支配の重要な働きをしたのである。 徳川時代の大庄屋制は、主として戦国時代の郷士が任命され、村々の庄屋を統治し、年貢の取り立てや命令の伝達、治安、警察、裁判の権利を与えられた。以後、明治維新までの約2百年間、笹川氏が9代にわたって大庄屋を世襲、維新後も大地主として君臨し、治水事業につくし、役宅はそのまま邸宅となった。 (建物)笹川邸は文政3年(1820)に火災で焼失したため7年をかけて 文政9年(1826)に現在の邸を完成したといわれる。表門※ストリートビューと庭園の石灯籠は焼失をまぬかれていて、天正年間(1573-1593)のものと推定されている。周囲に幅二間ほどの堀をめぐらし、中世の館づくりのおもかげも残しながら、江戸時代の大庄屋の造作を今にとどめている。主屋(面積約1200㎡)は表の大庄屋としての役宅と奥の居室とに分かれている。表向きは一重寄棟造、桁行16間、梁間5.5~7.5間の建物である。 表門を入ると、広い植え込みの何もない前庭に、石畳道が三つの入口に向かってのびている。一つはゆるいカーブをえがいて正面の武田菱をあしらった切妻起り破風の玄関に向かう。ここは藩主など貴賓の入る所で、重々しい帯戸など江戸時代の風格がそのまま残っている。藩主などの休息する上段の間や家老の間へと続く。三の間、上段の間の欄間、釘隠、床、違棚、付書院などの様式にもみるべきものがある。また南側に庭※ストリートビューが開け、深い廂をつけ、雨戸を設けていない。笹川家に藩主や家臣が巡検に来て休憩、宿泊のため利用したため、上段の間※ストリートビューなどは、正面に大床を配し、部屋の構えは大名屋敷を見る思いがする。 更に別の石畳道は右手の土間入口へとのび、土間入口でその道が分かれて「寄付」へと向かう。ここは貴賓外の来客用の玄関で、広間へと続く。また奥では机を並べ日頃公務をとっていたのであろう。年貢の記帳などに使われていた。 土間入口は年貢米納入その他の用で来る百姓たちの道であった。土間のかたく踏まれた土からは小作人たちが年貢米を運び込んだりで出入りの激しかった往時の姿がしのばれる。 北の居室部は役宅の重々しさとは対照的に、京風の意匠が凝らされて、桃山時代の殿館の様式が取り入れられている。 土間につづく勝手、台所があり、太い木割、高い天井が役宅と反対に安らぎを与えている。役宅に対する居室は茶の間を主として八畳単位の諸室が並び、奥の二重新座敷と仏間は廊下によって導かれている。 なお、居室部の二階部分は明治36年(1903)に増築されたものだという。 昭和29年(1954)3月20日、笹川邸は国の重要文化財に指定された。笹川氏が横浜へ居を移すのを機に、旧味方村(現に新潟市)が買い上げたのは、昭和45年(1970)10月のこと。地元の人たちにとっては、『旦那様の家』であったことから、以後も愛着をもって除草などの奉仕活動が行われている。 俳人高浜虚子が昭和20年(1945)6月に笹川邸を訪れて詠じた句「椎落葉掃き悠久の人住めり」と讃えた歴史ある遺構は、はるかに広がる蒲原穀倉地帯の、豊かさの象徴を表している。昭和51年(1981)に建立された句碑が庭園内にある。※ストリートビュー 昭和28年(1953)10月、イギリスの陶芸家バーナード・リーチが笹川家に1泊し、その印象を「日本絵日記」の中で、「わたしのこれまでに見たうちで最も魅力ある家屋の一つ」と書き残している。 当時の大庄屋のおかれた立場をありのままに残し、支配者と支配者を支えた農民たちの生活を、今も変わらず伝えている。(案内図) ≪現地案内看板≫
国指定 重要文化財 旧笹川家住宅 旧笹川家住宅は、江戸時代に村上藩味方組八か村を統括した大庄屋・笹川家の邸宅です。 周囲に堀をめぐらした広大な敷地の中には、天正年間(十六世紀後期) に建てられたと伝わる茅葺きの表門(巽風門)、文政二(一八一九)年の火災後に再建された主屋、六棟の蔵、井戸小屋、外便所などがあります。 主屋は村松の小黒杢右衛門が棟梁となり、居室部は文政四年、表座敷及び台所は同九年に上棟したことが棟札から分ります。 この住宅は、昭和二十九(一九五四)年、重要文化財の指定を受け、同四十五年から一般公開されています。 新潟市 笹川邸 ![]() ![]() |