明治15年(1882)4月7日、新潟県中頚城郡高城村(現、上越市)において
、旧高田藩士小川澄晴の次男として生まれる。子供の頃、祖母からいろいろな童話や伝説を聞かされて育ちます。父澄晴は上杉謙信を深く敬愛し、春日山城跡に春日山神社を創建するに尽力した。その父に連れられ山歩きをして、越後の自然に親しんだ。明治28年高田中学に入学し、相馬御風と親交を深め、詩歌・和歌・俳句などをつくった。
明治34年、未明は早稲田大学に入り、坪内逍遥、島村抱月などの指導を受けて、新ロマン派自然主義の作家として早稲田大学在学中に作家デビューする。小説『霰に霙』を発表し、作家としての地位を確立する。
童話の執筆も早く明治43年、26歳の時に最初の童話集「赤い船」を、大正10年(1921)には代表作『赤い蝋燭と人魚』を出版している。この「赤い船」は日本で最初の創作童話集として知られている。その障害を通じて1500余編の小説・童話を創作したと言われている。
純文学作家としての未明はアナーキズム思想に接近するにつけ低迷(していったらしい)、その間も童話は書きつづけ童話作家としての地位を不動のものにしていった。大正十五年には「童話宣言」、以後純然たる童話作家として児童文学に専念することを表明した。
1946年には児童文学者協会設立、初代会長に就任また野間文学賞を受賞。1951年に芸術院賞を受賞、翌52年には芸術院 文化功労者となる。
1961年5月11日、脳出血で死去。享年79歳。
代表作
赤い船 (1910年 昭和43年)
月夜とめがね (1922年 大正11年) 野ばら (1923年 大正12年) 青空の下の原っぱ (1932年 昭和7年)
赤いろうそくと人魚 (1938年 昭和13年) 雪くる前の高原の話 (1941年 昭和16年) など
小川未明は「日本のアンデルセン」とか「日本童話文学の父」と呼ばれ広く親しまれています。明治43年処女童話集「赤い船」を出して以後45年間、1000編に及ぶ創作童話を書き続けました。
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