米山稔 長岡市



米山 稔(よねやま みのる) 1924年(大正13年)10月15日〔生〕

日本の実業家。スポーツ用品メーカーのヨネックス株式会社創業者。
1924年 - 新潟県長岡市(旧:三島郡越路町)の六人兄弟の長男として生まれる。実家は、地元で採れる桐材を利用した、下駄を製造する家内工場であった。
高等小学校を卒業後、名古屋の陸軍工廠に徴用される。陸軍船舶幹部候補生に志願し、1944年9月、特別攻撃隊員として沖縄へ配属される。
出撃命令が出るのを待つが、沖縄が米軍に占領されて、命令が実行されず一命を取り留める。

終戦1年後、郷里に戻り、家業を継ぐ。最初魚網の浮作りを手がけるが、プラスチック製品にとって代わられ、行き詰まる。1957年、バトミントンのラケット製造に転換。
そして1969年には、アルミラケットで、テニス界にも進出する。
バトミントンのラケット製造では、インドネシアの一流選手と契約するなどしてブランドイメージを確立し、1971年には世界のトップブランドとなった。現在、世界の生産量の7割を占めるという。
2015年、 「世界バドミントン連盟会長賞」を受賞する。
同郷の、故三波春夫(歌手)とは少年時代からの友人であった。












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