吉澤仁太郎 ( よしざわにたろう ) Nitaro Yoshizawa 長岡市



〔生〕文久3年(1863) 6月2日 古志郡定明村の農家に生まれる。〔没〕昭和16(1941)

明治17年(1884)、21歳のとき家伝の薬酒「サフラン酒」の製造を始め、明治27年(1894)には摂田屋に移り住む。サンフラン酒とは16種類の生薬の煎じ液にサフランを混入させた薬用酒造りを始める。
新潟、山形、秋田、北海道と販路を広げ、昭和初期にはハワイにまで進出。機那サフラン酒は明治から昭和にかけて薬用酒として「養命酒」と勢力を二分するほどにまでとなる。一代で巨万の富を築いた仁太郎は、その栄華を誇示するように明治の終わりから機那サフラン酒本舗の普請を重ねる。
大正15年(1926)63歳のとき、なまこ壁と極彩色の鏝絵を施した土蔵「鏝絵蔵」を建築する。
昭和16年(1941)に死去

≪機那サフラン酒本舗 『鏝絵蔵』≫

長岡市内のJR宮内駅近くに摂田屋地区という醸造メーカーが密集する地域があり、「機那サフラン酒本舗」の建物群もこの中にある。
初代吉澤仁太郎は瞬く間に莫大な収益を上げ大地主となった。本人は質素な生活を好んだが、そのありあまる私財を注ぎ込んだのが自邸の建築で、約2300坪の広大な敷地に主屋や離れ座敷に蔵を並べて庭園を造成した。
1926年(大正15)、帳場蔵が建造され、外壁到る所に極彩色の鏝絵が施されていた。
外観の基本は屋根が切妻造りの桟瓦葺による2階建てで、大きさは桁行5間奥行3間の土蔵。これをベースに夥しい数の鏝絵が彩る。その図案は十二支や七福神に鳳凰・麒麟・龍などの縁起物が中心となっている。土蔵の鏝絵は、地元の左官・河上伊吉の作と伝わる。
平成16(2001) 、中越地震発生、建物・庭園に大きな被害を受ける。
平成18(2006) 11月29日、 鏝絵の蔵が国の登録有形文化財に指定される。
平成27(2015) 、ボランティアスタッフによる土日公開スタートする。
平成30年(2018)、敷地約9千m2と、鏝絵蔵や主屋、離れ座敷など明治後期から昭和初期の建造物を長岡市が取得した。整備を進め2020年(令和2)から本格的公開をめざしている。

「機那サフラン酒本舗」
〔所在地〕 新潟県長岡市摂田屋4-8-12
〔問い合わせ先〕0258-35-3000
 



≪機那サフラン酒≫

サフランとは西南アジア原産のクロッカス属の花。「サフラン酒」は酒といっても、サフラン、はちみつ、桂皮、丁子、甘草など20種類以上の植物などを調合した薬用酒で、「養命酒」と人気を二分したとも言われている。
3代目吉澤仁太郎になって醸造会社新潟銘醸株式会社を設立し、日本酒の醸造を本格化させた。一方、「サフラン酒」も細々と製造が続けられていた。現在では新潟銘醸株式会社が製造を引き継ぎ「機那サフラン酒」として製造販売されている。





機那サフラン酒本舗
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酔い子の旅のしおり

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  • 作者:江沢香織
  • 出版社:マイナビ出版
  • 発売日: 2015年02月