鉱山祭 Mine festival 佐渡市




@じゃらん
かつて日本最大の金山を有した相川町最大の年中行事で、江戸時代、金山奉行を慰安するため、奉行所前で開いたのが始まりという。この日は、相川鉱山で働く人足たちも年一度町に出ることを許され仕事を休み、無礼講であったという。
その名残として、佐渡金山の繁栄と安泰を祈願し、鉱山労働者の休養と慰安をすることを恒例としてきた祭。
山の神として知られる大山祇神社での神事式にはじまり、神出鬼没の名物「おけさ流し」を中心としたパレードが町中をねり歩く。最終日には、和太鼓集団「鼓量」公演や600発の花火が打ち上げられる。佐渡三大祭( 「鉱山祭」「両津七夕・川開き祭り」「小木港祭」)の雄として夏祭りのトップを飾る。(案内図)



  • 〔開始日〕 7月下旬の土・日曜 令和5年(2024)は7月 27日・28日
    〔開催場所〕佐渡市相川栄町



  • 〔日時〕 最終日
    〔打ち上げ場所〕 佐渡市相川春日崎
    〔打ち上げ数〕 約500発


  • ❏〔アクセス〕
    • 🚌両津港から新潟交通バス本線相川行きで約60分、佐渡会館下車徒歩2分
  • ❏〔交通情報〕
    両津港の時刻表佐渡市のレンタカー情報
  • ❏〔鉱山祭を紹介しているサイト〕
  • ❏〔問い合わせ先〕 0259-74-3515 鉱山祭実行委員会事務局




相川温度
ドッと笑うてたつ波風の
荒き折節義経公は
如何しつらん弓取り落とし
しかも引き潮矢よりも速く
浪に揺られて遥かに遠く
弓を敵に渡さじものと
駒を波間に打ち入れ給い
泳ぎ泳がせ敵船近く

※相川音頭は盆踊唄で新潟県を代表する民謡の一つ。寛文年間(1624-1644)に始まる古い民謡だとも言われる。
始めの頃の歌詞は実際に起こった心中事件を素に作られた心中口説でした。
しかし、江戸時代においての心中は重罪であったため、佐渡奉行所では心中口説の文句を禁止し、軍記物、時代物の歌詞を作らせ相川音頭の節で唄わせるようになりました。
天保のころ(1830-44)、「源平軍談」ができて、それが現在も唄われている源平軍談などを素材にした歌詞です。








大山祇神社


初代佐渡奉行・大久保長安が金銀祭の繁栄を願い、慶長11年(1606年)に建立した佐渡金銀山の守り神。同12年(1607)大山祇命を勧請した。通称「山の神」の名で呼び親しまれてきた。
明治時代中頃まで能舞台があり、能や大神楽が演じられていたという。
また金銀山で行われていた伝統の「鉱山祭」では神事芸能「やわらぎ」が奉納される。
「やわらぎ」は、山の神様の心を「なごめ」「やわらげる」とともに、硬い金銀坑の「やわらかさ」や、豊かな鉱石(金銀鉱)の採掘を祈る。神社の境内には「山の神」の岩が安置され、演能の額なども残る。

  • 〔御祭神〕大山祇命 ( おおやまつみのみこと )木花開耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと )
  • 〔所在地〕 佐渡市相川下山之神町7
  • 〔問い合わせ先〕 0259-74-2670(宮司宅)


地図 ストリートビュー













鉱山祭 まで









北前船が運んだ民謡文化

北前船が運んだ民謡文化

  • 作者:三隅治雄
  • 出版社:第三文明社
  • 発売日: 2021年07月30日頃