かつて日本最大の金山を有した相川町最大の年中行事で、江戸時代、金山奉行を慰安するため、奉行所前で開いたのが始まりという。この日は、相川鉱山で働く人足たちも年一度町に出ることを許され仕事を休み、無礼講であったという。 その名残として、佐渡金山の繁栄と安泰を祈願し、鉱山労働者の休養と慰安をすることを恒例としてきた祭。 山の神として知られる大山祇神社での神事式にはじまり、神出鬼没の名物「おけさ流し」を中心としたパレードが町中をねり歩く。最終日には、和太鼓集団「鼓量」公演や600発の花火が打ち上げられる。佐渡三大祭( 「鉱山祭」「両津七夕・川開き祭り」「小木港祭」)の雄として夏祭りのトップを飾る。(案内図)
相川温度
ドッと笑うてたつ波風の 荒き折節義経公は 如何しつらん弓取り落とし しかも引き潮矢よりも速く 浪に揺られて遥かに遠く 弓を敵に渡さじものと 駒を波間に打ち入れ給い 泳ぎ泳がせ敵船近く ※相川音頭は盆踊唄で新潟県を代表する民謡の一つ。寛文年間(1624-1644)に始まる古い民謡だとも言われる。 始めの頃の歌詞は実際に起こった心中事件を素に作られた心中口説でした。 しかし、江戸時代においての心中は重罪であったため、佐渡奉行所では心中口説の文句を禁止し、軍記物、時代物の歌詞を作らせ相川音頭の節で唄わせるようになりました。 天保のころ(1830-44)、「源平軍談」ができて、それが現在も唄われている源平軍談などを素材にした歌詞です。 大山祇神社
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