宮川外新田(現越路町神谷北半分)は、柏崎の宮川四郎兵衛より享保8年(1723)に開発願いが出された。開発に参加した高橋家は、土地を集積し、庄屋も努め、明治29年(1892)の「新潟県地価持姓名録」では30傑に入る地主であった。 時の当主、高橋九郎は、明治29年、貴賓客を迎えるための茶室を造った。 約4千平方メートルの敷地内には、樹齢150~200年のもみじや山桜、カエデ類、ツツジなど多くの植物が植えられていて、モミジの種類の多さで知られる。 特に秋に真っ赤に染まるイロハカエデは、北から九州地方の太平洋側に野生するモミジの一種で、高橋家が事業の活動の場であった京都から優れた品種を移植したものとされる。東側の庭ではイロハカエデの大木がシンボルとなっている。 現在は、市が平成元年に寄贈を受け管理している。紅葉の時期には夜間のライトアップも行なっており、幻想的なもみじの様子を見ることができる。(案内図) ☯2019年10月、休憩ができる施設「越路もみじの茶屋」がオープンした。地域の観光情報を紹介したり、特産品の販売をしたりする。
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