尾神岳 Mt. Ogamitake 上越市
🔗尾神岳遭難者供養の報尽碑
尾神岳は標高757mと標高こそ高くないものの、上越市吉川区を代表する山として親しまれ、豊かな自然と山頂からの大展望を楽しめる身近な登山の山である。台形状のどっしりとした山容を持ち、古くから山岳信仰の対象とされてきた歴史を持つ一方、現在では初心者から楽しめるハイキングコースとしても人気が高い。
登山道は急登が続く本格的な山とは異なり、比較的歩きやすい道が整備されている。登り始めは杉林や雑木林の中を進み、季節ごとに変化する山の表情を楽しみながら高度を上げていく。春には新緑が芽吹き、夏には濃い緑に包まれ、秋にはブナや広葉樹が鮮やかに色づくなど、四季を通じて自然観察を楽しめる山である。森林内では野鳥の声が響き、静かな山歩きの魅力を味わうことができる。
山頂に近づくにつれて視界が開け、尾根付近では日本海側の景色が少しずつ姿を見せる。山頂周辺にあるパノラマハウス付近は、尾神岳登山の大きな魅力の一つであり、広々とした展望が広がる。晴天時には日本海や佐渡島を望むことができ、さらに妙高山や信州方面の山並みまで見渡せる。特に夕暮れ時には、日本海へ沈む夕日が空と海を染め上げ、尾神岳ならではの絶景を楽しめる。
尾神岳は風の通りやすい地形を生かし、パラグライダーの名所としても知られている。山頂付近では大空へ飛び立つパイロットの姿を見ることもあり、一般的な登山だけでは味わえない山の魅力に触れることができる。空から山や海を眺めるスポーツの舞台となっていることは、尾神岳の開放的な地形を象徴している。
また、山頂周辺から東側へ延びる林道沿いには天然ブナ林が残されており、下山時には森林浴を楽しみながら歩くことができる。派手な岩場や険しい稜線はないものの、自然の中をゆっくり歩き、展望を楽しむ登山に適した山である。
尾神岳は、神話に彩られた歴史を持ちながら、現在では気軽に登れる展望の山として多くの人に親しまれている。短時間の登山でも日本海の大景観、豊かな森林、山頂の開放感を味わえることから、初心者や家族連れにも適した越後の里山である。
(案内図)
🌌見どころ
尾神岳の最大の魅力は、標高757mの山頂周辺から広がる雄大な眺望にある。パノラマハウス付近からは日本海を一望でき、天候に恵まれた日には佐渡島や妙高山、さらに信州方面の山々まで望むことができる。特に夕暮れ時、日本海へ沈む夕日は尾神岳を代表する景観であり、多くの人を魅了している。また、古くから天之手力男命にまつわる神話が残る信仰の山としても知られ、山そのものに歴史的な趣がある。山麓から山頂へ向かう登山道では四季折々の自然を楽しめ、春の新緑、秋の紅葉、天然ブナ林の美しい景観は大きな見どころとなっている。さらに、風に恵まれた山頂付近はパラグライダーの名所として知られ、大空へ舞い上がる姿と開放的な山の風景が尾神岳独自の魅力を生み出している。
🌌山名の由来
尾神岳の名には、天の岩戸神話に結びついた伝説が残されている。天照大神が天の岩戸に隠れた際、天之手力男命(あめのたぢからおのみこと)が岩戸を開け放ったところ、その岩戸の一部が勢いよく飛び出し、空中で二つに割れた。その一片が信濃国の戸隠山となり、もう一片が越後の地に落ちて尾神岳になったという。尾神岳には、岩戸を開いた天之手力男命の力が宿るとされ、特に神の下半身の力が宿った山と伝えられたことから「尾神」の名が生まれたとされる。古くから神聖な山として崇められ、山岳信仰の対象となってきた背景には、この神話と地域の信仰が深く関わっている。
🌌山にまつわる言い伝えや出来事
尾神岳は古くから山岳信仰の対象とされ、人々の畏敬を集めてきた山である。かつては修行の場として女人禁制の風習があったと伝えられ、禁を破って登ろうとした尼僧が石になったという「尼石」の伝説が残されている。この石は尾神集落の観音堂に安置されていたとされ、尾神岳が信仰の山であったことを伝えるものとなっている。また、山麓の集落では山を神聖な場所として敬い、豊作や無病息災を願う対象として大切に守ってきた。近年では、豊かな自然環境と風の条件を生かし、パラグライダーの拠点として発展し、古い信仰の山から自然と交流を楽しむ山へと姿を変えている。
🌌注意事項
🤩尾神岳は比較的登りやすい里山だが、低山特有の注意が必要である。夏場は樹林帯の中でも気温が上がりやすく、熱中症や虫対策を十分に行いたい。秋から冬にかけては落ち葉で登山道が分かりにくくなる場所もあるため、道標を確認しながら歩くことが大切である。山頂付近は風が強くなることがあり、防寒対策にも注意が必要。パラグライダーの利用者がいる場合は、離着陸区域への立ち入りを避け、安全を確保する必要がある。天候の急変にも備え、無理のない登山計画を立てることが望ましい。
🤩尾神岳の登山道周辺には、登山者が利用できる水場は限られている。低山であり登山時間も比較的短いため、基本的には登山口で必要な飲料水を準備してから入山することが望ましい。山中では沢や湧水が見られる場所もあるが、季節や降雨状況によって水量や水質が変化するため、浄水処理をせず飲用することは避けたい。特に夏場は気温が上がりやすいため、余裕を持った水分の携行が必要となる。展望を楽しむ山歩きでも、低山だからと油断せず水分補給を意識することが大切である。
🤩尾神岳登山後の入浴には、吉川区や周辺地域の温泉施設が利用できる。近隣では長峰温泉 ゆったりの郷があり、広々とした浴場で登山後の疲れを癒やせる。天然温泉を楽しめるほか、食事処も備え、登山者の利用にも適している。少し足を延ばせば上越市内の温浴施設も選択肢となり、汗を流した後にゆっくり休める。尾神岳の自然散策と合わせて、温泉で体を整える楽しみも魅力の一つである。
🔶パノラマハウス登山口
舗装された道は「パノラマハウス」まで続き、ここで車を止める。この地点でも、眼下に広がる光景には目を見晴らせるものがある。
登山道は、パノラマハウスから導標は設けられていないが、わかりやすい。15分ほどで台状地となり、スチール製の展望台がある。
展望台から起状もない稜線道は、10分ほど登ったあたりからブナ林となる。山頂間近に三基の祠※ストリートビューが祀られている。山頂三角点はこの地点から5分ほど。山頂からの展望は北東、米山が開けていて、刈羽黒姫山や八石山のが望まれる。
- ❏〔標高〕757m
- ❏〔所在地〕新潟県上越市柿崎区旭平
※GOOGLE 画像
- ❏〔登山口〕
- 〔所在地〕新潟県上越市吉川区尾神
- 〔山頂までの所要時間〕 30分
- 〔アクセス〕
- 🚅…JR信越本線「柿崎駅」よりバスで49分、下車後、徒歩で60分
🚘…北陸自動車道「柿崎IC」より車で40分
- 〔駐車場〕 30台 ※登山口に3ヶ所登り口があり、それぞれに駐車場がある
- ❏〔交通情報〕
- ❏〔周辺の施設〕
- ❏〔尾神岳を紹介しているサイト〕
- ❏〔問い合わせ先〕
- ☎025-548-2311 上越市吉川区総合事務所
尾神岳のブナ林ブナ林はこの尾神岳の南斜面に広がり、およそ樹齢100年、面積101haの純林である。随所に炭焼き窯の跡が見られ、かつては、炭焼きのため伐採され、現在のブナ樹林は二次林である。周辺にはキャンプ場や遊歩道も整備されて、森林浴が楽しめる絶好の場所となっている。
ブナ林の下側を市道尾神川谷線が横切るように走っている。車を駐車場に止め、かつて林道として開削された際の開通記念碑までの2kmを歩いて探索してみるのもよい。ただし、道路が複雑にカーブを繰り返しゆるい下り道となっている。通過する車に注意が必要である。
新緑のブナ林の中からはキビタキの鳴き声が聞こえてくる。この林の鳥たちの主役であろう。クロツグミ、ホトトギス、ツツドリと、ブナ林の鳥たちの声を楽しむことが出来る。他にも、谷間や、沢筋から多くの鳥の鳴き声が響く。※ストリートビュー
≪尾神岳遭難者供養の報尽碑(正式には報尽為期碑 )≫
尾神岳中腹には、「報尽為期(ほうじんいご)」と刻まれた報尽碑が立つ。
京都・東本願寺は元治元年(1864)7月、禁門の変によって諸堂の大半を焼失した。その再建に必要な用材を集めるため、全国の門徒に献木を呼びかけた。頸城地方でもこれに応え、東頸城郡嶺村(現・上越市大島区嶺)の神社境内にあった大ケヤキを献納することとなり、巨大な丸太を特製の「大持そり」に載せ、直江津港まで人力で運び、そこから海路で京都へ送る計画が立てられた。再建事業は長年にわたって続けられ、明治16年(1883)3月には近郷の寺院の呼びかけにより、毎日1,500~1,600人もの門徒や村人が運搬作業に参加していた。3月12日午後2時過ぎ、「大持そり」が尾神岳中腹の難所・吹切を通過中、幅約200メートル、長さ100メートル余に及ぶ大雪崩が発生し、70~80人が雪中にのみ込まれた。近郷から2,000人余りが救助に駆け付けたが、27人が命を落とした。犠牲者の内訳は、男性8人、女性19人で、このうち子どもは20人を数えた。年齢別では50歳代2人、40歳代1人、30歳代3人、20歳代1人、10歳代14人、10歳未満6人で、体力的に弱い高齢者や女性、子どもに犠牲が集中した。惨事から4年後の明治20年(1887)9月24日、殉難者追善供養のための石碑建立が許可され、翌明治21年(1888)、雪崩現場近くの中頸城郡川谷村(現・上越市吉川町)に供養碑「報尽碑」が建立された。「報尽為期」とは、仏恩に報いるため命を尽くすという意味が込められている。東本願寺の堂宇は明治28年(1895)に再建が完成したが、この雪崩事故は再建事業に伴う献木運搬中に発生した最大級の惨事として語り継がれている。その後、報尽碑は長い年月の間に所在が忘れられ、草木に埋もれてしまったが、昭和31年(1956)、地元有志による粘り強い調査によって再発見された。以来、地域住民によって大切に護持され、毎年慰霊が行われるなど、殉難者の霊を慰める碑として今日まで受け継がれている。
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尾神岳

登山口1

登山口2

登山口3「パノラマハウス」

報尽碑

観音堂