「…何が甘口で60点よ!」
エリーの虫の居所は悪かった。その乱暴な扱いにガラス器具がガチャガチャと音をたてている。
机の片隅にその一因、中身を随分減らしてしまった薬瓶がまだ置いたままになっている。
「だいたい、人が苦労して作った薬、勝手に飲んじゃったくせに、あんな言い草ってないじゃない!……そりゃ、失敗だったみたいだけど。」
手が止まる。あの薬は成功したと思っていた。分量も手順も間違えていないはずで…。何がいけなかったんだろう。やっぱり自分が未熟だったから?
今回の依頼は騎士団からのものだった。盗賊達の更正に使う、と言っていた。
自分がそれなりに評価されてきているようで嬉しかったし、自分の錬金術が人の役に立つなら、と引き受けた。結構張り切っていたのになぁ…。どんどん暗い考えになってしまい、ため息をついた。
いけない、いけない。出来ると思っていないとどんな調合でも失敗してしまう。迷っていては駄目。
最後に成否を分けるのは自信。その自信を得るために努力や経験が必要なのだ、と。そうだよね。
努力はした。そのつもりだ。この薬が作れる位には経験だって積んでいるはずだ。
さっきのが失敗だったとしても、次は絶対に成功する。
思えば失敗だって渡す前に分かって良かったのかもしれない。
ものがものだけに効果なんて試すわけにはいかなかったのだ。
考えが良い方に向かうと俄然やる気が出てくる。よーし。
気合いを入れかけて気付いた。
あ!今日あたりできるって、持っていきますって言っちゃったんだ!
調合を始めたら3、4日はかかってしまう。
先に事情を話しておいた方がいいよね。
準備していた器材をおいて、エリーは外へ出た。
シグザール城へ着くと、会いに来た人物と、今は会いたくなかった人物が探すまでもなく目に入った。
(う…。いないわけないよね、やっぱり…)
城門の警護をしているのだから、いて当たり前だ。自分だって用があればまずここに来る。
ただ今は間が悪かった。せめて横から茶化されたりしないことを願いながら口を開く。
「あの、エンデルク様。この間の薬なんですけど、実はその…。」
「ああ、君か。ちょうど良いところに来てくれた。」言葉が遮られる。
「…ダグラスの事なのだが…何というか…」
「ダグラスがどうかしたんですか?」
いつになく歯切れが悪い。エンデルクがこんな風に躊躇するのなんて初めて聞くせいで、つい身構えてしまう。
よく見るといつも冷静な顔に苦悩とか困惑とか、そういった色が窺える。これも珍しい。
ちらっとダグラスに目をやる。あれから何かしでかしでもしたのだろうか。
「…何と言ったら良いのか分からないが…とにかくおかしいのだ。」
「はぁ…。そうなんですか…」
間の抜けた返事になってしまった。どういうことだろう。
「…話してみれば分かる。」
「? …ダグラス?」
「なんですか、エルフィールさん。」
…は? 今、なんて…。エリーは耳を疑った。
「エルフィールさん? どうかしましたか?」
それはこっちの台詞だ。目眩がする。
「顔色が良くないみたいですけど、大丈夫ですか?」
エンデルクに目で問いかける。
「こういうわけだ。皆、気味悪がってな。…なんとかならないものだろうか。」
心当たりはあった。あり過ぎるくらいだ。きっと、いやほぼ間違いなくさっきの薬のせいだ。
(どうしよう! 完全な失敗じゃなくて、即効性がなくなってただけだったんだ〜)
まさかこんなことになるなんて。いっそ失敗だった方がどれだけ良かったか。
「どうかしたのか?」
「あ、いえっ!な、なんでもないです。わ、わかりました」
反射的に答える。自分でも声が裏返っているのがわかる。
「ふむ?」
やっぱり変に思われたかな。引きつった顔に乾いた笑いを張り付ける。
「…まあ良い。ダグラス。これからお前はエルフィールについていき、言う通りにするように。」
「はぁ。ですが、ここの警護はどうしましょう?」
「気にするな。隊長命令だ、行って来い。…それではエルフィール、よろしく頼む。」
言外に戻ってくるなとほのめかし、エンデルクは城に戻っていった。
「あの…ダグラス。 もしかして、ふざけてる、なんてことはないよね?」
工房へ戻る道、とりあえず聞いてみる。
あのダグラスにそんな事出来るわけないのは分かっているが、もしそうだったらどれだけいいか。
「ふざけてるって、そんな…僕はそんな風に思われているんですか…」
「ううん、そんな事ないよ! ただ、ちょっと、そうだったらいいなぁ、って…」
いじめているみたいに思えて慌てて否定する。
「…僕、やっぱり何かおかしいんでしょうか。城の者も皆、変な顔をするんです。隊長も追い出そうとしていたみたいだったし…」
「そ、それは…」
何て答えたらいいんだろう。原因は分かりきっている。普段とあまりに違うからだ。
でも…本人は普段 薬を飲む前 の自分の態度を覚えていないみたいだし…。
「す、すみません!困らせるつもりじゃなかったんです。……えーと。…ところで、僕はこれから何をしたらいいんですか?」
「あ、あの、それは…その……そうだ! 薬。薬を飲んでみて欲しいんだけど。」
話題を変えてくれたのは嬉しいけど。やっぱり返事に窮し、適当に思い付いたことを言う。
「薬…ですか。」
怪訝な顔。なんで自分が? そう問われているようで、再び言葉に詰まる。
「あ、あのね、うん、実験なんだ。騎士隊の依頼なんだけど、とっても強い人じゃないとダメで…」
我ながら苦しい言い訳だ。咄嗟のこととは言え、もう少しまともな理由は思いつけないのか。
「そうなんですか? っと、ごめんなさい。専門の方なのに、疑ったりして失礼ですよね。でも、僕なんて全然強くないですし、別の人に頼んだ方がいいんじゃないでしょうか。」
「そんな事ないよ! ダグラスは強いよ。エンデルク様にだって勝ったじゃない!」
「強くなんか…。きっと運が良かっただけですよ。それに戦いなんて危なくて怖い事、したくないですし…。なんで僕は騎士なんてやってるんだろう…」
「で、でも、騎士隊の人が戦ってくれるから街も安全なんだし、外も歩けるんじゃない。……私だってダグラスのおかげで危険な場所でも採取しに行けるんだよ…」
言っていて何だか情けなくなってくる。まさか自分がこんな事をダグラスに向かって力説する日が来るなんて。
これが本当にダグラス…?
まだ何からしくない事を言っているみたいだけど、意味が理解できないまま全然違うことを考える。
悪い夢なら覚めて欲しい、っていうのはこういう状況を言うのかな。
あまりの事に意識が現実逃避しかけていた。
やっと工房に着く。私が一番錬金術師になる場所。
目が覚めたようにまともな思考力が戻って来た。
何をすればいいんだろう。どうすれば元に戻せる?
おかしくなった原因は薬なんだから、解毒剤で治せないかな。
「これ、飲んでみてくれる?」
試しに解毒剤を渡す。
「これ…って、解毒剤ですよね?」
なんで?という顔で見返された。
「き、危険があると困るから、予防なの!」
……そうだよね。解毒剤、依頼に来るぐらいだもん、わかるよね……。
「……具合、どう?」
「あの、エルフィールさん。まだ解毒剤しか飲んでないですけど。」
「え。あー…と、そうだったっけ?あはは…」
ふぅ。やっぱりダメかぁ。実は期待していただけに落胆する。…でも、また時間差で効くかもしれないし。
それにしてもなんで私ってこうも嘘やごまかしが下手なのかな。
って、予防なんて言っちゃった以上、何か薬っぽい物出さないといけないじゃない。
えーと、薬、薬……。自分の知識を総動員して考える。
怪我や病気とは違うし…。正気を取り戻すもの? ガッシュの薬湯、とか。
うん、あれなら苦いだけで変な副作用とかもないはず。試してみる価値はある。
「じゃあ、これを…。」
今度は分からないと思うけどコップに移して渡す。
「に、苦い…」
「我慢して。それは苦い物なんだから。」
涙目になっているダグラス。でも、効き目は現れないようだった。
うう〜これも駄目なの? 後残っているものは……そうだ! この間作った不思議な光球。
確か普通じゃない状態をきれいに治せたはずだ。
「あの、すいません、水か何か…」
「ごめん、水差しから勝手に飲んで!」
適当に返事をして倉庫に駆け込む。えっと、どこにしまったっけ?
遠出するときに持って行ってみようと思ってたからそう変なとこには…、あった!
見つけ出した小さな玉の輝きが希望の光に見えた。
しかし。
結局状況は変わらないままだった。策が尽きた分精神的に悪化したと言えるかもしれない。
役に立たなかったアイテム図鑑や参考書が散らばる中、エリーは力無く座り込んでいた。
考えれば考えるほど落ち込んでいく。
元々は盗賊の更正に使うものだったから、自然に効き目が切れないようにしたつもりだった。
そして状態回復の薬は効かなかった。
もうこれが普通だって、ずっとこのままだって事……?
「…ごめんなさい。私が変な薬作ったから…」
人の心を変えてしまう薬。
心を変えてその人を消してしまう薬。
その意味をこんな形で思い知らされるなんて思わなかった。
人は日々変わっているって言うけれど、こんなのって…。
「…もういいですよね。僕、そろそろ帰ります。それじゃ」
すぐそこにいるのに、違う。もう会えない……
いつものダグラスがたまらなく懐かしい。
口が悪いのなんて構わない。普段通りに話しかけて欲しかった。
あの自信に満ちた笑顔を見せて欲しかった。
真っ直ぐで、強い輝きを放って見えた、もういないダグラス。
こんな風に失いたくなんかなかったのに。
私は……
ドサッ
え…?
不自然な物音に顔を上げる。いつの間にか視界が歪んでいた。
《後日談》
「よお、仕事持ってきたぜ。これ頼みたいんだ。できるだろ。」
「え、何? ちょっと待ってて。」
「早くしろよな。」
ダグラスは元に戻った。
そしてまたいつものように訪ねて来てくれる。こんな当たり前の事に幸せを感じる。
今のところ後遺症とかも全然ないみたいだし、本当に良かった。
あの後、事情を知ったエンデルク様は薬の代金を押しつけていった。
その時「あの薬は混乱を招くからいらない」と言っていたけど、それ以上に思う。
混乱するからとかじゃなく、人としてやってはならない領域の事だって。
だから盗賊でも悪人でもあんな薬は使っちゃいけないんだ。
意識を別人にするのは、死と同じ位残酷かもしれないってわかったし…。
「何笑ってるんだよ。」
「何でもないよ!」
知らないうちに笑っていたらしい。普通に話すだけなのになぜか嬉しくなる。
「……お前もかよ。みんなして同じ様なこと言いやがって。」
「え?何のこと?」
「城の連中がさ、俺のこと話してるみたいなのに聞くと決まってそういうんだ。気になって仕方がねえ。言いたい事があるならはっきり言って欲しいぜ、全く。」
「ああ。…でも珍しいね。ダグラスが噂を気にするなんて」
「さすがにあそこまで行くとな…ってそうじゃねえだろ。知ってるんなら教えろよ。」
「う〜ん。でも、ダグラスは知らない方がいい事だよ、きっと。」
「てことは知ってるんだな、お前。今日といいこの間といい、隠し事ばっかしやがって。…いいから言え。」
…そう。あの時の事、ダグラスははっきり覚えていないらしかった。
教えていいのかな。ううん、本当は私が言わなきゃいけないことだよね。でも…
「どうしようかな〜? そうだ。当たったら教えてあげる」
「くっ…、絶対白状させてやる!」
…今はまだ些細な会話を楽しんでいたかった。