なんだ…?急激に意識を引きずり出されたような不快感。
床に膝をついていることに気付く。自分のいる状況が分からない。
くらくらするのを堪えてようやく辺りを見ると、そこは見慣れた場所、エリーの工房だった。
何があったんだ? まだはっきりしない頭をどうにかはたらかせようとする。
口の中にかすかに残る妙な味。そうだ、確かエリーの薬を間違えて飲んじまったんだ。
…ってことは、あれからそんなに経ってないのか。
何やら変な夢を見ていた気がするが、それも薬のせいかもしれねぇな。
「ダグラス…?」
背後から声が聞こえ、現実に引き戻される。
「あぁ、大丈夫だ、大したことねぇから…」
立ち上がって振り向くと、呆然と自分を見ているエリーが目に入った。
その顔を見て驚く。 泣いてたのか?
…やっぱり俺が泣かせちまったんだよな、この場合。
よく分からなかったが深い罪悪感を感じて口を開く。
「…すまねぇ。そんなに大事なもんだとは思ってなかったから…」
「今、何て…」
「だから、薬を……。 ……その事じゃないのか?」
エリーは黙ったまま突っ立っている。
違ったのか? じゃあ、何で泣いてるんだ? 俺、他に何かしたか?
また、弾みで傷つけるようなことを言ってしまったんだろうか。
記憶がはっきりしないのがもどかしい。
心当たりを探していると、エリーに揺さぶられた。
「ねえ、黙らないで。何か言ってよ…」
訴えるような眼差し。真剣で熱く、それでいて泣き出しそうで。期待と不安が綯い交ぜになったような…色々なものを含んだそれに射抜かれる。
「……な、何かって、言われても、その……」
視線が痛い。なのに目を逸らせない。
「ぅ……………………………うあああああ!!」
口から出た叫びと共に頭を振って強引にその目を見ないようにする。
このままでは気がどうにかなりそうだった。
「何をどう言えばいいんだよ!」
沈黙と空気に耐えられなくなって叩きつけるように言う。
「……………………。戻ったんだ……良かった……」
「戻った?……何が。って、おい!」
しばらく時を止めていたエリーがつぶやくようにして発した言葉。その意味を尋ねたかったが泣き出されて焦る。
「ううん、何でもないの。…………ごめんね」
うろたえる俺にまだ涙を零しながら、それでも微笑んで言う。
……余計気になるじゃねぇか、それは。だいたい何を謝られているんだ?
エリーにしがみつかれ更に慌ててしまい、その台詞は形にならなかった。
本当に何がどうなっているんだ。誰か説明してくれ!
内心の叫びも虚しく、わけの分からないまま混乱と共に。
エリーが泣き止むまで随分長い間立ちつくす羽目になってしまった。
何だかよく分からなかったあの日の後。
俺はやっぱり訳の分からない状況にいた。
隊長には呼び出しを食らったあげく、
「お前は注意力が足りん。だいたい、いくら親しいとは言え、人の家にある物に勝手に手を出すなど…。子供ではあるまいし、もう少し分別を持て。」
云々、説教をされてしまった。どうして知ってるんだ? というか、何で隊長に怒られなけりゃならねえんだ。
他の奴も他の奴で、俺の顔見るとおかしな顔をしやがる。
それどころか、離れた所から指さして何かこそこそ話してる奴らまでいる。
王子に至ってはくすくす笑いながら「やぁ、ダグラス。機嫌はどうだい?」とか聞いてくる。
いいわけねえだろう!
しかも決まって問いただしても答えないと来た。どいつもこいつも……!
落ちつかねえし、何より気にいらねえ。何なんだよ、一体。
いらいらしたまま城を出る。
外に出たら風が心地よく、幾分気持ちが和らいだ。
少し落ち着くことができて、風に感謝する。苛ついたままだと、また何言っちまうかわからないしな。
そう、これからあいつの工房に行く所だった。
この間、依頼をしに行ったはずなのに、それを忘れたまま帰ったようなのだ。
本当に何をやってたんだろうな、俺。何しに行ったんだかわからねえじゃねえか。
…全ての元凶が集中しているだろうその日の事がわかれば、まだ違うんだろうに。
ふぅ……。
知らないうちにため息を付いていた。
あの日、結局、エリーからは話を聞けなかった。
誤魔化された気がしないでもないが、エリーを見ていたらどうでもよくなってしまったのだ。
それで今こうして気になっているのだから世話がない。
今日こそ聞こうと思うのに何となくまた追求しきれないで終わりそうだ。なんでこんなに甘くしちまうかなぁ。
惚れた弱み、と言ったらそれまでなんだろうが、釈然としない物を感じる。
だが。エリーに会える、ただそれだけの事にいつの間にか心を弾ませている自分にふと思う。
こういうのも悪くねえ…。
「よお、仕事持ってきたぜ。これ頼みたいんだ。できるだろ。」
いつものように声をかける。
「え、何? ちょっと待ってて。」
「早くしろよな。」
向こうも向こうで相変わらずばたばたしてるよな。もうすっかり元に戻っているみたいでちょっと安心した。
この間のはあれはあれでドキッとしたけれど、やっぱりこいつは元気に動き回っている方がいい。
しばらくその作業を眺めているうちに、何だかいつもと雰囲気が違うような気がしてきた。
何だろうな?
悪い感じなんかじゃなくて、もっとこう、くすぐったいような暖かさで、妙に心地よくて…。
…あ。
分かったと同時に気恥ずかしくなって、気付いたら言葉が口を出ていた。
「何笑ってるんだよ。」
今までに見たことがあるのとはちょっと違う気がする笑顔。何でこうなんだろうな、俺は。本当はずっと見ていたかったのに自分でぶち壊してしまった。
また見られるかもしれないじゃないか、と自分を慰める。名残惜しいが、幸せな気分になれたのだし。
が。
「何でもないよ!」
そんな気分を吹き飛ばす、聞き覚えのある言葉。俺は思いっきり嫌なことを思い出してしまい、顔をしかめた。
「……お前もかよ。みんなして同じ様なこと言いやがって。」
「え?何のこと?」
「城の連中がさ、俺のこと話してるみたいなのに聞くと決まってそういうんだ。気になって仕方がねえ。言いたい事があるならはっきり言って欲しいぜ、全く。」
「ああ。…でも珍しいね。ダグラスが噂を気にするなんて」
「さすがにあそこまで行くとな…ってそうじゃねえだろ。知ってるんなら教えろよ。」
また聞きそびれるところだった。こんな事ではぐらかされんなよ、情けねえぞ、俺。
「う〜ん。でも、ダグラスは知らない方がいい事だよ、きっと。」
「てことは知ってるんだな、お前。今日といいこの間といい、隠し事ばっかしやがって。…いいから言え。」
お前がどう思おうが、そんなの関係ない。俺がやった事ならちゃんと知っておいた方がいいに決まっている。
考え込んでいるエリーにそう言おうとしたら、いたずらっ子の様な笑顔に遮られた。
「どうしようかな〜? そうだ。当たったら教えてあげる」
「くっ…、絶対白状させてやる!」
この問答は仕舞いにはふざけ合いの様になり、やはりこの日も聞き出すことは出来なかった。
しばらく後、事情を教えてもらった俺がどう思ったかは…まぁ改めて言うようなもんじゃないだろう。
その時の俺がどこから来てどこへ消えたのか。俺の一部だったのか全く別ものだったのか。そういう難しい事は俺には全然わからない。
だが……。
目の前で微笑むエリーを見て思う。
この笑顔を見る事ができて、今もこうしてこいつといる事ができて本当に良かった、と。