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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。

10.見えない希望

10-2/2

 上條が声を掛けると、新見は嬉しそうな顔で「骨をとろうと思いまして」
「骨?」
「ええ」と頷く間でも新見は妙な行為を繰り返す。わざわざ箸を置いて、手で鮎の尾をとる。細い指が今度は頭をとったと思ったら、その後ろから、ずるずると中骨がくっ付いてくる。まるで食べ終えた後のような骨が皿の端に置かれるのを見て、上條は素直に感心した。
「見事なもんだな」
「そうですか?」 ぺろりと手の指を舐めて新見は上條を見やる。
「私は普通にそのまま食べていたんだが、そんなやり方があるんだな。一体誰と鮎なんか喰っているのやら」
「課長はどうして一言多いんですか?」
「ふん。君が年相応なら私も何も言わんよ。おい、こちらに来てどうやったか見せてくれ」
 上條は尻を横にずらして新見の席を作った。要するに逆から見ると分かりにくく、かといって新見の言葉通りにやって失敗するのが嫌に違いない。意訳すれば「私の鮎の骨もとってくれ」となる。
 腰をあげて上條の隣に正座すると、ビールを飲みながらこちらを見詰める上司と目が合う。
やはり自分でやる気はないらしい。
 ため息一つついて、一応ハンドタオルで手を拭いた。そして解説をしながら先程と同じように骨を取り出す。
「器用なもんだ」
「ありがとうございます」と皮肉たっぷりに笑顔を返して腰を上げると、腕を掴まれた。
「課長?」
 訝しげに見下ろすと、上條は真剣な口調で新見に言う。
「なあ君、君は本当に辞める気だったのか?」
 急に持ち出してきたその話題に新見は絶句した。まるで冷や水を掛けられたかのように、鮎の興奮が吹っ飛んでしまった。そうだった、本当の目的は食事ではなく、この話だった。
 新見は表情を引き締めてその場にまた腰を下ろした。
「どうした?急に大人しくなった」
 皮肉交じりに上條は言い、その後自嘲気味に鼻で笑った。
「美味い魚を楽しむ為に来た訳じゃないからな。ここは上が開いていて会話は筒抜けだ。話のネタがネタだけに声を大きくして話すよりいいだろう」
 上條はそう自分を隣に座らせた種を明かすと、テーブルに片肘をついて俯いた新見の顔を覗き込んだ。
「私は、分かっていると思うが君に対して顔色を伺うつもりはない。辞めるというなら辞めればいい。ただ一つ引っ掛かっているのが、退職届を出した理由を聞いた時、君は、私がそう望んでいると思ったと言ったな?どうしてそう思ったんだ?」
 上條の声は低く冷静で、新見の耳に心地よかった。今朝方話した時は会話にならなかったのに、今は随分落ち着いている。それに救われる思いがした。今なら朝言いたかったことが最後まで言える気がした。
 そこまで考えて新見は自分の感情に首を傾げる。言いたかったこととはなんだ?
「ゆっくりでいいし、支離滅裂でも構わん。今思っていることを口にしたまえ」
 随分と甘やかすことを言ってくれる、と新見は内心苦笑した。いつもの皮肉屋は影を潜めてまるで別人のようだ。「ずいぶん優しいんですね」と逆に皮肉を言ってやると、隣の上條は少し口角を上げて笑っただけでそれ以上何も言わなかった。
 その余裕のある顔つきに思わず口が開く。
「私は別に会社を辞めたくて辞めようと思ったわけではないんです。ただ、課長に勘違いをされているし、これ以上ある事ないことでプライベートをからかわれるのは嫌だったというか」
「続けて」
「その、朝言った通り、昨日のことは私は全然知らなくて、伊勢崎さんが私の携帯が夕べから繋がらないことを心配して様子を見に来てくださったんです」
「ほう?」
「で、私に会う前に課長に会われたということで、ネクタイのことと、伝言を聞いて、これは勘違いされていると」
「その勘違いとは、どういう勘違いをしていると思ったんだね?」
「それは課長が思ったことです」
「だからどう思ったと思ったんだ?」
「私が彼に、例のネクタイをして職場まで逢いに来るように指示したとか」
 そこで、上條は嘲笑した。「はッ!何をバカな発想を!」
「違うんですか?」と新見が聞けば、上條は口元を歪めたまま、手を振った。「まあいい。それで?」
「それで慌てて課長の誤解を解こうとエレベーターに乗ったのですが、そこで伊勢崎さんが私に」
 新見は口をつぐんだ。
「私に、何だ?」
 上條は新見を即したが、新見はどうしようかと迷った。正直ここからはプライベートだ。
 そんな逡巡が上條は面白くなくて、あえて揶揄するような口調で言った。
「エレベーターで興奮してイチャイチャした、か?」
「違います!」
「何が違う?」
 上條が聞いてくる。この流れは今朝と一緒である。相手の揶揄に頭に来て話が進まなかった。ではどうする。簡単だ、言ってしまえばいい。
「伊勢崎さんが」
「彼が?」
「課長の誤解とは何だ、と」
「ん?」と上條は首を傾げた。「そう言ったのか?」
「はい」
「で、君は何と答えた?」
 新見はそう問われて記憶を探った。いや、答えた記憶は無い。「なにも」
「なにも言わないでどうなった?」
「あの人に急に壁際に押しやられて強引に」
 上條は舌打ちした。聞いているだけで腹が立つ。要するにキスをしたのだろう。そしてエレベーターが開いて目が合った。
 あの時の新見の視線を上條は思いだす。何か救いを求めるような目つきをしていた。
「君は、その後戻ってこなかったじゃないか。強引でもそういうことなのだろう?君はあの時私を見ていたね。私にどうして欲しかった」
 たら、れば、では話が進まぬと上條は分かっていたが、思わず聞いてしまった。あの視線の意味が知りたかったのかもしれない。
 新見は何か考えているようだった。しかしポロリと出たのは意外な台詞で。
「軽蔑しないで欲しいと」
 え?
 上條が聞き間違いかと新見を見返すと、彼の瞳の中が揺らいで溢れるように一粒の涙が頬を伝った。
「どうした」と上條は動揺を隠しながら新見に問うと、彼自身何が起こったのか分からないようで、慌てて頬の涙を拭っていた。
 しばらく互いに無言だった。新見は俯いたまま動かなくなり、上條はそんな彼の横顔を眺めたまま思案を巡らした。
 そして彼の出した答えは一つのため息。
 新見の肩が震えた。
「軽蔑なんかするわけない。君は君だ。男とキスしたからって君の価値が下がるわけではないだろう」
 苛々したようなその台詞を受けて新見は俯いたまま問うた。
「ではなんで課長はあんな伝言残したんですか」
「あんな伝言?」
「君には呆れた、と」
 それを聞いて上條はああ、とつまらなそうな顔をした。
「君が相変らず自虐的な行為に出ていたので嘲笑ってやったんだ。言っておくがこれは君個人を軽蔑していたという意味ではない」
 新見はゆっくりと顔を上げた。上條に向けられる瞳が少し赤くなっていた。
「分からんのかね。君はいい意味でも悪い意味でも目立つということだよ。私は君が男好きだろうが構わないがね、世間というのはそういうゴシップネタが大好きなものだ。それが好意から出るものならまだいいが、妬みや不の感情が絡むと、話がややこしくなってくる。ところが君は私の心中も知らずに、私と手を握ったり、わざわざ職場で男と会ったりしている。己の首を絞めているとしか思えんよ。私はね、君の成績がどういう経路を辿ってきているかは興味はない。容姿で釣った?男と寝た?大いに結構じゃないか。それは君の武器であり、戦略だ。しかし上司として、それが事実なのか噂なのかの真偽眼というのは重要だ。もし君が不利な地位になった時、私は守ってやれるものなのか否か、それを判断する為に、いちいち揶揄した言葉を使っていたわけだ。他の奴がどう思っているかは知らんがね、私は君を軽蔑したりしたことは一度もない」
 新見は上條の言葉に驚いて、ただただ絶句していた。
「私が今朝方、君を怒鳴ったのは、いつもはノラリクラリと言い訳する男が何も言ってこなかったからだよ。嘘だろうが真だろうが煙に巻くことができぬのならこの先やっていけないからな。
どんなことでも堂々としていろ、嘯きながら考えろ。わざわざ己を窮地に立たすような真似をするな、ずる賢く生きろ。これが私が君に言いたいことだ。いつもの君ならこんなことを言う必要はなかったはずだがね。今回はどうやら思わぬ隙ができたようだ」
 そこまで言って上條は廊下で会った大男を思い出した。隙を作ったのは奴が現れたせいだと思い、舌打ちする。
「君は彼のことになると、どうも隙が出来やすいようだ。ネクタイのことも然り、昨日のことも」
「違いますよ」
 新見は咄嗟に否定した。目の前の上條は納得できないようだったが、新見は己を理解していた。あの混乱を隙と言うなら、伊勢崎は切っ掛けに過ぎない。
「私があんなに取り乱したのは、見られたのが課長だったからですよ。他の誰に見られてもよかったが、あなたには見られたくなかった。きっと真実を見抜いて、私を軽蔑して、侮蔑して、はずかしめられる、そう思ったもので」
「私が悪戯に君をあおってか?」
「ええ」
「では私にも罪はあるな。他意はないにせよ、誤解させた」
 上條は素直に詫びた。その言葉に新見は片眉を上げた。言い方が妙だと思った。本当に他意がなければそんな言葉は出てこない。
 新見は上條の本音に気づいて意味深に笑う。
「なにを笑ってる?」
「いえ、何にも」
「気になるな。君のにやにや笑いはよからぬ事を考えているからに違いない」
「ふふ、やっぱり鋭い」
 新見はそう言うなり、上條の唇にキスをした。瞳をあわせたまま。
「き、き、君って奴は!」
 上條は目を丸くして新見の肩を突き飛ばす。「何を考えてるんだ」
「さあ?」
「さァ?ふざけるな、私はそんな趣味はない」
 上條が感情的に怒るのを見て新見はまた笑った。「ねえ課長、課長って子供の頃、好きな子を泣かせてたタイプでしょう?」
 上條は怒りとは違う意味で顔に血を昇らせた。なぜバレたのだろうと自問自答しても無駄なのは分っていた。こうなってしまっては新見のペースである。彼は無邪気な顔で身体を寄せてきた。以前会議室で見た、媚びたような表情ではなく、子供のような仕草で擦り寄ってくる。しかし腕に触れる指先は十分に艶かしく。
「私は浮気はしない」
 低いそんな声に新見はうっすら笑った。
「分かってます。でもキスだけならいいでしょう?」
「キスは浮気じゃないのか?」
「さあ。私は女じゃないので、課長の奥さんの考えることは分からない」
 上條は苦笑する。そして本能にしたがった。都合のいいことに、ここは誰も見てはいない。
「そうだな、私も分からないよ」
 上條は新見の頬に両手で触れると、一気に唇を塞いだ。全身の血が沸騰するようだった。いつも眺めていたそれに触れる喜びが上條の全身を貫いた。段々夢中になり、唇から頬にキスをずらし、首筋に吸い付いたところで、やんわりと新見が上條の肩を押す。
「駄目ですよ、それ以上」
 はっとして上條は身体を離した。頭に昇っていた血が一気に引く。目の前の新見は妖艶に笑う。涎で滑って赤くなった唇。
「君は、淫乱だな」
 上條が口元を歪めて言うと、新見は事も無げに「ええ」と頷いた。
「軽蔑、しないんでしょう?」
 そんなからかうような笑顔に上條は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「私はしないが他の奴は分からん。こんなこと」
「もちろん」と新見は頷く。「会社では課長だけですよ」
 上條はその言葉に安堵している己に戸惑った。「そ、そうか」と慌てて言って、新見と距離をとった。急に罪悪感が押し寄せてくる。妻のこと、子供のこと。
「こんなこと、もうしない」
 心理的に押しつぶされそうになって上條はそう呟く。
「どうして?」
「どうしてって、」と上條は言って絶句した。
「課長は私を慰めてくれただけです。ね?だからまたしましょう?」
「君って奴は本当に性悪だな」
「ええ。これからは巧く立ち回れそうです」
 新見は自信に満ちた顔でそう微笑むと、誘うように唇を濡らしたのだった。

続?

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