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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。

11.突然の心変わり

11-1/2

 それはある一室にて密やかに行われた。
 メンバーは三人。料理担当一人、パシリ担当一人。
 メンバーの代表格がぐるりと周りの顔を見渡し高らかに宣言した。
「第五回、源氏の君妄想会を開催いたします」
 わーと拍手が鳴る中、テーブルの周りに座る女性三人の傍らで、出来立てのスパゲティの皿を持った男が、堪り兼ねたように眉間に皺を寄せた。
「人の家に押しかけた上に、なんですかその妙な会は?」
「あら、ユリカちゃんに聞いてないの。駄目じゃないの」
 赤い縁の眼鏡を掛けた女性が、左隣の胸の大きい童顔の女性を見る。彼女は「えーだってぇ」と甘ったるい声を上げた。
「本当のこと言ったら溝口くん絶対OKしてくれないと思ったからぁ。先輩、彼の作るスパゲティ、超サイコーなんですよ。絶対食べて欲しくて」
 そう言うが早く、ユリカは溝口の手からスパゲティの皿を奪い、テーブルの上に置く。大皿の中には刻みのりが上にのったタラコスパゲティ。
「あら本当に美味しそうね」と言ったのは赤縁の眼鏡の女性。
「タラコスパってチョイスがいいわね。でも私今日はトマトベースな気分なのよ。何か出してよ、溝口くん」
 そう冷たく言って煙草を咥えたのは短髪の美人。
「坂下さん。んなこと言われてもトマトがないっす。いきなりきてワガママ言わないで下さい」
「チッ、使えないわね」
 散々な言われような溝口は「はぁ」とため息を付くと、先程から出入り口付近に突っ立っている男を見た。「で、おたくは何なの?」
 ワンフロアしかない部屋で、玄関口に突っ立つ男は大男で縦にも横にも重圧感があるのに、気が弱いのか身体を丸めて申し訳なさそうにこちらを見ている。
「あ、それは山川くんよ。経理の新人。山川くん、こちら溝口くん。企画課の係長」
 眼鏡を掛けた女性、菅野がスパゲティに手をつけながらおざなりに互いを紹介した。溝口はそんな姿を呆れながら見つつ、山川に挨拶する。
「どうも。お宅も大変だね。ま、座ってよ。こっちの椅子は女性陣に奪われてるんでソファーにでも」
「あ、どうもすみません」
 山川は溝口と呼ばれた垂れ目の優男に言われるままソファーに腰掛ける。そして二人ならんでスパゲティを食べる女性陣の姿を眺めた。
 一人は経理の主任である菅野、もう一人は総務課の坂東ユリカ、最後が秘書課主任の坂下。実は溝口はこの三人が苦手だった。実家の姉達に負けず劣らずの傍若無人ぶりで、今も昔も好き勝手されている。
 それを彼女ら三人に言わせれば「やーだ、愛されてる証拠じゃない」と言うことらしい。溝口は全く納得できなかったが。
「で、今回は何の用でここにいるんですか。まさか俺のスパゲティ目当てじゃないでしょう。さっき妙な事言ってたし」
 そう、源氏の君妄想会とか、何とか。
「源氏の君っていうのは誰のことだか分かるでしょ?」
 菅野がスパゲティのフォークを置いて溝口を振り返った。「色男って言ったら、うちの会社で一人しかいないじゃない」
「まさか、新見のことですか」
 溝口は咄嗟に彼の顔を思い出した。隣の部署の営業で、ほとんどいない色男だ。正直たまにしか会わないが、あのインパクトは一度で十分である。
「そそ。鋭いじゃない。で、その彼を肴に盛り上がる会よ」
「は?」
「だからぁ、最近噂になってるじゃない?課長と彼、できてるって」
 嬉しそうな顔で言うユリカを見ながら溝口は開いた口が塞がらなかった。確かにちらりと聞いたことがあるが、男同士でまさかそんな。
「甘い甘い」と坂下。
「この前来た融資先のお偉方の接待で彼が一緒に行っているのよ。しかも使ったのは松野屋」
「松野屋ぁ?」
「そ。怪しいでしょ?しかも会社に帰ってきたタクシーに彼だけ乗ってなかったのよ。つまり融資先の男の人と二人きり。これは本物よ。翌日の彼の憂いに満ちた顔ったら!」
「きゃー坂下ちゃん、いつ見たのよ!」
「朝よ、朝。ちょっと気だるそうな顔で、翌日出勤してきてね。廊下ですれ違ったの」
「うそぉ。超見たかったぁ」
 溝口は唖然とした。確かに松野屋は高級料亭で接待によく使われるが、平の社員が同行したことなど聞いたことがない。
 もしかして、と溝口も思ってしまう。
「でもその接待の前にね、仲良く手を繋いで課長と昼食食べに行ってるのよ。しかも彼の顔には叩かれたような赤い痕が!」
「何、セッカン?」
 なぜか嬉しそうな菅野。
「いや、私が思うに、自分の恋人を已む無く接待に利用することになって、言い争いになり、『俺のこと嫌いだからそんなことさせるんだ』
『バカ、俺だってお前を放したくないんだ、しかし仕事なんだ、どうして分からないんだ!』とかなんとか!」
「それで雨降って地固まるってやつで。いやぁだ、じゃああの会議室で二人で・・・」
「いやーそれ以上言っちゃ駄目よ」
 溝口は盛り上がる三人を呆れながら見る。そういえばその日に新見のネクタイを上條が直していたっけ。
「なに、なに?新情報!」
 思わず付いた独り言に、三人は食いついた。
 溝口はやれやれと思いながらも言う。
「確かその会議があった日だと思うんだけど、あいつ課長に呼ばれて。あ、またお小言か?なんて人事のように思ってたんだけど、様子が変なんすよ。こそこそ何か言い合っていたと思ったら、いきなり課長が新見のネクタイ解き出して」
「いやーっ、何それ」
 凄い食いつき方だ。三人とも目を輝かして身悶えている。
「で、新見も嫌がらないで自分から襟を上げたりして。普通ああいうことやらないよなーとかその時不思議に思ってたんだけど」
「これは決まりね、決まり」
「え、決まりなの?」と溝口。「あの課長、相当お堅いって有名だし、愛妻家だって」
「バカね、だから二人は惹きあうのよ」
 菅野が言う。「妻も子もいるのに、彼に惹かれていく課長。駄目だ駄目だと思っていると余計に愛しくなり、ついつい目立つ行動を」
「抑圧された愛ってやつですね」とユリカ。
「そして障害が多いほど盛り上がる」
 坂下はそう言って意味深に笑った。煙草の火を灰皿でもみ消す。
「障害って何よ。例の新見くんの彼女のこと?」
 菅野が噂になっている美人の彼女のことを持ち出すと、坂下は「チッチッチッ」と指を揺らした。「実はおととい、見たのよ」
「見たって何を」
 身を乗り出す菅野とユリカ。思わず溝口もテーブルに近づいて耳を寄せる。
「会社にモデルばりのいい男が来て、帰宅しようとした新見くんの腰にさり気なく手を!」
「えーっ、マジ?」
「マジよ、マジ。あのさり気なさは絶対普通の関係じゃないわよ。もう慣れてる感じだったもの。新見くんも満更でもなさそうだったし」
「え、そん時課長ってどこにいたんすか?」
 溝口も気になって会話に参加する。
「課長の姿は見えなかったなぁ。あの日確か珍しく何の会議もない日だったし、久しぶりに早く帰ったんじゃないかしら」と坂下は考えながら言う。そして、また身を乗り出すと、「実はまだ続きがあるのよ」と口にした。
 二人プラス男一人は興奮して顔を寄せる。
「私、実は忘れ物に気づいて一回部署に戻ったんだけど、なんと、エレベーターを待ってたら、下に下りたはずの二人がまた乗ってたの!」
「は?」と溝口。「なんで?」
「分からないわよ。分からないけど、なんか熱っぽい目でアイコンタクトして降りてきたと思ったら、どこに行ったと思う?」
「どこよ、どこ?」と菅野とユリカは鼻の穴を膨らませた。
「なんと、資料室に入っていったのよ!」
「きゃーっ、やだーっ」
 二人は顔を真っ赤にして悶絶した。思わず溝口も赤くなる。
「まさかそれで終わりじゃないでしょうね?」
と菅野が坂下に詰め寄ると、坂下は煙草に火をつけて「当たり前じゃない」と言った。
「こっそりとドアノブを回したらやっぱり鍵が掛かってて、まさか、と思って耳をつけて中の様子を聞こうと思ったの」
「で?」と再度詰め寄った三人だったが、坂下はつまらなそうに、紫煙を吐いた。
「ぜーんぜん。ドアが厚くてちっとも聞こえなかったわよ。ずっとそんなことをしてたら私の方が怪しまれるから、さっさと帰ったわ」
「なーんだ」と三人は顔を引いて椅子に座りなおした。溝口もテーブル側で腕を組む。
「やっぱり考えすぎっすよ。きっとそいつ業者かなんかで」
「何いってんのよ、業者だったら何で営業の新見くんが資料室に行くのよ。搬入にしたって彼の仕事じゃないでしょ?」
 鋭い菅野の突っ込みに、溝口は口を噤む。
「第一そんな格好の男じゃなかったわよ。ブランドもののスーツを着こなしていて、足が長いのよ、とにかく。で髪は明らかにセットしたてで、お前の為に格好を整えたぜって意気込みがこうヒシヒシと伝わるっていうか!」
「あ、ちょっとユリカ鼻血!何興奮してんのよ」
 菅野がティッシュをとって慌ててユリカの鼻先を押さえた。
「どうもすみませぇん」
「全くもう。それより溝口くんは他に情報ないの?一番新見くんを観察できるところにいるのに」
 そう言われて溝口は記憶を探った。正直自分も仕事をしているので相手を見る暇などない。新見自身もほとんど営業に出ていて、帰社するのは日が落ちてからがほとんどだ。
「そう言われてもないっすね。あいつ顔がいいからチャラチャラしてるのかと思ったらそうでもないし。あ、そういえば見たことあります?あいつデスクワークの時って、こーんな風に目が釣り上がってるんですよ」
 しかし女性陣は白けたように首を振る。
「そんなわけないわよぉ。私がお茶を入れたときとか、優しい笑顔で『ありがとうございます、いつもすみません』って」
「そうよ。私が領収書の回収頼んでも凄い低姿勢ですぐに出してくれるし、数字には間違いはないし」
「秘書課の子達に聞いてもそんな顔してるって聞いたことないわよ」
「え、でも俺見たし」と溝口は小さい声でぼそぼそ言った。女性陣とは違って、溝口のイメージとしては、新見は比較的男くさいと思う。営業らしく清潔で背筋が伸びた細身の身体はしなやかだが、ぴんと一本芯が通っている。企画課に対しての質問にしても、痛いところをついてくる。しかも営業成績はトップだと聞いている。愛想だけで成績が上がるほど営業は生易しくないはずだ。
「ちょっと溝口くーん、顔が仕事モードになってるわよ」
 おーい、と菅野に声を掛けられ、はっとする。
「あれ、俺マジな顔してました?」
「してた、してた。ホレるから止めなさいよ、その顔」
 坂下は三本目の煙草を灰皿で消した。
 ホレるから止めろって、絶対男扱いしてないよな、と溝口は苦笑いする。
「他にはないの?他には?」
 坂下が新しい煙草を指でぷらぷら振りながら溝口に尋ねる。
「他ねぇ」と溝口は頭を掻いた。きっとこのメンバーは色っぽい話を希望と思うが、正直営業課を見る限りそんな要素はないように思う。新見が課長の側に行く時は大抵お小言を貰う為だし、あまり仲良く喋っている印象はない。
 そこで今日のことを思い出す。今日はお小言ではなく完全に怒鳴られていた。一体どうしたんだ?と珍しい出来事に聞き耳を立てているところに上條に睨まれて、とばっちりを食らった気分になったものだ。
 そんなことを愚痴代わりに溝口が零すと、三人は目を輝かせた。
「ちょっと、本当にここで待ってろってメモを渡してたの?」
「ええ、まあ」
 三人はそれを聞いて意味深にお互いに目配せして頷いた。
「なんなんすか」と溝口が首を傾げると、代表して菅野が言った。
「その店はずばり『しおさい』ね」
「え、なんで分かるんすか」
「課長はいつも最終の電車で帰ることが多くて、部下と飲み歩いたりはしないのよ。その課長が知ってる店なんて昼食で利用している所に決まってる!」
「さらに言うなら」とユリカは鼻を押さえていたティッシュを捨てて付け加える。
「あそこは昼は定食を扱ってるけど、夜はアルコールも扱ってて、閉店は夜十二時半」
 坂下は部屋の時計を見て、煙草に火をつけた。
「今は十一時。もしかしたら、もしかするかもよ」
 溝口は嫌な予感がした。
「まさかその店行こうってんじゃないでしょうね?」
「当たり前じゃない」と三人。
「ま、待ってください。だいたいその店に本当に課長と新見がいるかどうかも分からんのに行くんですか?こんな時間に」
「そうよ、ほらさっさと支度して」
 三人は言うが早く自分達のバッグを持って玄関に向う。溝口は唖然としながら、エプロンを取るとその後を追っかける。ソファーに座っていた山川も慌てて腰をあげた。
「ほら山川くん車出してよ。私たち皆電車なんだから。あ、ついでに帰りも送ってね」
 菅野は振り向き様に山川に言うと、さっさとドアの向こうに消えてしまった。溝口は不憫になって山川に「お前も大変ね」と言うと、彼は諦めたように「もう慣れました」と呟いた。
 お互いにため息を付いて三人の後を追いかける為靴を履き、勢いよくドアを開けたのだった。

 その店は会社近くのホテルの地下で、駐車場は有料だった。四人はホテル前で車から降りると、山川に留守番をさせた。
「え、マジに行くんですか?」
 溝口が腕時計を見ながら聞く。もう十二時を回っていた。
「行くに決まってるでしょ?これで引き返したら、わざわざ送ってくれた山川くんがかわいそうでしょう?」と坂下。
 いや、山川はそれ以前にかわいそうな扱いだが、と溝口が苦笑すると、菅野に背中を叩かれた。「うだうだ言わない」
「分かりましたよ。で、店に入ってどうするんすか?きっとラストオーダーももう終わってますよ」
 大抵閉店三十分前にはラストオーダーは過ぎている。店に入れるとは思えなかった。
「大丈夫よ。知り合いがいるかも〜とか言って店内の様子さえ探れれば」
「ずいぶん大雑把な作戦っすね」
「いなくて当たり前、いてラッキーぐらい思わなきゃ駄目よぉ」
 ユリカのその台詞に、やっぱりね、と溝口は脱力した。要するに三人とも暇で、それに付き合っているお人よしが己と山川なのだな、と自分の立場にため息を付いた。
 階段を四人で下りて、暖簾がなくなっている引き戸に手を掛けると、店内の明かりが広がった。
 突然の四人の登場に、テーブルを拭いていた女将が気づく。
「あら、すみません。もうおしまいなんですよ」
「あ、そうでしたか。それは参ったなぁ」と溝口は下手糞な演技をしながら頭を掻く。掻きながら視線は店内を見回す。客はほとんどいない。酔っ払いの男がカウンターで酒を飲み、帰り支度をしている夫婦らしい客だけ。
 はずれだな、と思いながら「失礼しました」と溝口が踵を返そうとした時に、後ろにいた女性陣が背中を小突いた。
「なんですか、もう」と後ろを見ると、三人は口を開けて何かを眺めていた。
 溝口が視線を戻すと、奥の座敷が開いて、目的である男二人が見えた。ほろ酔い加減で黒いスーツの男が靴を履き、後ろからは見間違えるはずのない美形。
「ちょっと、マジよ。マジでいたわ、どうしよう」
「やばいわよ、逃げましょ」
「そうね。逃げましょ」
 え?と溝口が慌てて振り返ると、あっと言う間に三人は出口から飛び出して消えてしまっていた。
「ちょっと、置いて行かないでくださいっ」
 そう誰もいなくなった空間に悲鳴を上げたところで、聞きなれた声が掛かった。
「おい、君はそこで何やってる?」

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