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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。

11.突然の心変わり

11-2/2

 ゆっくり振り返ると、レジで支払いをしながら上條がこちらを睨みつけていた。
「あー、いやー、そのぉ」
 咄嗟に言葉が出てこず溝口が顔を引きつらせていると、上條は鼻で笑った。
「噂を聞きつけてここに来たのか?ご苦労なこったな」
 いつも聞いている皮肉めいた台詞は、プライベートで聞くとより冷たく響いた。上條は会計を済ませて内ポケットに財布を仕舞うと、改めて溝口と向き合う。
「もしかして、君があのくだらない噂を流している張本人なのかね?」
「違いますよ」
 溝口は眉間に皺を寄せて否定した。
「じゃあさっさと逃げたあの三人組だな?全くヒマな奴らだ」
「彼女達は噂を流すような人たちじゃありません」
 咄嗟にそう弁解したが、頭の芯では少し不安だった。それが表情に出たのか、上條は口元を歪めた。
「ふん、まぁいい。女の口に戸は掛けられんからな。但し、度を越えるなと言っておきたまえ。ただでさえこちらは彼の昇進話をお蔵入りにされて気分が悪いんだ」
 その言葉に後ろに控えていた新見の目が微かに丸くなった。初めて聞くことらしい。
 どうやら口が滑ったということに本人は気づかず、話は続く。
「悪いことは言わんから彼女らと付き合うのはほどほどにしておけ。女性と言うのは一のことを十にして話す癖があるが、引き際は巧い。男は往々にして引き際を間違える。痛い目を見るのは君だ」
 今の状況では反論もできず溝口は黙っていた。そんな肩をぽんと上條に叩かれる。
「よく覚えておくことだ」
 二人は溝口の横をすり抜けていく。新見は少しだけ視線を合わせて目礼をした。アルコールで頬は染まっていたが、瞳は揺らがず落ち着いていた。
 バツが悪くて溝口はしばらく店内に突っ立っていた。レジ前にいた女将も溝口に声を掛けるのを遠慮していた。ようやく彼が我に返ったのは、入口で呼びかける女性の声でだった。
「ごめんね、溝口くん」
 さすがに反省したような顔の三人が雁首そろえて戸口にいた。
「いや、いいっす」と溝口はぎこちなく笑顔を返すと、少し躊躇った後に聞いた。
「あの噂って、菅野さんたちが流してるんですか?」
「ちょっと、私たちは内輪で楽しんでいるだけで噂を流すような女じゃないわよ。馬鹿にしないで頂戴」
 三人はそう不機嫌そうに唇を尖らせた。
 自分が言った事は正しかったか、と溝口は苦笑した。この話題はきっと終わるのに時間が掛かるような気がしていた。まさか昇進にまで影響が出るほど大きな噂になっているとは。
 溝口は先程の上條とのやり取りを女性たちには伝えなかった。噂がこれ以上広がるのはよくないと思ったし、何より、上條の後ろで控えめに立っていた新見が不自然に感じて仕方がなかったせいだった。

 店を辞した二人は駅までの道を歩いていた。店を出た時、路上駐車された車の中に山川がいたことに新見は気づき、それとなく視線を交わした。彼はおろおろと落ち着きなく視線を動かしたが、最終的には諦めたように会釈を返した。
きっとあの女性陣に言われてドライバーをやらされたに違いないと思った。上條は気づいていないようだった。
 互いの終電の時間が迫っていたので、やや早足気味の上條を追いかけていた新見だったが、先程の溝口とのやり取りが気になって背中に声を掛ける。
「なんだ?」
「先程、私の昇進とおっしゃってましたが」
「そうだな」
「いつそんな話が?」
 上條は少し歩調を緩めて新見の横に立つ。そして自嘲した。「消えかけている話が聞きたいのか?」
「少なくとも興味はあります」
「なるほどな」
 上條は少し思案して口を開いた。今日の日中に噂の話を聞いたこと、かなり前に申請をあげていた昇進話がなくなったこと。今日、店に来るのに遅れたのは常務に再度嘆願していたせいだったこと。
「なくなりかけているとはいえ、噂がおさまれば話は進むかもしれない。出世したければ鎮火してみせろ」
「命令ですか?」
 新見が真面目な口調で問い、上條は「そうだ」とはっきり言った。
「私は君の業績を評価している。色々な噂が足を引っ張っていると苦言したのは、こういうことがあったせいだ。君には期待しているんだ。さっさと昇進して私を楽にしてくれ」
 新見は愚痴が混じったその台詞に微笑んだ。
そして隣に歩く上條の横顔を見る。
「そんな顔で見たって私はもう何もせんぞ」
 冷たくそう言われて新見は苦笑した。「それは残念」
 また上條が歩調を速め、新見はまた追いかける形になった。酔った頬にあたる風が気持ちがいい。だいぶ気温も下がっている。ようやく駅の姿が見えてきた時に、ぽつりと頬に雨が当たった。朝から曇りがかっていたが、とうとう降り出したらしい。二人は走り、駅に飛び込んだが、短い距離だったというのにすっかりずぶ濡れになってしまった。
「参りましたね」
「そうだな」とお互い苦笑いをかわして改札を通る。互いのホームに分かれる際、上條が突然新見の手をとった。ゆっくりと手を引かれて連れて行かれたのは、キオスクの影。
 上條はそっと新見の額に張り付いた髪を直した。新見は少し照れ臭かったが、じっとされるがままになっていた。ふいに上條の手が止まったので視線を上げると、影のある上條の瞳にぶつかった。優しい手の動きとその表情の差に新見はギクリと身を固くした。
「君は小さい頃何かあったんじゃないか?」
 思っても見なかった台詞に新見は目を丸くした。どんと心臓を叩かれたような衝撃だった。頭に浮かぶ影を無視しようと微笑んだが、巧くできず、泣き笑いのような顔になった。
「なんでそんなこと言うんですか?」
 上條は目を細めると、それ以上何も言わなかった。彼が乗るべき最終電車が到着する旨がアナウスで流れると、無言のままそちらに足を向けた。新見はそんな後姿に小さく呟く。
「あなたは本当に一言多い」
 過去自分に向けられた蔑んだ視線を思い出した。怒鳴られた声を思い出した。叩かれたことを思い出した。
 彼と離れて何年も経つが、きっと昔と変わらないだろうことは想像できる。今も己を軽蔑し、卑しい人間だと思っているに違いない。
「ひどいですよ課長。私を軽蔑しないって言ってくれた口で、こんなことを思い出させるなんて」
 新見は一人そう呟くと、自分の行くべきホームへ足を向けた。そして轟音と共にホームに着いた電車に静かに乗り込んだのだった。

了?

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