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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。
「酔いっていうのは本当に一瞬にして冷めるものなんですね」
溝口に頭を撫でられている新見はそうため息混じりに言った。さっきまで熱かった身体と頭がまるで冷や水を掛けられたよう。
「だから悪かったって。俺昔から加呼吸で倒れたり、呼吸器系のトラブルあるんだ。クセみたいなものだよ」
「クセで倒れられたらたまったものじゃありませんよ」
「ごめんて」
最後にぽんぽんと二回ほど頭を小突かれて、新見の顔を溝口は覗き込んでくる。その瞳は落ち着いていて、あの時乱れた熱も、倒れたときの困惑した色もなかった。
「本当にもう大丈夫ですか?」
新見がそっと溝口の頬に手を添えると、途端に覗き込んでいた頬が朱に染まった。
「お前、ホントずるいのな」
「なにが?」
「魅力的」
小さく笑って溝口は頬に添えられた指にキスをする。その行為に今度は新見が赤くなった。
「あ、いい反応」
溝口が言うと、新見は照れたように顔をそむけた。そして小さな声でぼそり。
「ヤだな遊び慣れてる人って」
得意げに笑った溝口を見て新見は苦笑した。否定する気もないらしい。
「お前だってそうだろ?」
「僕は違いますよ」
急に自分も引き合いに出されて新見は困惑する。遊び人という程、手当り次第に関係を結んでいる意識はない。
「へぇ。自分のこと僕っていうの」
かぁっと新見の顔を赤くしたのは羞恥。何だか馬鹿にされているようで、服装を整えて立ち上がった。
「係長は私をからかってるんですか」
「はは、怒るなよ。僕の方がいいよ。お前らしい」
「私は、私の方が似合ってると言われますよ」
溝口はそんな顔を下から見上げた。新見は会社で見るような悠然とした表情をしていた。美しいが壁のある、
「そいつらはお前のことを知らないんだよ」
「え?」と新見が眉を寄せると、溝口は立ち上がる。
「俺は楽しそうにメシの話をしてたお前の方が好きだな」
また、新見の顔が赤くなった。羞恥じゃなく今度は明らかに照れからきたもので、溝口はそんな彼を新鮮な気持ちで眺めた。しかしあえてそのことを追求するのをやめた。
「シャワーでも浴びてきたら?」
急に話題を変えられて新見は言葉を失った。そして苦々しく顔を歪める。完全にからかわれている。文句の一つでも言おうと思ったところで溝口が畳み掛けた。「タオル出しとくよ」
「はぁーい、分かりましたぁ」
降参したように返事をして新見はユニットバスのドアを開けた。振り返ると、目が合った溝口がヒラヒラと笑顔で手を振ってくる。その余裕のある顔が面白くないったら。
「一緒にどうかな、ハニー?」
「遠慮しとくよ、ダーリン」
ノリのいい拒絶に新見は思わず苦笑い。どうにも敵わないらしい。大人しく扉を閉めることにした。服を脱いで熱いシャワーを浴びていると、思わず鼻歌が出た。この状況を楽しんでいる自分がいる。
すると。
「ずいぶん楽しそうだな」
「ひっ、いつからいたんですかっ」
思わず悲鳴を上げると「さっきからいたよ」と笑いを堪えた声が聞こえた。カーテンの隙間から覗くと、溝口は洗面台の上にバスタオルを置いているところだった。ジーンズを履いていたが、上半身は裸。口には咥え煙草。
「あっ、」
新見は短い悲鳴を上げた。
「ん?どうした?石鹸でも切れてたか?」
溝口が顔を上げた時、新見は素早くカーテンを開けた。もうもうとした湯気を切り裂き、溝口に顔を寄せる。
「煙草、邪魔」
新見は溝口が咥えていた煙草を取り上げると、素早くキスをする。顔を離し、びっくりして固まったままの溝口の唇に煙草を戻した。
「ごちそうさま」
唖然とした溝口に微笑んで、またカーテンを戻した。シャワーの音に混じって立ち去る溝口の声が聞こえたが、おそらく自分に対する文句か何かだろうと思った。新見は鼻歌を再開し、熱い湯を顔に浴びた。
不意打ちを喰らった溝口は逃げるように浴室から飛び出していた。
「ヤバい。ヤバいよ」と口から漏れる警告。ソファーに座って頭を抱えた。
「あいつ何なの、何者なの?」
湯気の向こうにいた新見は、シャワーを浴びて全身が濡れていた。手櫛で後ろに流した黒髪、爛々とした目つき。雄の匂い漂う色気があった。
「俺、ホモじゃないよ。女の子好きだもん。最近触ってないけど、巨乳のコとかさぁ」
全裸の女性を想像しようとしたが、どうも新見が割り込んでくる。シャワー室での姿に加えて、先程の行為自体を思い出す。背中に圧し掛かってくる重みと体温。初体験だった貫かれる感触。
「・・・すっげぇよかった」
めろめろになって一人で悶絶していると、目の前に影が掛かる。
「何やってるんですか?」
恐る恐る視線を上げると、自分と同じように上半身裸でズボンだけ履いた新見が立っていた。バスタオルで乱暴に頭を拭いている。
「お前、ずりぃよな」
そう言った溝口を見て新見は「ああ」と口元を歪めた。
「さっきのキスのことですか?お返しですよ、僕の事からかうから」
「違うよ」
「え?」
「お前って色んな顔を持ってるよな。女顔負けの色気で迫ってきたと思ったら、俺のことを喰っちまうし。俺はホモじゃないのに、お前に夢中だよ」
新見はそんな溝口の告白を聞いて少し驚いたようで、からかうように尋ねてきた。
「係長は、僕のどの顔が好きですか?」
「どの顔って」
その時溝口の頭に浮かんだ顔は、自分を襲った男のものでも、シャワー室で見た顔でもなく、楽しそうにベリーニの思い出を語ったあの笑顔。
「ガキみたいにメシの話をする顔、かな」
新見はそれを聞いて嬉しそうに微笑んだ。少年のような笑顔で。
「これからもメシ、誘ってくださいね」
「ああ、そうだな」
溝口の隣に新見が腰掛、先程のように肩に頭をのせてくる。彼の肩を溝口が軽く抱いて煙草を灰皿に押し付けた。
無言でキスを交わす。酔いに任せた欲望の混じったそれではなく、挨拶程度の軽いキス。
「何か、なし崩しにこんなことしてていいのかな俺たち」
目を開けて思い出したように溝口は弱音を吐いた。もうキスもセックスもしてしまっているのだが。
「今更、ですよ」
「だよなぁ」
はは、と笑いながら顔を離すと、目の前の新見の視線が斜め上に動いた。あまりにも不自然だったので視線の先を振り返ると、壁に掛かっている時計を見たようだった。もう十一時近い。
「なあ、今日泊まってったら?うちのベッドダブルだし」
溝口が言うと、目の前で新見が困ったような顔をした。
「断るなよ」
少し嫉妬心も芽生えた溝口は、そう言ってまた新見にキスをした。今度は欲望をのせて角度を深くすると、こちらを見ていた新見が目を閉じる。それを了承と捉えて溝口は彼をソファーに押し倒した。
「最近ご無沙汰だったから人肌が気持ちよくてたまんない。お前、風呂上りでいい匂いだし」
新見が溝口を見ると、自分に体重を乗せて首筋辺りに頬を寄せている。茶色のやや長い毛が肌を撫でてくすぐったい。
「まるで猫だ」
「にゃあお」
溝口は鳴き真似をして口元を歪めた。互いに見詰め合ってまた軽いキスをする。そして重なりあったまま、肌を触って、熱と感触を楽しむ。
新見が脇腹を撫でるように擦った時に、溝口はまた身体が熱くなるのを感じていた。
「おま、触り方やらしいよ」
「泊ってもいいんでしょう?」
にやりと笑った新見を見て溝口はその先を期待してしまう。顔を近づけて、新見の耳元でこっそりと言う。
「実はまだお前と繋がってる感触が」
「ここ?」
溝口の尻が新見に掴まれ、割れ目付近に指が当てられる。
「あ、」
布越しでも十分感じてしまって、溝口の腕に鳥肌が立った時に、耳を疑う音が部屋に響き渡った。
ピーンポーン。
びく、と溝口は身体を強張らせて新見と視線を合わせた。新見は落ち着いた表情で「出ないんですか?」と尋ねる。
溝口は壁の時計に眼をやった。十一時過ぎに来る訪問者などろくな者ではない。嫌な予感がして「無視しよう。無視」と引きつった顔で新見に告げる。
ぴぽ、ぴぽ、ぴぽ、ぴぽ、ぴんぽーん。
やかましいほどチャイムを連続して押されて、溝口が眩暈がした。嫌な予感を通り越して確信めいてくる。すると今度は乱暴にドアを叩く音がした。
「おーい、溝口ぃ。ふざけんな、早く開けろ!女三人野ざらしにしておく気かコラッ」
新見はその乱暴な台詞に苦笑した。この声は秘書課の坂下に違いなかった。独特のハスキーボイスは特徴がある。
「もう観念したら?」
「そうね」と溝口がうな垂れて言うと、跨いでいた新見から降りた。
「はいはーい、今開けますよ」
嫌々玄関に近寄ってノブに手を掛けたところで、ちょっと待て、と冷静になった。振り返ると、濡れ髪のまま上半身裸の新見が突っ立ってこちらを見ている。
「お前、ちょっと隣の部屋で隠れててくんない?」
「は?」新見は眉間に皺を寄せた。
「お前がいるってバレると絶対にネタにされる。面白がられる。話がややこしくなる」
今まで嫌な思い出でもあるのか溝口は複雑な顔色でそうまくし立てた。しかしその慌てようを見ながら新見はニヤリと笑って腕を組んだ。
「どぉーしようかなぁ」
「お前、自分だって好奇の目に晒されてんだろうが」
「僕ははっきり言って慣れてますから。第一、男同士なんだから部屋で食事してたって言えば何の疑問も思いませんよ。なに慌ててんですか」
「お前は知らないんだよ。あいつらはハイエナなんだ」
「ずいぶんな言い様ですね」と新見は呆れて笑った。そして溝口に近づくと、ドアノブに手を掛ける。
「ま、待てって」
「係長は、彼女たちを信じてるんでしょう、噂を広げるような人じゃないって。僕にも信じさせてくださいよ」
くるりとノブが回って溝口は観念した。ドアの向こうには、予想通り菅野、坂下、坂東の三人がいて、突然現れた新見に度肝を抜かれているようだった。
「ど、どうして?」と三人のうちの誰かがそう言い、新見が「食事を」と言いかけたところで遮られた。
「なんで裸なのっ」
「なんで髪が濡れてるのっ」
「どうして溝口くんの社会のマドが開いてるのっ」
えっ、と新見が振り返ると、確かに溝口の社会のマドが開いていた。
「やだァ、二人でナニやってたのっ」
三人のユニゾンが響いて新見は溝口の言わんとしていたことが理解できた。彼女たちは全く人の言葉を聞こうとしない。振り返ると、「だから言っただろ」とげんなりした溝口の顔があった。