※このページは郁カイリのホームページの一コンテンツです。
以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。

14.寂しい花火

14-2/2

「うわーうわー何食べてたのぉ。いいなー、いいなー」
 ずかずかと上がり込んだ女性三人のうち、坂東ユリカが目ざとく食事の跡が残った皿たちを見て喚く。煩そうに溝口は顔を歪めた。
「桃のカッペリーニですよ。ていうかこんな時間に何の用ですか」
「ご挨拶ねぇ。寂しい男の一人寝を邪魔しにきただけじゃないの。あ、でも逆にお邪魔だったかしら」
 坂下はそう言うと、意味深に新見に視線を向けた。彼が反射的ににっこり笑うと、薄く笑いを向けられる。
 新見は畏怖を覚えて視線をそらした。坂下とまともに顔を合わせたのはこれが初めてだが、何とも迫力がある。蛇のような色気と牙。
 一方、よく会う経理課の菅野は、新見の前に立つとしおらしく言った。
「ごめんなさいね、新見くん。でも良かったわ、あなたの貞操が守れて」
「は?」
「こんな軽薄な男にヤられなくて本当に良かった。あなたの本命は課長だものね」
 な、なにを?と新見が絶句していると、「ちょっとぉ」と坂下が割り込んだ。
「彼にはイイ男がいるって言ったでしょ。資料室に一緒に入ったカレよ!」
「でもでも、溝口くんとの色男二人のショットもいいですよぉ。王道の萌えって感じで」とユリカが割り込んできて、絶句している新見と溝口をソファーに座らせた。
 上半身裸の二人が寄り合って座る姿は確かに壮観ではある。
「アラ、いいわね」
「意外にこのカプもいけるかも」
「でしょでしょ」
 自分達を値踏みするように観察されて、溝口は悲鳴を上げた。
「ちょっと待てくださいって!」
「なによ」「なんなの」「うるさいわよ」
「そうじゃないでしょ。アンタたちの本性は俺は知ってますが、新見は初めてなんですから押さえてください」
「はァ?」「溝口のクセに」「アンタって何よ」
 三人と溝口は睨み合ったが、どう見ても女性陣に分がありそうだった。やれやれと呆れながら新見は自分の立場を理解した。これは悪ノリに付き合った方が勝ちだ。
 ゆっくりと溝口の肩に頭をのせて、三人ににっこりと笑い掛ける。「どうですか?」
 三人から黄色い悲鳴が上がった。
「いやぁっ、いいわ。分かってるわね、新見くんっ」
「カメラは勘弁してくださいね(はぁと)」
 急にシナを作り出した新見を呆然と溝口は見たが、容赦ない三人の命令が飛んだ。
「ちょっと溝口くん、あなたもボサっとしてないでポーズとりなさいよ」
「はぁっ?」溝口は唇を尖らした。「何で?」
「なんでじゃない!ほら、腕まわして」
 坂下がぐいっと溝口の腕を掴んで、強引に新見の肩を抱かせる。これでは先程までの再現ではないか、と溝口が内心慌てていると、新見が目配せをした。なんだろう、と首を傾げると、唇に人差し指が当てられる。
「黙ってて」
「・・・うん」と溝口が思わずコクンと頷くと、強烈な視線を感じてハッとする。三人を見ると顔を赤くして雁首をそろえていた。嫌な予感がしていると、菅野が恐る恐る尋ねてくる。
「ねぇ、もしかして、あなたたちって本物?」
 ぎくっとした溝口を尻目に、新見は悠然とした笑みを浮かべた。「もしそうならどうします?」
「どうって」と三人はお互い顔を見合わせた。そして言いにくそうに「からかうのやめるわ」と言った。その言葉は溝口にとっては意外で、思わず「なんで?」と聞いてしまう。
「だって、好き同士だったら失礼じゃないの、こういうことするのって。本人は真面目なんだろうし」
「意外にまともなんすね」と溝口が感心して言うと、坂下に頭を殴られる。
「恋愛って意外と弊害あるものなのよ。お手手繋いで仲良くって続かないもの。男同士なら尚更。偏見もあるだろうしね」
「アンタたちが言うなよ」と溝口が言うと、今度は蹴りが脛を打つ。
「私たちは応援してる方なのよ。ちょっと悪ふざけが過ぎたのは反省してるけど、そういう偏見はなくなるべきだと思ってるの」
 菅野のその台詞に坂下は煙草を咥えて火をつけた。
「私は反対」
 え、と菅野とユリカが彼女を見ると、坂下は紫煙を吐きながら言った。
「私、BLには興味あるけど、ゲイには興味ないのよ。大体、競争率激しいのにノンケまで持っていかれちゃ女の立場がないっていうか」
「あんた、それただの愚痴」と菅野は坂下を諌めた。「ユリカは?」
「え、わたし?わたしはねぇ。うーんごめん、あんま何も考えてない。男二人並んでたら、いっぱい妄想するけど、実際の出来事だと容量オーバーというか」
 はは、と意味なくユリカは笑った。
 気まずい空気が周りに漂った時、それを打ち破ったのは新見だった。彼はゆったりと笑って姿勢を正した。
「安心した」
「え」と三人は新見を見る。
「僕、もう帰りますね、係長」
 横にいる溝口に新見は声を掛けると、立ち上がってソファーの背に引っ掛けていたシャツに袖を通す。
「帰っちゃうの?」とユリカが残念そうに言い、新見は微笑みながら頷いた。
「ねぇ、不愉快になったなら謝るわ。だからこのバカの家で一緒に楽しみましょうよ」
「バカって誰のことっすか」
 溝口が坂下の暴言に文句を言う。
「ね、ね、私達お酒持ってきてるんだ。だから一緒に飲みましょうよ」
 菅野はコンビニの袋から何本かのアルコールの缶を見せた。
「どうしたんですか、その酒」
 溝口が覗き込むと、夏の花火大会の帰りに立ち寄ったのだと言う。
「花火大会なんてありましたっけ?」
「ほら、隣町の河川敷でやるアレよ。近くに飲み屋があるから結構飲んで帰る人が多いんだ。で、溝口くんの家が近いから寄ってみたってわけ。どうせ一人で寂しんでるだろうと思ってたんだけど」とちらりと菅野は新見に視線を走らせる。
「で、酒?」
「そそ。二次会ということで宅飲みをね」
「勝手に決めんで下さい」
 溝口が呆れながら突っ込んでいると、隣にいた新見はすっかり身支度を整えている。
「今日はご馳走さまでした。またご飯誘ってください」
「え、マジで帰るの?電車もうないんじゃないの?」
 溝口が思わず腕を掴んでそう聞くと、新見は優しくその手を外して微笑む。
「大丈夫ですよ。終電にはまだ時間があるし、皆さんと楽しんでください」
「ちょっと、」と溝口が食い下がり、新見の反対側の腕をユリカが掴んだ。
「帰っちゃイヤぁ」
「坂東さん、離して下さい」
 やんわりと新見が言うと、菅野が慌てて彼女を引き離した。「なにやってんのよ」
「だってぇ、私新見くんとまともに話したの初めてなんだもん。もっと話したいぃ」
「それは私だって同じよ。落ち着きなさいっ、コラ」
 菅野のユリカが言い争いになっているのを見て溝口が止めに入る。わあわあと騒がしい中、新見は玄関に向って靴を履いた。
「ねぇ」
 ふいに冷たい声を掛けられて新見が振り返ると、煙草をふかした坂下がそこにいた。
「なんですか?」
「あなた、本当に溝口くんと何もないの?」
 鋭く睨みつけてくる坂下の視線に新見は少し驚いたが、その真意を見抜いて悠然と答えた。
「なにもありませんよ」
「そう。だったら私にキスして」
「え?」と新見は眉を潜めた。
「ゲイじゃないんでしょ?証明して見せて」
「あなた、自分で何を言ってるのか分かってるんですか?」
 新見が尋ねると、坂下は不愉快そうな顔のままフンと鼻を鳴らした。
「いいじゃない、減るもんじゃないし。それともあな・・・ぅっ」
 新見は坂下が言い終わらないうちに唇を塞いだ。柔らかい唇を犯して、顔を離すと、彼女は真っ赤になっていた。
「な、な・・・」
 実際に何かされるとは思ってなかったのだろう。彼女は動揺した声を上げ、最終的には「こ、この女ったらし!」と悲鳴に似た怒号を上げた。 新見はその反応に口元を歪めた。彼の唇には坂下の口紅がついて色づいている。
「素直なあなたの方がかわいいですよ。僕と係長は何もありません。安心してください」
「え?」と真っ赤な顔のまま立ち尽くした坂下を置いて、新見はドアの外に出た。外の空気は生ぬるく、肌に絡んでくる。手の甲で乱暴に口紅をぬぐってマンションの階段を下りた。道路に出ると、花火見物の帰りだろうか。この時間にしては人通りがやけに多かった。
 楽しそうな人々の雑談に耳を傾けながら、新見は人ごみとは逆に歩みを進めた。終電までは時間がある。
 まだ少し残っているアルコールの所在を確かめるように歩いていると、人込みの中に頭一つ高い男を見つけた。
 まさか。と新見は思った。
 伊勢崎が女性と手を繋いで歩いていた。隣の女性は、どう見ても二十台前半で、浴衣を着て楽しそうに伊勢崎と雑談している。
 新見は思わず近くの高級マンションのエントランスに駆け込んだ。そして物陰に隠れてやり過ごす。
 一体何をやってるんだ、と新見は自嘲したが
それ以上に動揺している自分に驚いた。頭が真っ白で何も考えられなかった。
 しばらくエントランスの壁際で突っ立っていると、住人らしき影が近くにきた。不審者扱いされちゃかなわない、と新見が慌てて踵を返そうとすると、逃げたはずの相手が目の前に立っていた。
「よお」と伊勢崎の声が気軽に掛かる。
「ど、どうも」
 新見が辛うじて挨拶すると、彼はいつも通りの口調で続けた。
「これから帰るところだろ?一緒に歩かないか」
 こんな高級マンションのエントランスに突っ立っていた不自然な状況を伊勢崎は追求しようともしなかった。そのこと自体が新見には不気味で気持ちが悪かった。しかし、この彼の誘いを断れる状況ではなく。
「ええ、そうですね」と嵐のようにぐちゃぐちゃになった己の感情に困惑しながら新見は生返事をしたのだった。
 二人で駅に向って歩き出したが、たかが数分の距離であろう駅がずいぶん遠くに感じられた。新見の視線は無意識に靴先を眺める。隣の伊勢崎の顔が怖くて見ることができなかった。けれども胸の奥に巣くった感情を否定するわけにも行かず。
「お仕事中でしたか?」
 つい、聞いてしまった。
 しかし返事は新見の想像を超えて軽いもので、「見てたのか」と彼は呆気らかんと笑った。その態度はいつもの彼らしくもあり、そうでないようにも思えた。いや、いつもと違うのは己かと新見は混乱する。どうしたことだ、こう易々と笑われること自体が勘に触る。
「仕事のお相手って、中年の女性じゃありませんでしたっけ?」
「あ、そんなことも話したっけ。最近は若い子からの需要もあるんだ。紹介制だから誰かから話がいってるんだろ。商売上、断れないよ」
 新見は目の前がくらくらした。想像上では平気だったのに、目の当たりにするとなんて衝撃だ。あんな若い子と肉体関係を持っているのか?
「キスして、愛撫して、挿れて、金を貰う。それだけだから年なんて関係ないさ」
 伊勢崎の一つ一つの台詞に新見は憤慨したが、すぐに我に返って自嘲した。
 自分に嫉妬する権利などないではないか。
「お前は?」
「え?」
「髪が濡れてる」
 ふいに、頭を触られて新見は思わず顔を上げた。髪の毛を玩ぶように触れている伊勢崎の顔は優しげに微笑んでいたが、目は冷たかった。
 心臓を鷲づかみにされる。
「あなたには関係ない」
 怖くなって新見がそう突き放すと、伊勢崎は強引に感情を押し殺したようだった。しかし、数歩歩くたびに瓦解するらしく、その表情は歪んでいく。
「誰と寝た?」
 一際低い声で聞かれて新見は耳を疑った。こんなことを追求してくるような男ではなかったはずだ。
「だからあなたには」
「嫉妬ぐらいさせてくれ!」
 低い悲鳴が耳朶を叩く。強い力で肩をつかまれ向かい合わされる。正面で見る伊勢崎の顔は確かに嫉妬と呼ぶに相応しい顔をしていた。怒り、焦燥、混乱、悲しみ。
 なんと、無様な。
「ハ、はは」と新見は嘲笑した。
「何人もの女性を相手にしているあなたが言えた台詞ですか」
 無様な顔をしているのはきっと自分もそうだ、と新見は思う。嘲笑した相手は目の前の伊勢崎にではなく己自身にだった。
「俺のは仕事だ。ビジネスだよ。でもお前はなんだ、プライベートだろう?合意でヤってんだろうが。俺を誘ったみたいに、誰構わずここをなすり付けてんじゃないのか」
 ぐいと股間を握られて新見は羞恥以前に怒りが涌いた。
「伊勢崎さん、あんた往来で何やってるのか分かってんのか」
 その新見の言葉どおりに、周りの視線が集まっていた。夜中に騒ぐ険悪な二人を止めるべきか誰かを呼ぶべきか迷っている空気があった。
 伊勢崎は周りに少し目を向けると、どんと新見を突き飛ばした。そして疲れ果てたように言い放つ。
「君は一体何がしたいんだ?」
 ずき、と新見は胸に痛みを覚えて絶句した。
「私の感情はもう分かってるだろう。なのにこの仕打ちはなんだ?君は本気で考えてない。私が悩んだように君も悩め!数日でもいいから本気で私のこと考えてくれ!」
 誰だこの男は。新見は呆然とした。自分の知っている伊勢崎という男は、軽くていい加減で、一線おいた関係が心地よくて、こんな感情を露にする男ではなくて、
 いや。
 たかだか数日会っただけで分かった気になっていたのはだたの奢りか。
「どこに行くんですか?」
 言いたいことを言って踵を返した伊勢崎の背中に新見が声を掛けると、彼は振り返る。
「帰るんだよ」
「どうやって?」
 駅は反対だ。終電を逃すと帰れないではないか。
「車で帰る」
 新見は伊勢崎が車を持っていること自体に驚いた。あの周辺に駐車場などないから、どこかに預けていたことになる。そんな金があるならなぜあんな場所に住んでいるのだ。
「君には分からないさ」
 その台詞に新見は頭が真っ白になった。腹の底から溢れる怒り。
「あーあァ分かりませんね!あんたさっきから何サマだよ!あんたは僕のなんだっていうんだ!腹割って話してないのはお互い様だろう!僕ばかり責めて被害者面するのはやめてくれ!」
 自分の耳を疑うほどの大声が新見の口から飛び出て、キレるとというのはこういうことかと思った。矛先は、伊勢崎、自分、家族、会社、過去、未来、
 しんと静まり返った闇と人だかりさえ、新見にとっては腹立たしかった。

読了ありがとうございます!

もし作品を気に入って頂けましたら、下のWEB拍手にてご意見ご感想お待ちしております。

template by AZ store