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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。

15.散りゆく花々

15-1/2

「やっちゃった」
 畳の万年床に大男が背中を丸めてそこにいた。先程から何度も同じことを言っている。
「だから言ったんですよ。イセさんとあの人じゃ月とスッポンだって」
 川村は先程から不貞寝をしている伊勢崎の背中を見ながらため息をついた。
「そんなに後悔してるなら、さっさと謝っちゃえば?」
「なんで悪くない俺が謝らんとならんのだ」
「だって後悔してるんでしょ?」
「後悔してるのは、もう少し言い方があったんじゃないか、ということであって、言った内容については後悔してない」
「なんていったわけ?」
「そりゃあお前」と伊勢崎は口を開きかけたが何も続けずそのまま閉じた。
川村はハァとため息をついて目の前の大男を眺める。自分も会った事がある新見という男は線が細く、目鼻立ちが整っていた。体躯が真逆である伊勢崎が興味を向けるのも分からないでもない。しかし彼の頭の中の新見像は、若干感想が違う。伊勢崎には告げていなかったが、彼は前回耳元で囁かれた声が忘れられずにいる。
抱いてくれとおっしゃるなら考えないでもないですが。
 その美しく恐ろしい笑みは悪夢そのものである。目の前で伊勢崎がKOされるのを見たので尚更かもしれない。
 目の前でうじうじする伊勢崎を慰めるのもうんざりしてきたので川村が立ち上がろうとした時に玄関のドアをノックされた。誰だろうと川村がドアの方に視線を向けたが、家主である伊勢崎は動こうとしない。
「イセさん、誰か来たみたいですよ」
「あーそー」
「だから出なくていいんですか?」
「お前出て」
 ぼそりと伊勢崎に言われて川村はため息をついた。ゆっくりと立ち上がってドアに向う。相変らず蝶番が壊れているドアを少しずらして外を見ると、一人の男が立っていた。
「イセさん」と川村は振り返って伊勢崎に声を掛けた。伊勢崎が顔をドアの方へ目を向けると、川村の肩越しには想像もしていなかった人物が立っていた。
 伊勢崎はあまりの驚きに絶句してしまって、唯一その人物に出来たことは、お互いの境遇を察して苦笑しあうことだけだった。

 その日の新見は優秀だった。営業では新規開拓が成功してニ件の大型受注を取り付け、処々の書類も期限前に提出。終業時間を迎える頃には本日できる仕事は全てやり終えていた。ある意味出来過ぎていた。
 この日上條は休みであり、営業課の面々ものんびりした雰囲気で、誰もが終業時間を待ちわびるように机の上を整理している。
 新見の肩に手が乗ったのはその時で、彼が首を回すと溝口が立っていた。火の点いてない煙草を口に咥えている。
「まだ終わってないですよ」
「カタいこと言いっこなし」
 溝口は視線を上條が普段座っている方へ目を向けるとそう笑った。確かに普段こんなことをしてたら大目玉だ。
「のど渇かない?コーヒーおごるよ」
「そうやって喫煙所に誘ってるんですか?」
「そういうこと」
「まだですよ」と新見が苦笑いしたところで、時計の針が終業時間をさした。一斉に皆が立ち上がる。
「終わったよ」
「そのようですね」
 新見は笑うと、鞄を持ち席を立った。他の同僚に挨拶をして部署を出る。廊下で溝口と並んで歩いていると、驚くほど多くの社員が彼に声を掛けてきた。そのほとんどは軽口で親しげだ。
「人気者ですね」と思わず新見が感嘆すると、溝口本人は不思議そうに首を傾げた。
「それ嫉妬?」
 溝口は自動販売機でコーヒーを買うと、新見に手渡した。ありがとうございます、と礼を言いながら首を振る。「違いますよ」
「俺にはそう聞こえたけどなぁ」 
 揶揄するようにそう言い、溝口は咥えていた煙草に火をつけた。
 喫煙所はまだ誰もおらず静かなものだった。煙を吸う天井のファンの音と自動販売機のモーター音しか聞こえなかった。
 新見は缶コーヒーを手で玩びながらソファーに腰掛け、ぼそりという。
「係長は僕のことどう思ってるんですか?」
「なに急に」
「いえ、ああいうことを自分からしてしまってなんですが、どうなのかなって」
「お前は?」
「え」
「どうなりたいの俺と」
 新見が顔を上げると、立ったまま紫煙を燻らしている溝口と目が合った。
 君は一体何がしたいんだ?
 土曜日に言われた伊勢崎の言葉が脳裏をよぎる。あの時は疲れたような絶望したような表情で彼は言ったが、目の前の溝口の表情は明るく軽かった。こうやって聞いてくれれば素直に答えられたのに。
「もっと仲良くなりたいです」
 新見の口から出た言葉がそれで、溝口は少し驚いたようだったがすぐに笑顔になった。
「じゃあ、なろうか」
 仲良く、とはどういうことだろうかと新見は言ってから考えた。恋人のように別格として扱われたいのか。友人として親しくなりたいのか。
しかしどちらでもいいように思う。ストレスを感じずに楽しい相手といたいだけ。
「今日、係長の家に行ってもいいですか?」
 囁くように言った新見の台詞に溝口は顔を赤らめて小さく咳き込んだ。
「いいけど。前と違ってあまり立派なもの作れないからな」
「別に食事が目的で言ったわけじゃありませんよ」
 新見は苦笑すると、手で玩んでいたコーヒーのプルタブをようやく開けた。
 周りには仕事を終えた職員が集まってきた。溝口は新見の隣に腰を下ろすと、会話を交わすことなく煙草を吸い、新見はコーヒーを飲んだ。
会社でも有名な二人が並んで座っているのは壮観で、皆は見て見ぬ振りした。同時に二人が立ち上がった後、その場にいたものは顔を見合わせた。噂というものはいい加減なもので、新見が上條から溝口に乗り換えたと後日広まることになる。
 溝口の家は会社から電車で三十分というところだったが、車内は混雑していた。二人でつり革につかまって揺られていると、ふと新見は首を傾げる。
「どうした?」
 落ち着きがない新見に気づいて溝口が声を掛けると、彼は「ああ」と声を上げた。視線の先を追ってみると、派手な格好をした茶髪の青年が新見に挨拶をしていた。
「知り合い?」
 明らかに学生らしい青年と新見との接点が意外だったので溝口が尋ねると、新見は少し複雑そうな顔をしながら「ええまあ」と苦笑した。
 人込みを掻き分けながら青年は二人に近寄り、ようやくまともに顔が分かるところまで来た。茶色というより金髪に近い痛んだ髪。耳には大ぶり三連ピアス。派手だが安物の衣類。
「どうもお久しぶりです。覚えてます?川村なんすけど」
 新見の横のつり革に青年は両手で?まりながら頭を下げた。
「もちろんですよ。それよりどこか行かれるんですか?楽器ケースなんて背負って」
 子供のようにブラブラ身体を揺らす度に背中のケースも音をたてていたので新見は尋ねる。
「ああ、俺バンドやってんっすよ。これからライブなんです。ロック好きのバーのマスターが毎月店でライブをやるんで、たまに呼んでもらってるんです」
「へぇ」と新見は微笑んだ。「ギターですか?」
「ええ。ギターとボーカルです。人手がなくて」
 川村は笑いながら頭を掻いた。実は彼は少し上がっていた。数ヶ月ぶりに見る新見という男は記憶の存在よりも、より美しかった。満員電車の中で見つけられたのも偶然ではない。目を惹くオーラがあったからだった。それにしても、と川村は思う。やはり類は友を呼ぶというやつだろうか。新見の隣に立つサラリーマンも中々の優男である。しかも相当遊んでいると簡単に推測できそうな軟派な物腰だ。そんな風に川村が思っていると、男と目が合った。
「どーも」と軽い挨拶が返ってくる。川村が遠慮がちに会釈をすると、無粋な質問が飛んできた。
「ねぇね、新見とどこで知り合ったの?」
「係長」
 溝口の質問に新見が嗜めるように眉を寄せた。
「だって興味あるじゃん。バンド少年とお前の接点なんて想像できないし」
 溝口がからかうように新見と話しているのを聞いて川村は戸惑いながらも伊勢崎の名前を出した。元々彼の知り合いであることも。
「ふぅぅん。それってあれでしょ?結構体格のいい人で足の長い」
 溝口が形容した容姿は伊勢崎とぴったりだったので川村は素直に頷いたが、目の前の新見は少し浮かない顔をしていた。それは伊勢崎とケンカをしているからだ、と川村は勘違いしていたのでお節介だとは思いながらも口を開く。
「イセさん随分落ち込んでたんで、何が原因でケンカしてんのかは知らないんですけど、許してあげてもらえないすかね」
「え、」
 新見は川村の意外な言葉に絶句したが、すぐに顔を崩した。
「許すも何もケンカなんかしてませんよ」
「えぇっ、ホントですか?」
「ええ。あの人が勝手に右往左往しているだけなんです。なんなら後で電話を入れておきますから心配は無用ですよ。毎回ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんね」
 淀みなく言った新見に川村は胸を撫で下ろした。相手側が怒ってないなら伊勢崎の機嫌も直ることだろう。何日も慰め役をやらなくてすみそうである。
「あ、でもイセさんに電話って明日以降の方がいいですよ」
「え?」
「今あの人の昔の部下って言う人が来てて、なんか難しい話してるみたいなんです。俺も追い出されたんですよ。自分から呼んでおいて失礼な話で」
 新見は記憶を探ったが、伊勢崎の過去の職業については何も知らない。川村に詳しく聞こうとしたが、彼もすぐに家を出たから分からないと言う。
「部下っていう人は結構固い感じの人でしたよ。スーツ着てて、イセさんもいつもと喋り方が違ってキモいのなんの」
 電車のアナウンスが聞こえて電車にブレーキが掛かった。川村は身体を傾けながら窓の外をうかがう。
「あ、俺ここで降りるんで。ホントイセさんのこと宜しくお願いします、じゃ」
 自分の意志で降りるというより人込みに流されながら川村は下車していった。新見はその背中を見送っていたが、先程から頬に視線を感じている。隣を見ると、にやにや笑った溝口と目が合った。
「なんですか」
 嫌な予感がしてそう尋ねると、溝口は想像通りの台詞を吐いた。
「伊勢崎さんっていうんだ。お前の本命」
「本命かどうか分からないじゃないですか」
「分かるよ。前に職場に来たイイ男ってその人のことだろ?いい度胸してるよな、相手の職場にくるなんて」
 褒めているのか呆れているのか分からない口調だったので、新見は苦笑した。
「いい度胸もなにも、携帯が繋がらなくて心配して来られたんですよ。あの人」
「あ、そうなの。でもお前携帯なんて始終持ってるじゃないか。故障でもしてたのか?」
「いえ、前日の夜に電話に出れなくて、翌日は病院の営業に行っていたので電源を切っていただけなんですがね。以前にちょっとしたイザコザがあって逢えてなかったから不安になったんじゃないですか」
 新見はそう言いながらあの日の伊勢崎の様子を思い出していた。再会した時、彼は心の底から喜んでいるようだった。目尻にできた笑い皺が魅力的だった。包容力のある男が初めて余裕をなくした日でもあった。エレベーター内の激しいキスは、土曜の嫉妬心をむき出しにした表情によく似ていた。今冷静に考えれば、上條に彼は嫉妬していたのかもしれない。
「なに考えてる?」
 表情を曇らせている新見に向って溝口は声を掛けた。「やっぱりケンカでもしてるわけ?」
「違いますよ」
 自嘲気味に新見は笑った。隣の溝口は相変らず飄々としている。付き合い方が軽そうな溝口も嫉妬なんかするのだろうか。そんなことを口にすると、彼は「心外だなぁ」とぼやいた。
「俺だって嫉妬したことぐらいあるさ」
「今は?」
「今?なんで?」
 溝口は首を傾げた。その反応に新見は苦笑い。薄々感じていたことだったが、どうやら自分との関係はそう深くはないらしい。
「僕と係長ではちょっと認識に違いがあるようですね」
「そんなことないさ。今一緒にいるのは俺たちだし、いない人に嫉妬はしないってだけだよ。もし今お前の携帯が鳴って俺を無視して話すようなら相手に嫉妬はするけど」
 あれこれ想像して悩むつもりはないと溝口は言った。なるほど正論かもしれないが、そんなに割り切れるものなのだろうかと新見は思う。嫉妬というのはコントロールしたくてもできない。例えば伊勢崎の呻きや、彼の姿を見つけて咄嗟に隠れてしまった自分のような。
 その時、推し測ったように電話が鳴る。
 スーツの内ポケットに入った携帯の振動に驚いて手を胸に当てると、溝口は目を丸くした。
「出来すぎ。ドラマみたいだな」
 からかうように笑った溝口が面白くなくて、新見は携帯を手をとった。伊勢崎からではない確信があったが、相手が誰であれ携帯を耳に当てるつもりだった。しかしディスプレイに表示された数字を見て新見は固まった。
 十年見てなかった実家の番号だった。
 顔色が変わったのを見て溝口は眉を潜める。
満員電車内で電話に出るような真似をする男ではないと思っていたのだが、新見の反応は明らかに迷いがあった。
「公共の場所だよ」
 溝口が釘を刺すと「ええそうですね」と動揺した声が返ってきた。ゆっくりと携帯を胸に戻す。
 溝口はその動きを見つめていた。会話にあった伊勢崎からの電話にしては顔が引きつっている。誰から、と聞くのは憚られた。
 それから二人は無言で電車に揺られていた。新見は明らかに動揺したままで心ここにあらずという様子だった。溝口は溝口でそんな新見が心配で声を掛けそびれていた。
 目的の駅に着いた時、新見はようやく我に返ったようで、ぎこちない笑顔を返してきた。
「誰から?」と溝口はついに聞いてしまった。出すぎた事を聞いている自覚はあったが、声に出した方が彼が楽になるような気がした。

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