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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。

6.いつかの景色

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 一体どれくらいの時間がたったのか。
二人はしばらく抱き合っていた。深町は新見に抱きしめられて抵抗もせず、彼の腕の中でじっとしていた。
「君は不思議だな」と、この沈黙を破ったのは深町の方だった。
「何だか、安藤と同じ匂いがする」
 新見はそれを聞いて、今までのムードが吹き飛ぶのを感じた。思わず抱いていた深町を起こして反論する。
「私はあんな性悪じゃありませんよ」
 あまりにも真剣な新見の反論に深町は失笑した。「性悪とはよく言った」
「すみません」
「なぜ謝るんだい?」
「少なくてもあなたにとっては大切な人でしょうに」
「主観的な感想に怒っても仕方がない」
 深町はそう落ち着いた視線を新見に向けた。そしてしばらく視線を交差させた後、彼は口を再び開いた。
「君はとてもきれいだ」
 深町は正直に目の前の男を褒めた。全てのパーツが最もバランスのとれる場所にあり、そして繊細な線と影をつくっている。まるで理想を形作った人形のよう。
「私は人間ですよ」
深町の表現に新見は怒ることもなく、自嘲気味に笑った。彼にとっては深町の方こそ実に魅力的だった。年月が彫り上げた皺は、年老いて見せるどころか好感を呼ぶ。知的で上品。まるで毛並みの良い豹のよう。野性味もあり、気位すら感じさせる。
「買いかぶりすぎだ。君はどうやら鼻は効かないらしいね」
 深町は初めて嘲笑した。その顔つきに新見は驚いた。少々、粗野だったからだ。
「私はひどい家の出でね。褒められるような人間じゃないんだよ。生まれた環境も育った場所も劣悪だ」
 深町の表情は元の穏やかなものに戻っていた。一瞬本性を見た気がした。元来の彼の性質はそうなのだろう。しかし。
「でも」と新見は口を開いた。
「あなたはそれに嫌気がさして、努力してきている」
「どうしてそう思う」
「どんな人間でも環境が悪化すれば、生きるために足掻き、もがきます。あなたは自分の本質に嫌悪はしているが、歩んできた人生には後悔していない。違いますか?」
 新見は真摯に深町を見返した。
 そう、後悔しているなどと言われてたまるか。彼が会社をコントロールするその考え方、全身から発せられるオーラに自分は酔ったのだ。誤魔化しの人生を歩んできてこんな男ができるか。安藤と対等に渡り合えるような人間になるものか。
「面白いね。君は本当に面白い」
 深町は楽しそうに言う。
「私より年下のくせに妙に人の本質をついてくる。うつくしい顔をして、大胆で図々しい」
 怒っているのではないと、新見は分かっていた。しかし、鳥肌がたった。
「すみません」と思わず言う。
「だから、どうして謝る」
「ついつい失礼なことを言いまして」
 今更思い出したが、自分は接待に来ているのだった。肌を合わす以前に彼の機嫌を損ねてはなんにもならない。
 そんな新見に深町はぴしゃりと言う。
「何度も言おう。君の主観的な意見にいちいち腹を立てるつもりはないよ。君は今日出会ったばかりの一社員に過ぎない。安藤のことがなければ君にここまで好き勝手に言わせやしないよ」
 ぞっとした。つまりは、今までの無礼な発言は黒幕である安藤に免じて許してやろうというのである。新見は改めて深町の中にある安藤の大きさを認識させられた。
「深町さん・・・これからどうします」
 新見は自分が何を言ったのか瞬間分からなかった。ただ、深町と安藤の絆に圧倒されて、途方に暮れたと表現してもよかった。「どうする、とは?」
 深町は楽しそうに見返すと、新見の、酔いで少し桃色に染まった頬を手の甲で撫でた。
「せっかくだから・・・頂こうか」
「はい?」
新見が絶句すると、深町はにこにこ笑っていた。先ほどまでの威圧感はなく、純粋に楽しんでいるような顔だった。
「どういう意味・・・でしょうか」
 急に立ち上がった深町を見上げて新見は問うたが、彼は答える素振りも見せず奥の襖に手を掛けた。
「へえ、いい趣味をしているじゃないか。香も焚いてある」
 新見が恐る恐るそちらを見れば、間接照明がほのかに布団を照らし、香が焚かれた部屋があった。深町は新見に背中を向けている状態だったが、くるりと振り返った。
「据え膳は頂く主義なんだ。どうだい、君。私と寝てみないか?」
 妙なことになった。と新見はごくりと唾を飲んで深町を見上げた。
 新見の作戦では、安藤との関係を持ち出して体の関係を結ぶのは安藤に失礼です、などと言って逃げようと思っていた。ところがどうだ。事態はいつの間にか悪化している。
 深町は新見が硬直したまま動かないと見ると、ため息を一つついて布団に寝転がった。そして、顔だけ新見に向けて手を掲げる。
「さあ、覚悟を決めておいで」
 深町のきれいな額に前髪が落ちている。横になったせいで上質なスーツには皺がつき、整った髪は崩れた。驚くほど若く見えた。
 まずい。と新見は自分の下半身が熱くなってきたことを感じた。伊勢崎の時もそうだったが、どうして男に対して欲情してしまうのか。女性と付き合ったことは山とあったが、ここまで興奮を駆り立てられたことはない。
「どうしたら、いいんでしょうか」
 新見は自分のネクタイを手に持つと、ゆっくりと彼に近づきながら、そう問う。深町の接待は、恐らく自分が受け入れてこそ成立するであろう。しかし、自分の興奮はそれを受け入れられないものだ。
 深町は近づいてくる新見を迎える為に布団の上に座りなおすと首を傾げていた。
「私はあなたを受け入れられない」
 新見は震えた声で深町に言う。そして彼の前に正座すると、深町の手をとり、自分の股間にあてがった。
「君・・・?」深町は自分の手に感じる確かな硬さに少なからず驚いた。
「残念ながら」と新見は困ったような微笑を見せた。それは、まるで幼い少年のように。
「私はこれでも、オスでしてね」
 深町の全身に鳥肌が立った。それは快感に繋がる種類のものだった。彼の目の前に座る新見は、今までは中世的な魅力を持っていたのに、今はその衣が取り払われ、完全なるオスがそこにいた。
 深町は声にならぬ声が唇から漏らし、新見はごく自然にそこに口付けをした。そして少し開いた隙間から容赦なく舌を挿入する。
「ンぅ」
 新見は無意識に深町の腰を取って引き寄せた。自分の下半身もさることながら、彼のものも徐々に熱くなり始めてきたことを察知する。ごく自然に彼のスーツに手が伸びて、上着とネクタイ、シャツを取り払う。
 厚い胸板の温かさに触れた時、ふと安藤のことが頭を掠めた。
 ようやく利害が一致した。安藤は深町を接待しろと言い、深町は安藤相手なら抱かれたいという受身の願望がある。
 伊勢崎の時に、新見は漠然と気づいてはいた。つまり男性に対して欲情する面があるということである。いつも外見で女性扱いをされてきた為、そういう場では逆の欲望がもたげてくる。つまり、自分より男くさい人間に対する征服欲。
 安藤は気づいていたのだろうか。深町が抱くのではなく、自分が彼を抱くだろうと。安藤自身の代わりとして。
 まさか、と彼に踊らされているという予感を新見は否定する。そこまで読まれてたまるものか。自分自身すら気づいていなかった欲望の種類まで言い当てることができることなど。
 新見は深町の肩をぐっと押して布団に押し倒すと、唇を離して上から深町を見下ろした。二十以上離れた男が、快感に目を潤ませて、怯えたように見上げていた。
「深町さん」新見は優しく微笑む。
「男に抱かれたことは、ありますか?」
 深町はその質問に少し複雑な表情を見せた。
「さあ、忘れたな」
 どういう意味かな、と新見は思ったが、ふと気づく。もしかしたら。
「どうします」
「どう、とは?」と深町も押し倒されながら苦笑したまま。
「このままいくと、あの人の思うつぼだと思いまして」
 深町はそんな台詞が新見から出ると思っていなかったのだろう。少し驚いた顔をした。
「あの人、って安藤のことか」
「ええ」
 新見はそう言いながらも、自分のネクタイをわざと深町に見せつけて笑う。
「でも残念ながら、単なる傍観者にはさせやしませんよ」
 そう新見は言うと、実にうつくしい顔に不気味な笑みを湛えて、深町の腕を上げて押さえつけると、ネクタイで素早く縛り上げた。
 この行為に深町は動揺する。「何を考えてる?」
 妖艶、そう表現した方がいいような顔を新見はしていた。下半身は相変わらず隆々としているのに、顔はまるで快感に震えるような艶っぽい目を載せていた。
「あなたは安藤さんに抱かれればいい」
 新見はそう言うと、今度は深町のネクタイで彼の目を覆う。
「な、」
「大丈夫ですよ。乱暴なことはしません。私はあなたを接待する為にここにいるんですから」
 新見の優しい声が深町の耳元で囁かれた。そして、ゆっくりと彼の下半身に手が伸びた。
「やめたまえ」
 暗闇で感じる風の流れ、そして身体を這う恐怖に交じった快感の予感に痺れを切らして深町は言う。
 下半身の布が全部取りさらわれ、全てが新見に晒されると、彼は深町にもう一度言った。
「大丈夫。あなたはあの人に抱かれていると思えばいいんです」
 深町は混乱した。そんなこと、思えるはずがない。安藤はこんなことしない。自分をこんな風に扱ったりしない。あの男は、指一本、自分になど触れてこない。そのぎりぎりが、自分たちの関係を築いてきたのだ。それを越えることなど、ありえない。安藤もまた、分かっているはず。
 そんな彼の耳に、声がした。聞こえるはずのない声。
「もしもし?」
 ざわっとした。深町の耳をついてきたのは、安藤の声だった。全身の血液がある一点に一気に流れるのを感じた。
 そして気づいた。耳元に置かれた、ハンドフリーになった携帯電話。
「もしもし?・・・おい、聞いているのか?」
「聞いていますよ」
 新見はぴくぴくしている深町のそれを眺めながら、自分の携帯に答える。
「こんな時間に電話など・・・用件を言え」
 安藤の声は不快そうだった。それは時間が遅い、という種類の文句ではないことを新見は分かっていた。深町といるであろう時に何の用か、と彼は問うているのだ。
そんな声を聞いて新見は愉快になった。
「いえいえ、頼まれていたことの答え、お聞かせしようと思いまして」
「なんだと?」
 安藤のその不審そうな声を合図に、新見は深町を裏返し、膝をつかせた。丁度深町の尻が新見にさらけ出される格好になる。
 深町はこの侮辱的な行為に憤慨していたが、今声を出せば自分がどういう状況か安藤にしらせる羽目になる。そんなことは避けたかった。だから彼は唇を噛んで声を漏らさなかった。しかし、頭の先には、こんな格好をしている側で聞こえる安藤の声が快感を煽りたてていて、尻を突き出しながら、自分の竿も立ち上がっていた。
 新見はそんな姿に扇情されることもなく、ただ目の前に突きつけられた現実に、一瞬呆然としていた。
 刺青が鮮やかだった。
 背中から尻にまで彫られているのは、散りゆく椿。中央には、観音らしき絵がある。らしき、というのは、首から上がないからだった。あるのは、荘厳な上半身からで、頭部が描かれていない。
 不気味だった。
『首切り椿。そう呼ばれているらしい』
安藤があの時言った言葉はこういう意味だったのか。そのいわれがこの彫り物だと彼は知らなかった?
『あいつは俺に背中を見せない』
 否、そんなことはありえない。背中にあると分かっているからこそ、彼はこう口が滑った。
 この背中を見ることができるのは、唯一彼が肌をさらけ出す、無防備な背中を出す濡れ場のみ。それも受け側として。
 全てが深町が抱かれる立場だということを暗示しているじゃないか。
「首切り観音、あなたの望み通り、確認しましたよ」
 新見は声が震えた。安藤にははっきり分かったはずだ。観音といったからには、目の前に深町の背中が晒されていることを。
目の前には、ヤクザが尻を晒し、電話の向こうでは自分をいいように操った狡猾な男がいる。
「これであなたとの約束は終わりですね」
 新見は元来の征服欲に従うことにした。男を抱いたことはないが、快感への導き方は本能が分かっている。
 新見は迷わず、さらけ出された蕾に舌を入れた。
「あッ」と深町の声が上がる。彼にしてみれば想像だにしない出来事だった。さっきまで安藤と話していたのに、急に自分の恥部に触れてくるなど。
 深町は自分がした失態に気づいて口を閉じたがもう遅かった。携帯の向こうから、低い、じめっとした声がした。
「深町・・・」
 その一言で声は途絶えた。切れてしまったのだろうか。そう深町は思っても確認する術はなかった。無音が続いている。
 嫌われたか、安藤に。二十年以上たってようやく再会した男に。ようやく掴みかけた絶対の存在を。
「安藤、安藤っ」
 醜態。
深町のタガが外れた。
「待ってくれ、お願いだ。お願いだから」
 新見はそんな必死な声に逆に欲情した。深町の竿は勢いをなくしていたので、舌を蕾に出し入れしながらも、ゆるりと刺激する。ピンク色に立ち上がった乳首も。
「情けない声を出すじゃないか」
 ようやく電話の向こうで安藤が静かな声を出した。
「ああっっ、安藤っ」
 深町は電話が切れていないと知ると歓喜した。

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