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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。

8.強い絆

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「山川くん、ちょっといい?」
 先輩である菅野に呼ばれて山川は自分の席を立つ。そろそろ就業時間を終える時間だが、何か仕事だろうか?と少し嫌な予感を抱えながら彼女の横に立つ。
 菅野は総務部経理課のいわゆるお局様で一番権力がある。窓際である課長よりも。
「お呼びでしょうか?」
 少し硬くなりながら聞くと、菅野は仕事上ではあまり見せない笑顔を見せた。
「あ、仕事の話じゃないから、ラクにして」
 そうは言っても気が抜けない山川は直立不動のまま「なんでしょうか?」と話を即す。
「実はお願いがあってね」
「はい」
「営業部に行って欲しいのよ」
 予想していないことを言われて山川は首を傾げる。他部署に行かされることは滅多にないが、何の用事だろう。そういえば、先輩方は営業部の領収書の提出が遅いとよくぼやいていた。
 今回はその回収の件だろうか。
 山川がそっと周りを伺うと、確かに今日は経理の出勤者が少ない。人手が少ないから自分に回収に行かせようということだろうか。
 いろいろと勝手な想像をしているところへ、また意外な台詞が飛び込んでくる。
「営業部にね、新見さんって人がいるんだけど、その人にこのメモを渡して欲しいの」
「え?」と山川は思わず声を出した。「メモですか?」
「そうよ。渡して返事を聞いてきて欲しいの」
 菅野は笑顔のままそう続ける。いつも怒鳴られる相手のそんな態度に違和感を覚える。しかし断れるわけもなく。
「あの、メモって?」と聞くのがやっとだった。
「ああ、これよ」
 菅野は引き出しから封筒を取り出した。メモではなく手紙ではないか、と山川は思う。女性らしいピンクの封筒。正面に「営業部営業課 新見様」と書いてある。封はしっかりされていて中を見ることはできない。
「返事を聞いてくればいいんですか?」
 返事といっても内容が分からないのでは困るんですけど、と山川が口ごもりながら言うと、菅野はいつもの顔つきに戻って強い口調で「イエスかノーかだけ貰って頂戴」とぴしゃり。
 山川は内心嫌々だったが、これから長い付き合いになるであろう菅野に嫌われるのだけは避けたかった。
 分かりましたとしぶしぶOKし、就業時間を終えたところで経理部を出た。廊下を歩いて二つ隣の営業部のドアの前に立つ。
 新見という男の噂は聞いたことがあった。 とにかくキレイというのが皆の共通した意見で、どんな顔と聞いても「見ればすぐ分かる」としか言われない。そうは言っても同じ人間で目鼻がついているのだから人違いもありそうなものだ。いったいどんな男だよ、と山川は大げさな噂を思い出して、納得いかないままドアをノックする。
 ドアを開けて見ると、経理部と大して変わらない部屋があった。天井から営業課、商品企画課と看板がぶら下がっている。営業課の方に首を向けるとほとんどが空席。経理課と違って、ノートパソコンと少しの書類がのってるだけのこざっぱりとしたデスクが並んでいる。だからだろうか、面積的には大して変わらないはずが随分広く見えた。
 山川はとりあえず営業課の方へ足を向ける。机の間を縫って歩いて、とりあえず今座っている人間に新見が誰か聞こうと思った。
 デスクにいる男の背中に近づいた。軽く髪を固め、黒のスーツを着ている。体格はどちらかというと細身の胴体。腕時計は安物だな、と思いながら声を掛ける。
「あの、すみません」
 デスクの男は声を掛けられて、すぐ首を傾けた。「はい?」
 すぐ分かった。この男が新見本人だと。
 顔の作りが繊細だった。全てのパーツがバランスがとれ、そのへんの女より肌がきめ細かい。
「あの、なにか?」
 新見のきれいな顔に不審そうな表情が浮かんで、山川は慌てる。
「あ、すみません。実は経理課のものですが」
 そう直立不動で挨拶すると、新見は少し驚いた後、顔を歪めた。「もしかしたら領収書の件ですか?」と山川が先ほど勘違いしたことを言った。
「もうすぐ締め日ですよね、ご迷惑を掛けて」
 そう言うが早く、デスクやかばんから領収書を出して、提出用紙に貼り付けていく。山川はその様子を黙ってみていた。本当の用事はそうではないが、勘違いしてくれたほうが月末の手間が省けると思ったのだ。
 一方新見の方は、経理の菅野がついに強攻策に出たかと冷や汗をかいていた。いつもならメールで「待ってます」とやんわり通告してくるのに、今回は人を寄越したことにその強さが伺えた。しかも大男だ。伊勢崎とは違う意味で横にも縦にもデカイ。立っているだけで威圧感がある。
 無言の山川の圧力を勝手に新見は誤解したまま、領収書の提出書を完成させた。
「すみませんでした、お待たせしまして」と愛想笑いを交えて山川に渡す。
「あ、いえ、これはどうも」
 山川はその微笑を受け、大きな身体を丸くして書類を受け取った。
 新見はやれやれと思いながら椅子を戻そうとしたが、山川はこちらを見下ろしたまま一向に動く気配がない。まだ何かあるのか、と新見は疑心暗鬼に掛かりながら彼を見返すと、山川はおずおずとした態度で封書を新見に見せた。
「なんですか?」
 かわいらしいピンク色の封筒を太い指が握っている。大男とはあまりにもアンバランスだ。新見が思わずした苦笑いに、山川はすぐに誤解されていると感づき慌てて言う。
「うちの菅野からです」
 新見の顔があからさまに引きつった。「そ、そう・・・」と付け足したように言い、山川から封書を受け取る。新見は嫌な予感がしていた。領収書の催促のメールにはいつもアフター5のお誘いがのっていたからだった。今までは何とか誤魔化してきたのだが、今回は何を企んでいるのか。
 山川が帰ったあとに開封しよう思っていたのだが、またしても彼が動く気配がない。
「あの、まだなにか?」
 新見の苦笑いを気の毒に思いながら、山川は頭を下げる。「実は返事を貰って来いと言われていまして」
「そうですか」と新見は精一杯の笑顔を返した。「お忙しいのにすみません」
 新見は気にしていない風を装いながら、封書を開封する。一枚の便箋を開いて中身を確認する。
 内容はいたってシンプル。いやシンプルすぎるくらいだった。
『本日七時からいかがですか?』
 言いたいことが直球で伝わってくる。場所も何も書かれてないということは、ほとんどはこちらに委ねていいと考えているわけか。
 あからさま過ぎて逆に笑った。山川に領収書を回収させて、日ごろの忍耐をアピールしつつ強引にことを進める手腕は流石だ。山のような威圧感がある男をその場に待機させられたら、こちらも屈したくなる。
「ふふ、素敵なお誘いだ」
 新見は菅野の予想外の行動に感心しつつ、これからの用事がないことを頭の中で確認した。あまりプライベートで話したことがない女性だったが、こんなキテレツなことをやるくらいだから少しぐらい付き合ってもいいだろう。
「あなたはこの内容ご存知なんですか?」
 こちらを相変わらず見下ろしている山川に便箋を見せる。山川は不思議そうにそれを受け取って目を走らせると、首を傾げた。
 意味が分からないらしい。
 それはそうかもしれない。今までの二人のやり取りがあってこその内容だ、と新見は納得。
「あの今更ですが、あなたは新卒?」
 体格は良いがまだスーツが着られている感があったので新見が聞くと、山川は「はい」と答えた。首から下げている社員証に経理課、山川とある。
「ねえ山川さん」
 新見は座ったまま山川に尋ねる。
「ここ入って半年くらいでしょう?新人たちで飲み会とかはされるんですか?」
 山川はそんな問いかけに「まあ」と曖昧に答えた。確かに各部署の同期たちと飲む機会はある。ほとんどは上司へのグチが酒の肴だったが。
「そこなんていう場所ですか?私はあまり飲みに出歩かないものですから」
 山川はますます訳が分からなかったが、とりあえず質問に答える。近くの洋風居酒屋だ。店内が広く、もし万が一上司がいてもテーブルが近くになりにくい。ボックス席は布で仕切られていて、あまり他の客とも顔が会わない。
 新見はそれを聞いて「へえ」と小さく頷く。実は彼はほとんどそういう店に行った事がなかった。友人がいないというのも一つだし、食事は園田と行く為レストランや割烹が多い。
 新見はデスクに向うと、ピンクの便箋にその居酒屋の名前を書いた。そして折りたたんで山川に渡す。
「菅野さんに言伝お願いしてもいいですか?」
「は、はい」
「場所はここで。時間は七時」
「あ、はい」
 山川は忘れないように口の中で繰り返す。その姿に新見は微笑んだ。何だか自分の新卒の時を思い出す。だから少し気が変わる。
「そうだ、あなたも来ませんか?」
 誘ってみる。
 山川は混乱する。想定外の事態だった。店の名前と時間を聞く限り、恐らく食事の約束だ。菅野と新見の。なのに何で自分が誘われるのか。
「イエスかノーかだけ聞いて来いって言われてますんで」
 菅野の睨み付けた顔を思い出し、山川は答える。その姿を見て、新見は菅野からの圧力がかかっていることに気づく。そういう無言の重圧が根っから嫌いだった新見は、少し冷めた気分で山川から便箋を奪い取ると、ぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に捨ててしまう。
「え、あの!」
 慌てたのは山川だ。自分が失言したせいで新見の機嫌を損ねたのだろうか。先ほどまで時間と場所まで指定してくれたというのに。
「あの、その、何か俺、失礼を・・・」
しましたか?と山川が聞きかけたところで、新見は立ち上がる。ぽんと胸を小突かれる。
「これ以上あなたを間に立たせるのも忍びない」
 立ち上がった新見は凛とした美しさがあった。顔には悪戯っ子のような笑み。「菅野さんを直接誘って、あなたも一緒に行くように説得しますよ」
 え、と山川は驚いたが、そんな彼を無視するかのように、新見は鞄に手を掛ける。そしてさっさと彼の上司に退社の挨拶をして歩き出す。
「あ、あの」と山川はどうしたらいいか分からず、とりあえず新見の後ろについて営業部を後にしたのだった。

 待っていたのは予想もしない事態だった。
 経理課に入った所で二人とも異常に気づいた。誰もが慌てた様子でバタバタと動き回っている。
「あの、何かあったんですか?」
 山川はおずおずと経理課の先輩に尋ねれば、彼は悲鳴のような声を上げた。
「視察だよ、視察!」
「え?」
「常務が来るんだってよ、決算の途中経過を聞きに」
 新見はその言葉を聞きながら気の毒に、と思った。営業課はほとんど離席しているため上層部の会議はきちっと予定を立てて行われる。しかしデスクワークの部署はいつでもいると思われているせいか、上層部が突然やってくることが少なくない。そして現場の状況などお構いなしで言いたいことを言っていく嵐のようなものだ。
もちろん経理課など頻繁に起こるであろう想像はつく。決算収支は会社にとって一番の関心ごとだ。
 新見は冷静に経理の動きを見ながら、菅野が席にいないことに気づく。実質一番上の彼女が今大慌てで立ち回っているのだろう。これはデートどころではない。
「あの、俺も何か手伝うこと・・・」
 山川にとっては初めての緊急事態だったのだろう、どうしていいか分からずに先ほどの男性社員に指示を仰ぐが、彼も彼で忙しいらしく、怒鳴るように言われる。
「お前はもう帰っていいよ!いてもやってもらえることねえから!」
 露骨にショックを受けて立ち尽くす山川に新見はぽんと背中を叩く。視線で「もう出ましょう」と合図を送ると、肩を落とした巨体が素直に後についてきた。
「俺、どうしたらいいんですかね」と途方にくれたように呟く。
 新見は微笑みを返す。
「帰っていいと言われたんですからそうしてもいいと思いますよ。何かあったら連絡がくるでしょうし」
 おそらく連絡などないだろな、と思いながらも慰める。ああいう瞬間というのは指示がこなければ動けない人間はその場に必要ない。瞬間的に判断できる人間がいればいいものだ。
「もし気分がのらないなら、食事は後日にでもと菅野さんに言っておいてください。もちろんあなた同伴で」
 新見はそう言いながら、後日に気分がのるとは思えなかった。今回は菅野の誘いに機転があったから行こうと思っただけで、彼女自身には大して関心はない。
「まあそんなに心配しなくても大丈夫ですよ。嵐みたいなもので、通り過ぎるのを待っていればいいんですから」
 まだ未練がありそうな山川に新見は声を掛けて、一つため息をついた。自分がどうしてこんなところにいるのか見失いかける。もう帰ってもいいだろうか、と思い、踵を返す。
「あ、あの!」
 数歩歩いたところで後ろから山川の声。
 振り返ると、彼はこちらを見て意を決したように言った。
「よければ俺と行ってくれませんか、食事」
 新見は絶句した。一体どういう判断が山川に下されたのか。菅野がいなければ食事を二人でする意味など彼にはないと思うのだが。
 しかし新見はこの予想外の展開を楽しむことにした。もともとあまり一緒に食事をしたことがないタイプだ。退屈ならば途中で帰ればいいことだ。
「いいですね」と新見は微笑み、露骨にほっとした笑みを浮かべた山川の反応に違和感を感じた。
 本当に何を考えているのやら。
 新見は首をかしげながらも、山川とともに当初の予定通り洋風居酒屋へと足を運んだのだった。

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