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以下の小説にはBL・やおい・耽美と呼ばれる表現が含まれています。

9.さわやかな風

9-2/2

「なにやってるんですか」
「き、来ちゃった」
 大男が発したそんな台詞に新見はぷっと笑った。「気持ち悪いこと言わないで下さい」
 怒ってなさそうなので、伊勢崎はほっとする。そんな姿を見て、やれやれと新見は微笑んだ。
「もう僕も上がりなんです。ここじゃなんですから歩きながら事情を伺いますよ」
「おう」と伊勢崎は照れ笑いをした。そして自然と新見の腰に手を回した。無意識にした行動で、伊勢崎も新見も特に気にせず廊下を歩く。
「で、どういうご事情で?」
 皮肉交じりに新見が聞くと、携帯が通じないから押しかけたと伊勢崎は言う。
「ああ」と合点がいったような声が上がる。「そういえば今日病院の方に営業に行ったものですから電源を切ったままでした。今日最後の営業先だったものでして、すみませんね」
 あまり詫びいれた様子もないので伊勢崎が唇を尖らすと、ふふっと新見は可笑しそうに笑った。
 これはなかなかいい感触じゃないか、と伊勢崎は楽しくなった。てっきりあまりいい反応はされないんじゃないかと思っていたのに、やっぱり積極的に行動して正解だったな、と気分がよくなると、先程の男の非礼を思い出した。
「ああ、そうそう。さっき嫌な奴に会ったよ」
「嫌なやつ?」
「ここの廊下で眼鏡のオッサンだったがな。君には呆れたと伝えてくれってよ」
 さっきまで笑っていた新見の顔がその瞬間氷付いた。「え?」
 引きつったその顔に伊勢崎は戸惑った。何かまずいことを言ったのは確かだった。
「ど、どうした?」
「あの、伊勢崎さん。その人とどんな話をしたんですか?」
 笑顔が中途半端に張り付いたまま新見は伊勢崎に問うてきた。
「いや、勝手に因縁をつけられたんだがな。俺のネクタイを見るなり顔色変えやがって、一重の結び方は野暮だと教えたのは俺だの、気を使った方がいいだの、なんだの」
と、伊勢崎がそこまで言ったところで、新見は頭を抱えた。見ればあの時自分が失敬したネクタイを彼はしていた。細身のネクタイなど今時珍しいと、目を走らせたときに上條は気づいたに違いない。
 上條はどう思ったろう。わざわざあの時のネクタイをして現れた男。自分がわざわざ呼び出したと勘違いしたのではないか。
「課長の誤解を解かないと」
 新見は思わず駆け出した。今後のセクハラ発言が増えるのは避けたかったし、何となく自分の性生活を誤解されているようで気分が悪かった。目の前で開いたエレベーターに乗り込むと、ぎりぎり伊勢崎が滑り込んできた。
 慌てて1階へのボタンを押した所で、どん、とエレベーターの壁が叩かれた。はっとして新見が伊勢崎を見ると、初めて見るような真剣な視線とぶつかった。
「誤解を解くって何?」
「え?」
「何が誤解?」
 新見は戸惑った。声には少し怒気が含まれていた。ぞっと鳥肌が立った時に伊勢崎が壁際に新見を押しやる。そして乱暴に顎を掴まれて口付けされた。
 びっくりして目を見開くと、目の前の伊勢崎はつらそうに眉間に皺を寄せて自分の唇にしゃぶりついていた。押し返そうとしてもびくともしない。
 こんなところを誰かに見られたら自分はどうなるのだ、とパニックになった。いや、誰かというより上條に見られたらまず最悪だ。
 箱は無常にもどんどん下ってゆく。ランプが1階を指し示した所でドアが開いた。伊勢崎がゆっくりと身体を離す。大きな身体の隙間から見える、ビルのロビーに上條の背中が見えた。それは、ゆっくりと振り返り、上條の視線がエレベーターで身体を密着させた二人に注がれた。
「ちが、」と言いかけたところで、伊勢崎がそれに気づいてロビーを振り返る。彼のその顔は獰猛で、怒りに満ちたような鋭い視線を上條に向けていた。まるで威嚇しているようで新見は声を飲み込んだ。
 上條の口がぱくぱくと動いた。きっと、君には呆れたと言っているに違いなかった。エレベーターのドアがまた閉まる間に、上條は再び背中を向けた。新見は絶望的な気分になった。
「なんてことを」と思わず呻くと、伊勢崎は新見の顔を見下ろしていた。その顔つきは苦しげで、何か葛藤しているような表情だった。
「あの人、僕の上司でしてね。こんなところを見られちゃ、」
「迷惑だったか?」
「え?」
「迷惑だったら、あんな顔で俺を迎え入れるなよ。怒ればよかったじゃないか、職場には来るなと言えばよかったじゃないか」
 また角に追いやられ、どんと壁を叩かれる。伊勢崎の顔つきはいつもの余裕がない。どうしてイライラしているのか新見には分からなかった。わめき散らしたいのはこちらだというのに。
 またむさぼるように口付けをされた。まるで子供だ。苛立ちを抱えたままされる深い口付け。肩を痛いほど掴まれて、壁に押し付けられる。身体を押し返そうとしても無駄だと分かっていた。
仕方がないなぁ、と新見は頭の端で呆れながら、伊勢崎らしくもない激しいキスを受け止めていた。
 エレベーターが上昇し始める。どこで止まるのか分からないというぎりぎりの心理状態で、段々新見の身体が熱くなっていく。気づけば自分からも舌を絡ませて腰を密着させていた。伊勢崎は熱っぽい視線を向けて唇を離す。お互いの口で糸が引いて、身体の芯に灯った熱に名残惜しさを感じていた。
 エレベーターは6Fに戻った。ドアが開くと、あまり見慣れぬ社員が数名立っていた。新見は伊勢崎に目配せしてエレベーターを降りた。何人かの視線が新見たちに注がれたが、誰も何も言わなかった。
 新見は伊勢崎の手を引いて、廊下の右側にある資料室に入った。むっとした暑く埃っぽい空気が二人を包む。内側から鍵をかけて新見は資料室の奥に進み、ブラインドが閉まっている窓際に来た所で、伊勢崎が新見の腰を抱いた。
 二人は目を閉じて再び口付けを交わした。新見は伊勢崎の頬に手を当ててしゃぶりついた。  
 昨日は伊勢崎の顔を思い出しながら何度も手淫をした。彼が折り返し電話をくれる度に興奮し、その電話のバイブレーションで精を放った。今は目の前に本物がいる。
 息が弾み、新見は伊勢崎のネクタイを緩める。スーツの上着を脱がしてシャツのボタンを外した。伊勢崎も新見のスーツに手を掛ける。お互いがお互いの着るものを取り去っていく。
「なあ、どうして昨日電話に出なかったんだ」
 脱がし脱がされ、キスの合間に伊勢崎は目の前の男に問う。新見は興奮した声で言った。
「あなたとしている最中だったから」
「なに?」
「あなたにしゃぶってもらって、あなたの目と声で興奮して、あなたの震えでイッていたんです。あなたが電話をくれる度に、ぶるぶるって僕のここを刺激してくれたもので」
 振るえというのが携帯のバイブレーションだと気づいて伊勢崎は笑った。そして床に新見を押し倒した。
「本物の方がいいだろう?」
「そうですね。熱くて何倍も興奮する」
 ぐいと股間を伊勢崎に押し付けると、彼の目が興奮で充血した。お互いの竿を取り出すと、先走りで滑った棒を擦り合わせる。
「ァ、いい」
 新見は気持ちよくて目を閉じた。伊勢崎は新見を跨ぎながら二本の竿を持って刺激を与えた。新見は下にいたが、腰を振り、快感を追いかけた。
 伊勢崎は眩暈がするほどの快感に翻弄された。新見を犯しているわけではないのだが、見下ろすアングルに興奮した。腰を淫らに振る新見は妖艶な顔をして、開いた唇の隙間から声を漏らした。涎が少し口元を濡らしていて、長い睫毛が震えている。
「好きだ」と伊勢崎は思わず言った。そしてその唇をむさぼった。口付けの隙間からも新見がいい声で鳴いてくる。
 高ぶりは頂点に達してきた。
「ねえ、あなたの顔に掛けたい」と新見は目を開けて伊勢崎に言った。「掛けさせて」
 その震える声に伊勢崎はぞくっとした。自分の竿を扱きながら後ろにずれる。新見も自分の竿を握って目を細めた。
「ァあ、いくッ」と眉間に皺を寄せて艶っぽい声を上げた所で、伊勢崎の顔に生暖かい液が掛かった。その香りは慣れ親しんだ独特の匂いで、新見の精だと自覚した時、伊勢崎も自分の手の中でイった。
 精液でべたべたになった顔で伊勢崎は新見を見下ろした。
「満足?」と微笑むと、新見は妖艶な顔に満ち足りたような表情を乗せて「ええ、とても」と頷いた。
 しばらく二人は抱き合って、呼吸が落ち着いてきた時に伊勢崎は上体を起こした。新見を見下ろして、乱れた髪を撫で、赤く染まった頬を撫でる。
「好きだ」
 伊勢崎が優しい声でそう言うと、新見は少し目を丸くした後、口元を歪めた。
「酒を飲んでいる時とセックスの時の告白は信用しないことにしてるんです」
 酔いも覚める思いがけない台詞に伊勢崎は首を傾げた。
「なんで?」
「気分が盛り上がっていて正しい判断をしているとは思えません」
 ムードが無い、と伊勢崎が新見に対してため息を付くと、彼は「すみませんね」と言いながら上体を起こした。散らばったスーツからティッシュを出すと、伊勢崎の顔を汚した己の精を拭く。伊勢崎は新見に跨ったまま、気持ち良さそうに目を閉じた。
「それでも俺はお前が好きだよ」
 嬉しそうに発せられる言葉に新見は微笑む。乱れた髪を少しすいて、目を閉じたままの伊勢崎の唇にキスをした。
 目が開かれて、視線が合う。
「これ、返事?」
 伊勢崎の落ち着いた柔らかい表情が問うてきたが、新見は曖昧に「さあどうでしょう」と呟いた。
 身なりを整えて廊下の気配を探りながら、二人で資料室を出る。廊下は静まり返っていて、ほとんどの事務所のドアは閉まっていた。人の気配はない。
 汗をかいた肌を乾燥した冷気が包んだ。
「あぁ気持ちいい」
 新見は思わず言う。伊勢崎はそんな新見を見下ろして、汗で額に張り付いた彼の前髪を直そうと手を伸ばしたが、やんわりと避けられる。
「誰も見てない」
 伊勢崎が言うと、新見の表情に少し影が出来た。無言で前髪をかき上げ、ネクタイを整える。
その態度は冷静で事務的な。
 強い動悸と共に、先程廊下で会った男の顔が浮かんだ。新見の所作が男と重なって見えた。
「いきましょうか」
「ああ」
 気のせいだろうと伊勢崎は思い込もうとしたが、一度気づいた事実には目を背けられなかった。目の前の青年がひどく遠く感じられた。先程まではあんなに近かったのに。
「おい、他の男の事なんか考えないでくれ!」
 思わず腕を掴んで怒鳴る。喉の奥から出たそれは我ながらまるで悲鳴で。
 驚いて振り返った新見の瞳は、きちんと伊勢崎を捉えていたが、その次の言葉に息が止まった。
「どうしたんですか急に。今日の伊勢崎さんは少しおかしいですよ?」
 気づいてないのか。
 伊勢崎は掴んだ手から力が抜けた。新見は不思議そうな顔でこちらを見ていた。
『何かを考えながら私を抱かないでって言ってるのよ』
 ふといつの日にか園田に言われた台詞を思い出した。
 ま逆の立場に立たされて伊勢崎はようやく気づいた。あの日の園田の言葉の意味を。
「俺は馬鹿だ」
 首を傾げる新見の前で伊勢崎は呟き、苦渋に満ちた顔で口元を歪めると、手で顔を覆ったのだった。

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